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「食べる音楽」リターンズ

No.3 世界最古の居酒屋@フェッラーラ

とっても綺麗なお嬢さん
そのうまいワインを注いでくれよ
ルビーを蒸留したしずくを垂らしてくれよ

とっても綺麗なお嬢さん
そのワインじゃ俺を満足させられないよ
トパーズを蒸留したしずくを垂らしてくれよ
C.モンテヴェルディ<とっても綺麗なお嬢さん>より

 フェッラーラは、ミートソースで有名なボローニャからヴェネツィアに向かって電車で30分ほど行ったところにある、北イタリアの小都市だ。エステ家がこの地を治めていたルネサンス後期まで、音楽、文学、美術、建築、都市計画など、素晴らしい藝術と文化が華開いた。

 エステ家に仕えた宮廷音楽家を並べると、それがイタリア・ルネサンス音楽史になる、と言っても過言ではない。ギョーム・デュファイ、ハインリッヒ・イザーク、ジョスカン・デ・プレ、ヤコブ・オブレヒト、アントワーヌ・ブリュメル、アドリアン・ヴィッラールト、チプリアーノ・デ・ローレ、ルッツァスコ・ルッツァスキなど、スター作曲家がめじろ押しだ。

 さらに宮廷内では、女性3人の弾き語りユニットである「コンチェルト・デッレ・ダーメ(貴婦人たちのコンチェルト)」が結成された。ヴェノーザ領主カルロ・ジェズアルドはエステの姫君を娶るためフェッラーラを訪れ、そこで宮廷を満たす音楽に霊感を受け、前衛的なマドリガーレを作りつづけた。鍵盤音楽の大家にして、ローマ/サン・ピエトロ教会のオルガニストであったジローラモ・フレスコバルディもフェッラーラ出身である。

 さてそんなフェッラーラには、“世界最古の居酒屋”というものが存在する。その店は、大聖堂の脇道を少し入ったところで、現在も営業している。1435年の文献にはすでにこの店が繁盛していた、という記述があるのだから凄まじい。もちろん、現在の経営者が当時から脈々と続く居酒屋の家系、というわけではない。

 現在の店名は「アル・ブリンディスィ」であるが、当時は「オステリア・デル・キゥッキオリーノ Hosteria del Chiucchiolino」と呼ばれていた。この名前の「キゥッ」というのはイタリア語で「酔っぱらい」を意味する「チュッコ」が語源となっている。つまり店名は「酔っぱらいちゃんの居酒屋」とでも訳せようか。エステ家の宮廷詩人であったアリオストも、著作でこの店について言及している。


 そして傑作なのがこの店の顧客である。なんと、かのコペルニクスが飲みに来ていた、いや、それどころか、彼はこの店に続く建物に住んでいたのだ。もちろん酒好きが高じて居酒屋に下宿したわけではない。ポーランド出身のこの偉大な天文学者は当時、ドメニコ・ノヴァーラ師の指導のもと、フェッラーラで学んでいたのだ。

 とはいうものの、やはり歴史上の偉人が居酒屋に飲みに来ていたのかも、と想像するだけで面白い。地方のラーメン屋にこれ見よがしに貼ってある芸能人の色紙のように、コペルニクスの名が壁にでも彫ってあれば面白いのに。そうか、きっとコペルニクスはここで飲み過ぎて「あれれ、地面が回ってる〜」と地動説を唱えたに違いない!……なんてことはないよね。

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