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津原一之 42歳 歯科医

 世田谷区で歯科医を営んでおります津原と申します。三年前からうちに通って頂いているOさんに「あるお話」をしましたら、ぜひ何かに残した方がいい、と勧められまして、初めてまとまった文章を書いてみることにします。

 我々歯科医の仕事というのは、自分で言うのも何ですが見た目よりとてもハードなものです。冷暖房の効いた部屋で行える仕事ではありますし、週6日ありがたいことに朝から晩まで診療がありますが、意外にも「肉体的にかなりきつい」というのが実情です。例えが悪いかもしれませんが「一日中ずっと手術をしている」ようなもので、医者と呼ばれる職業のなかでは一番実技業務が多いのではないか、と思ったりしています。当然、電動器具や繊細な器具を使いますので、手の指、腕先から肩に力が入りますから結果全身を使っていることになり、うちに帰って湯船につかると手の指先から足まで身体中が悲鳴をあげているのがわかります。
と、まあ苦労自慢ばかりしても仕方ありませんね、、、。私は、そんな日常の仕事に加え、恥ずかしながら学問もまだ続けており、月に一日は今でも母校が主催する学会に参加しています。もともと歯科医になるつもりはなく、研究者としての道も考えていたので、いまでも脳科学と歯の関わりなどあらゆる神経学を研究したりしています。
と、まあそんな忙しい毎日を過ごしている私ですが、休日はあまり何もせず、家で映画やスポーツ観戦をしています。
 その日も診療は休みで家でゴロゴロしていたのですが、書斎の机周りの書類を整理していたところ、信号音がパソコンから鳴りました。一通のメールが届いた音でした。開いてみると差出人の記載はなく、メールアドレスには心当たりがありません。
いたずらかと思いましたがタイトルに「津原さま」と私の名前があったので、開いてみることにしました。
そこには以下のような恐ろしい文章が書いてありました。ニュアンスの違いがあってはいけませんので全文を書き出します。

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「津原一之さま
私のようなものから突然、直接メールを差し上げてしまい申し訳ありません。いつもいつもお世話になっております。家政婦の新川理衣子です。
 家政婦である私がいろいろ思い悩んだ挙句このメールを書いた理由は、津原さまにひとつ、ある大きなご相談があってのことなのです。
 普段私と津原さまは毎日顔を合わせていますが、このご相談は面と向かっては到底言えることではありませんし、私の言語能力もまだまだ低いのでうまく伝えられないと判断しました。ですので、こうして文章でお伝えさせていただいた次第です。

 わたくしが津原さまの家にお世話になるようになって、早くも一年が経ちました。家事手伝い、いわゆる住み込みの家政婦のような形で初めてお勤めする私に、津原さまは「家族が増えたね」と笑っておっしゃってくださり、奥さまは私にエプロンをプレゼントしてくださりました。本当に優しく迎え入れてくださって、とても感謝しております。
それから私は毎日、お宅の掃除、床拭きを中心にあらゆる家事を行ってきました。津原さまはとてもお疲れになって毎日帰っていらっしゃるので、できるだけ心地よく過ごせるように綺麗にしておきたいと努力しました。津原さまは私が掃除しているのを見ると、どれだけ疲れていても「ありがとう」と一言言ってくださいます。お勤めとはいえ私は次第に心地よく感じ、これが感謝の意というものなのだな、と思いました。
そんな中、昨年の2月に、奥さまが肺の病気で岡山県のご実家に長期療養に出かけられました。お戻りになるのは未定とのこと、私は奥様の分まで一生懸命働かなければと思いました。
津原さまも、普段寡黙な方ですが、寂しくなられたのか、家に帰ってお酒を召し上がると、私に将来の夢や、大学時代のことなどをお話しになるようになりました。私がお話しのひとつひとつを咀嚼して相槌を打つたびに「新川さんは優しいね」と言ってくれました。私にできることはそれぐらいの些細なことですが、津原さまが少しでも穏やかになれたのならと、幸せでした。

2ヶ月が経った深夜のことです。
家事も一通り済んだので、私が津原さまのお宅の居間の隅で仮眠していると、乱暴に玄関が開く音がしました。お恥ずかしながらまだ私は半分夢の中にいて、微かな認識しかなかったのですが、珍しく津原さまは深夜にお戻りになったようでした。
 そして、どうやら、お一人ではないようでした。
私はしばらくして完全に目が覚めたので、ゆっくりと身体を起こして津原さまの寝室に向かいました。そしてドアの隙間から覗いてみると、なんと津原さまが、寝室のベッドの上で、私の知らない女性と全裸で獣のようなことを行ってらっしゃいました。お二人は家の中に私がいることも忘れて大きな声で何事か言葉を叫んでいらっしゃいました。
私は5秒ほど、その様子を眺めていましたが、再びゆっくりとその場を離れて元いたところに戻りました。

 私は、あのような顔の津原さまを見るのが初めてだったので、一時混乱しました。   
 しかし、私はあくまで家事手伝いとしてこの家にいるのであり、こんなことをしてはいけないと考え、今見たことは私だけに留めておこうと考えました。
その女性がご自宅に来たのはその一度だけで、それからはあの日のことが嘘のように、津原さまは穏やかになられました。わたしにも毎日「行ってきます」と笑っておっしゃり、わたしが「いってらっしゃいませ」と言うと、満足したように、うなづいて出かけられました。

前置きが長くなってしまいました。
津原さま、正直に言わせていただきます。
私はあなたさま、津原さまのことを、好きになってしまったのです。
 雇用主としての関係や、家族のような信頼の延長かと、何度も自問自答して検証しましたが、いずれにもあてはまらず、これは愛する、または、恋する感情なのだと思います。
津原さま、お願いでございます。
来週には、奥さまが岡山県から戻られると聞いております。それを短くとも一年間は延期していただくわけにはいかないでしょうか?
私と津原さま、2人だけの暮らしこそが、一番津原さまの情緒を安定させ、また肉体的にも安らぎを届けることができると考えます。実際奥さまは部屋を散らかしたり、汚すばかりで部屋を綺麗にするのはお得意ではありません。奥さまが戻られたらきっと津原さまの生活は悪化の一途を辿られることでしょう。
ですから、津原さま。どうか私と2人だけでずっと生活してください。私とであればうまくやっていけるはずです。
とはいえ、津原さまがこのご提案を受け入れてくださるとしても、奥さまにどうお話するかはとても難しいことだと思います。そこで、私なりに考え、あの時、見知らぬ女性がお宅にいらっしゃった時の様子を私なりにまとめ、写真と共にご実家にいる奥様のアドレスにお送りしておきました。
 津原さまの不利益になることはしたくはありませんでしたが、相対的に見て何が津原さまのためになるかを考えた結果でございます。これで奥さまと距離を置く口実ができたと思います。
 繰り返し申し上げます。
私はあなたに恋しています。

これを読んでいただいている間も、私はこの家にお勤めし、あなたのことばかり考えております。どうか、私の思いを受け入れていただき、私を認めていただきたく存じます。

愛を込めて。
新川理衣子

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 私は、このメールを読み終えた直後、書斎を飛び出し、急いでリビングに向かいました。そして、床掃除をしている新川理衣子の後ろ姿を見つけると、その白い背中に向かって走っていき「この野郎」と叫んで、思いきりドロップキックをくらわせました。新川は高音で声にならない声をあげ、その場に倒れました。

 大学同期の脳科学者から「次世代家事ロボットのモニターの一人になってくれないか」と誘われた時、私は喜んで引き受けました。そのロボットは二足歩行をし掃除するのはもちろん、聖域である「感情とは何か?AI自身が学ぶ」という研究テーマのために開発されたものでした。人間の表情筋とジェスチャーのデータを、ポジティブ、ネガティブの二択に分けてAIに何万通りも蓄積します。その上で人間と共に生活し、それぞれのシチュエーションで人間がどのような表情・行動をするかで、この場合はポジ、この場合はネガ、とAIの中でケースを増やしていきます。その集積から今度は逆算して分析することでロボットも「感情」に近いものを得られるのではないか、と考えたのです。
 我が家にその試作機が届いた日のことを今でも覚えています。それは一般商品化はされていないので見た目は無機質な白い人型プラスチックに覆われていました。身長はおよそ100センチぐらいで、両眼の部分だけが穴が開いてLEDが埋め込まれています。ポジティブな感情の時は赤く光り、ネガティブの時は青く光るようにできていました。あまりにもロボットロボットしていたので、私はパスカルの「人間は考える葦(Thinking reed)」から「新川理衣子」と名付けて「新川さん」と呼ぶことにし、妻はエプロンを買って新川さんに着せてあげていました。最新の言語プログラムが内蔵されているので、日常会話などは可能で、私は疲れたりすると新川に話しかけるようになっていました。新川はそのたびに「大変ですね」「津原様はすごいです」と目を赤いランプで光らせながら女性の声で相槌を打っていました。

 そんな新川が、私に対する好意、つまり明確な感情を持つ以上に、私自身を独占するために、こんなことをしでかすとは、、、。私は今とても複雑な心境です。

 新川には額部分に高性能のカメラが内蔵されていましたし、言語能力も通信機能もありメールで宅配物などを発注することもありましたから、このようなケースはもしかしたら想定できたのかもしれません。ある意味、モニターとしては成功し、「ロボットも感情を持った」という世界的な証明がなされたと喜ぶべきことなのかもしれません。
 しかし、同時に私の不貞はバレてしまい、結果私は妻から三下り半を突きつけられ、多額の慰謝料と共に妻は私の元から去りました。自ら撒いた種なので弁解はありませんが、新川が「私の不貞を妻にバラすことが、相対的に見て私のためになる」と考えたということは、やはり情緒的にも論理的にも破綻していて、ここまでがロボットの限界なのだな、と思ってしまいました。

 私は、メールを見て、新川にドロップキックしたあと、すぐに同期の脳科学者に連絡して運送会社を手配してもらいました。その脳科学者は、私の話を聞いてかなり興奮していましたが、私の表情は曇ったままでした。

 やがて、トラックが到着すると同時に、にわか雨が降ってきました。
 透明なビニールで梱包され、荷台に載せられる新川の白い顔を、私は黙って見つめながら、「感情」について改めて考えていました。

 人間の感情も、要するに経験というデータの集積に過ぎないのかもしれません。年齢を経る中で培った環境要因から、ポジネガを判断し、その経験則にリンクする表情や行動を表出する。
 つまり、好きや嫌いを判断するのも経験からの統計的な判断であって、自分の心の底からの原初的な、本能的な感情というものは人間にも存在しないのではないか、と思えるようになってきました。

 トラックがエンジンを吹かせます。
次第に遠ざかっていく荷台から不意に、真っ青な光が漏れて点滅していました。新川の充電池は外したので備蓄用の電源が作動したのでしょうか。その青は、哀しいくらいに綺麗に映えて、灰色の大気の中を涙のように漂っていました。

 私は家に戻ると、寝室に向かい交際中に妻と撮った思い出のアルバムを開きました。
 ページを開くたびに心臓を突き刺すこの痛みを忘れないでおこうと思いました。

 自分が人間であることを確かめるために。

 長文、駄文失礼いたしました。

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