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環境の力は自分が思っているよりはるかに大きい

娘が英語でミステリー小説を書いた。

ここで娘自慢をするつもりはなく、この事例を通して、環境が与える力の大きさ、人間が環境から受ける影響の凄さをお伝えしたい。10年間で実証された事実をそのままお伝えできたらと思う。

まず娘の小説がどれだけなのかは私は知らないけれど、たぶん一般の小学生の話し言葉を使って映画やテレビで見た内容を混ぜ合わせて作ったのであろう、というのが母である私の想像。

娘は「ハリーポッター」や「エノーラ・ホームズの事件簿」「レモニー・スニケットの世にも不幸な出来事」などが好きで、とにかくよく観ているからだ。

単語も本人が正確に覚えていなくても、今はPCがスペルチェックを行ってくれるので問題はない(いや、実際には問題ありだが、ここでは論点が違うのでスルーする)。


我が家では英語を全く教えなかった


ここで娘が置かれた環境をお話したい。

カナダ生まれカナダ育ちの娘は幼稚園に入るまではほとんど日本語しか話せなかった。私が日本語で語りかけ、日本の絵本を読み聞かせ、日本語のリトミックに通わせ、日本人コミュニティー以外は連れて歩かなかったからだ。

父親はいるが育児不参加のため、ほとんどワンオペ育児だった。父親の役目は、自転車、スケート、プール、キャッチボール、キャンプ、主に外遊び専門だ。しかも、それがスタートするのは5年くらい経過してからだ。

ということで、彼女は3歳と11ヶ月で幼稚園に入園するまではカナダにいながら日本語オンリーの環境で育った。

しかも私は彼女が年少の間は午後の授業(遊び?)を早退させて、日本語リトミックへ週二回も通わせていた。そこでは日本の文字や文化、季節の行事など、リトミックをベースに盛り沢山の内容だったからだ。

ちなみに、そのリトミックには生後9ヶ月から通っていた。


私の自慢は、娘を連れて一時帰国した時におこなった就学前の子供を対象にした能力テストで、日本語の語彙力が日本人の同じ月齢の子供よりも多く「お母さん、読み聞かせを頑張りましたね!」と褒めていただいたことだ。

幼稚園がはじまっても、ネイティブスピーカーである父親とは朝と晩の食事の中で少しの会話がある程度で、「今日、学校はどうだった?」「うん、楽しかった!」その後の会話が続かない、というのが何年も続いた。

たまに父娘が話し込んでいるのを見て、あとから夫に「何の話をしていたの?」と聞くと「彼女の言ってること、よくわからん!」と。まぁ、そんな感じだった。


私は娘を連れて年に一度は帰国し、3ヶ月は滞在して日本の幼稚園や小学校を体験させることにこだわった。日本滞在中にはカナダで留守番している父親と娘をスカイプで会話させた。でも、娘が英語を忘れてしまい父親が寂しい思いをする、ということが何度もあった。

小学生になると周りの同い年の子供から「ハリーポッター」を読んだ!と聞いて、私は目玉が飛び出るほど驚いた!うちの子供にはスペルはおろか単語すら教えていない。英語で絵本を読み聞かせることもしてこなかったので、英語の両親から生まれた子供と比べると語彙力が全くないことに愕然とする。

父親である夫に絵本の読み聞かせ、単語やスペルを教えてもらうように頼むが、全てが三日坊主で終わる。「あぁ、なんということか!」


・・・。

失敗した?


そんな心配も頭をよぎったが、私には一つの確固たる自信があった。

「一つの言語で土台を作ったならば、環境から学ぶ言語は自然と身に付く」



選んだ学校はフレンチイマージョン


カナダには「英語で教える学校」と「フランス語で教える学校」とを選べるシステムがある。娘にはフランス語で授業がおこなわれるフレンチイマージョンを選んだ。

英語を家で教えないならば、英語で教える学校を選ぶのが正解ではないか?と皆さんは思うかもしれない。実際、我が家と同じで片親が日本人の家庭のお子さんはほとんどが英語の学校に通っている。

でも、あえて幼稚園からフレンチを選んだ。

理由は二つ。

一つは、夫もそれを望んだから。理由はフレンチの方が教育熱心な親が揃っているという点だったようだ。フランス語を話せるようになることには重きを置いていなかった。

二つ目は、トロント大学の名誉教授である中島和子氏や、セミナーでお会いした先生方の話を参考にし、自分なりに解釈して出した結論、ひとつの言語で語学の基礎を作ったら、あとは何カ国語でも大丈夫という持論を持っていたからだ。

そして(これは表向きではないが)、夫への嫉妬を防ぐ私なりの方法という説も、たぶんある。

学校へ通い始めれば娘は英語のシャワーを浴びる日々を送り、いずれ日本語よりも英語が強くなるのは必然だ。

そんな覚悟はとっくにできているはずなのだが、一家団欒の時に夫と娘が英語で盛り上がっている時、細かいニュアンスが解らない自分は心から一緒に笑うことができるだろうか?と心配になった。

関東の人には関西のギャグがいまいち理解できないっていうし(ちと違う?)。

くだらない対抗意識だが、それを避けるために、せめて学校にいる間は娘に別の言語のシャワーを浴びさせたいというのが私の勝手な理由だった(もちろん夫は知る由もない)。



フレンチイマージョンでの英語教育


さて、ここで「じゃぁ、英語はどなる?」という問題だ。

フレンチイマージョンでも英語という科目が小四から発生するが、そのタイミングでコロナが勃発したので、学校は6ヶ月も休校になった。つまり娘は今のところ6ヶ月間しか学校で英語の授業を受けていない。

外遊び専門の夫はバケーション(ロックダウン)中もキャンプ、バイキングなどには積極的に連れ出すが、相変わらず英語の勉強に関してはノータッチであった。焦る私とは裏腹に「教えなくても、そのうち読めて書けるようになる。だって喋ってるんだから!」の一点張りだった。

私はというと朝から夕方まで補習校(日本語)の勉強とピアノの練習をさせるだけで日が暮れてしまう日々。コロナで一日中、家にいるというのに何も特別なことができていない状況に苛立った。



英語の本を買い与える


夫は私の「英語を教えろ!攻撃」に愛想を尽かす。人は尊敬しない人から何かを強要されると死んでもやりたくない、と反発するのだ。絶対に自分では教えない!という態度は変えず(でも私がうるさいので)、、、

とうとう「本を買い与える」という作戦にでた。

ハリーポッターだ!

うちの子の年齢では既に何冊も読んでいる子だらけだったが、娘は絶対に無理だと思っていた。

ところが、一冊買い与えると娘は「読み終えた」と言うではないか!?それからは勢い付いて次から次へと続編を買ってくれとせがまれ、とうとう休校中に5冊を読みきった。


それと、コロナで友達と会えないのは寂しかろう…と、メッセンジャーキッズで友達とコミュニケーションを取らせたのも読書に拍車がかかった要因だった。どの親も学校が閉鎖中は読書させる事に力を入れていたようで、友達が読んだという本を娘も欲しがり、読みたがった。

まさか、こんな展開になるとは想像もしておらず、一番驚いているのは私自身だ。今だからそう思えるのだが、夫は「環境は用意されているのだから、できるようになるまで待つ」というのを知っていたように見える。

・・・負けた。

敗北感がハンパない。



環境の力


私はもともと環境の力を信じてきた。ピアノ習得にも環境の力は大きく影響し、ほとんどが環境の世界といってもいい。鈴木メソッド考案者である鈴木鎮一著書「愛を生きる」の中にも環境を整えることの大切さが語られていて、私はこれまでたくさんの人にこの本を勧めてきた。

全ては環境だ。人間を変えたかったらまず環境を変える。目に見える、聞こえる、身を置く環境を整えると、人間は環境に影響される生き物なので、あとは適応される日を待つだけなのだ。

音楽は環境です!と力説しておきながら、娘の英語ではそれをすっかり忘れてしまっていたことに気が付いた。情けないが、自分のこととなると客観視できない。



まとめ


結局、親が教えなくても、娘は英語を習得していた。ミステリー作成は英語の宿題だったのだが、それでも「できない」とは言わず、夜遅くまで取り組んで何とか自分で仕上げたので感心した。

日本において英語の環境を作ることは簡単ではないが、英語だけに言えることではなく、これは全てに通じることだと思う。

新しいことへのチャレンジ、何か技術を習得したい時、生活を変えたい、人生を変えたい、というような時には、まずは環境を変えることからすると最小限の努力ですむかもしれない。

✳︎

私はハリーポッターには興味がないが、いつか読んでみたい。娘に「ママにはちょっと難しいかもね〜」と言われてしまったが、せっかく英語環境に身をおいているので挑戦してみるのもアリだと思う。

そして

「何も努力せずに環境だけでどこまでいくか?」

を実験してみたくなったので!!











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