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双極性障害Ⅱ型になるまで歩んできた道 その2

どーも!モドリッチ@UPPERです!
今回は前回の続きを書いていきたいと思います。

大学生時代

高校を卒業し、希望校ではなく何とかとある大学の経営学部に入学。
まだ当時は若く、めちゃくちゃ性格が尖っていました。笑
そのため、軽音サークルを見に行った時

こいつらお遊びでウェイウェイやってるのダサすぎだろ。。。
だったらおままごとでもやっとけよ。。。

って思わず思っていました。
今考えると間違いなくサークルとかに入っとけば大学生活友達もできて楽しかっただろうにと思います笑

また入りたいと思って入った経営学部でしたが、学んでいて楽しいと思う講義も少なく、ただただ単位を取るためだけに大学に行ってた感じでした。なので授業態度もそんなに良くないし、出席を取る講義では自分の学生証を友達に預けて出席してる風にしてもらったりもしてました。
いわゆる典型的なダメな大学生です笑
もしこの記事を見てくださってる大学生が居たらちゃんと勉強しましょう。
じゃないと僕みたいに4年生になって卒業するために必死こいて大学に行く羽目になります笑
そして今後の人生を決める就活に関しては、

とにかく地元で働けて、福利厚生がそれなり整ってる営業職だったらなんでもいいかな〜

みたいな感じで就活を進めることにしました。
とりあえず内定もらうことが大切と思ってたので適当に上手いこと取り繕って、嘘と本当のエピソード半分半分くらいでやった結果、10社近く内定を勝ち取りました。その時の自分は

何だよ就活ってめっちゃ簡単じゃん!
みんな苦労してて大変そうだな〜


こんな風に思ってました。
この先とんでもなく苦しむ未来が待っているのを知らないから超楽観的ですね笑
てなわけで、自宅から1番近くに本社がある地元の電材屋の商社に営業職として入社することになります。
そうここまでは昔描いていたレールの上を順調に進んでいました。まさに理想通りでした。

社会人編

双極症発症のきっかけとなった1社目

無事大学も卒業でき、新卒として地元の商社に営業職として入社します。この時の心情として

親みたいに定年まで働いて、それなりに出世してまあまあぼちぼちの給料をもらいつつ地元で生きていければいいな〜

こんな感じで特に意気込みもありませんでした。
内定時に自宅近くの本社で勤務することになると人事の方からも言われてたので完全に安心しきってました。
ただここから運命の歯車が狂い始めます。
入社後研修を受けることになるのですが、
会社には第1営業部〜第3営業部まであり、それぞれの営業部に約1週間ほど体験入学的な感じで研修を受けることになりました。
勤務地は関して、第1〜第2営業部は自宅近くの本社、第3営業部は電車で1時間くらいかかる場所です。 
ただ私はふと思いました。

あれ?なんで第3営業部に研修に行く必要あるんだろ?まあ、あくまでこういう所もあるんだよっていう経験をさせるためだよな!

と思い込むと同時に、脳裏には

もしかして入社前と話が違って地元で働けない可能性があるんじゃないか。。。?

と一抹の不安を抱えながら配属先の公示を待ってました。
その結果、営業職として入社した4人中、自分だけ本社から離れている第3営業所に配属されることになります。

えっ、なんでなん?自分はずっとここの土地で生まれ育ってきて、実際に地元で働けるって聞いたから入社したのに。。。
しかも同期の中で唯一の地元出身の俺が遠くに行かされんの???意味わからんわ!!!!

完全に意表を突かれました。
心の中では受け入れられない現実、怒り、不安などもうそれはグシャグシャの心の状態でした。
しかし、公示されたものは仕方ないと、なんとか自分の心を押し込め第3営業所で勤務を始めることになります。
朝6時過ぎくらいの電車に乗り、駅から徒歩で出勤。朝のミーティングに出席し、その後先輩に同行して各地にいる取引先のお客様巡り。帰社後は見積書の作り方を教わりながら作成や議事録、データ取りまとめ。電話対応。その他細かな雑務。
最初はこんな感じでよくある新人社員が過ごす1日を過ごしてました。
ストレスと疲れで疲弊しつつも、自分を鼓舞して気合で乗り切ってやると何とか生きてました。
しかしある日のこと。
電話対応していたところ、何言ってるかわからないし、すぐめちゃくちゃ怒鳴ってくる取引先の電話対応をしました。
対応後心拍数は上がり、胸がぎゅーっと苦しくなりました。そして先輩社員に相談したところ

あそこの人いつもあんな感じだから気にすることないよ〜

と言われましたが、もうそこから僕は電話を取るのが怖くなります。

内勤してると電話がなる。すぐには誰も取ろうとしない。明らか新人である自分が電話取れよオーラ。だけど自分は怖くて取ろうと思っても取れない。そして取れなかった自分を責める。

こんな状態に陥ってしまいました。
それからというもの電話の音が鳴るたび、一気に胸が苦しくなり、電話恐怖症みたいな感じになってしまいました。
またその頃から当時、取り扱っていた商品に不具合があり先輩から代替品の納品を1人で行くよう定期的に頼まれていました。
そして7月某日。運命の日が訪れます。
前日に、取引先の工場の始業が始まる前に納品してきてくれと先輩社員から頼まれました。
なので前日は自宅まで社用車で帰宅し、当日朝5時には家を出発します。
慣れない社用車を運転し、荷物を集配センターから受け取り、納品先の工場へ向かいます。
そして工場へ到着し、何とか納品の指定場所を見つけて納品。
そして納品完了の連絡を先輩にしたところ、そこの工場でしてほしい作業があると頼まれ事をすることになります。
やってたことない作業だけど、メモは取った。まあしゃーない。やるしかないな。。。

そうして作業をしていると取引先の工場の偉い人から呼ばれ、物凄い剣幕で作業のことや会社のことを始め、様々な叱責を受けました。

え、なんでこんなに俺が怒られなきゃいけないん?こんなにも一生懸命働いてるのに、なんでこんな目に俺があわないといけないの?もう意味わからんわ。。。

そうしてメンタルがズタボロの中、何とか会社に戻り、先輩に報告したところ笑って流されました。
まあそんなもんかと思い、内勤の仕事を始めようとエクセルを立ち上げた瞬間です。

今まで張り詰めていた糸が完全に切れました。
ブチっと糸が切れる音まで聞こえたまでに。
そして一切身動きが取れず心と体が完全にシャットダウン。
「あっ、完全に心が壊れた。俺の人生終わった」

そうして僕の心は完全に壊れました。
先輩に熱中症になって具合が悪いです。
と嘘をつき、必死にすぐ心療内科を受診できる病院を探しました。そして何とか受診できる病院を見つけ、すがる思いで受診した所

適応障害ですね。診断書出すのでしばらく会社を休んだ方がいいですよ

うつ病は知っていたものの、適応障害という病気はここで初めて知りました。ただ自分は病気で会社を休んだほうがいいと言ってもらって安堵感で泣きそうになりました。
こうして僕は会社を休職することになります。
小学生の頃から描いていたレールから脱線した瞬間です。
そこからは本当に毎日が地獄でした。
1日中をベッドからは動けず、常に自分を責めてつづけ、

ここまで育ててもらって自分は一体何をしてるんだ。周りは一生懸命頑張ってるのに自分はどうしようもない。お父さんお母さん本当にごめんなさい。もういっそのこと。。。

こんな感じで泣いてるか、天井をただただ見上げていました。
そしてある日会社から産業医の診察を受けて欲しいと言われ、病院に行きます。
そしてその病院の人から言われたのは

たぶん適応障害じゃなくて自律神経失調症だね。
薬出しとくから定期的に来てね〜

そう言われた自分は

えっ、適応障害じゃなくて自律神経失調症って病気だったんだ。てか自律神経失調症って何??

てな感じで、また知らない病気を言われたけど、まあ医者が言うんだからそうなんだろうな〜と思いつつ、会社に報告しました。
そして定期的にその病院に通院していましたが、結局体調はあまり改善されず、9月末で退職することになります。
退職手続きをするために会社に行った際に人事の方と色々話しましたが、ごめんの一言もなく、何なら体調良くなったら遊びに来てよ!
みたいなことを言われ、心の底から会社に対して怒りや恨みの感情があったことを何となく覚えています。

仮にすぐ良くなったってどの面下げて行けっつうんだよ!!あまり舐めんなよ!!!

ってな感じで笑

また長くなってしまいましたね笑
本当はこの記事で双極性障害Ⅱ型と診断を受けるまで終わらせようと思ったのですが、また後日続きを書こうと思います!

ではまた!

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