鬱病、文学、サブカル、そして冷笑←冷笑だけ嫌すぎない?

だってよ。とくに「冷笑」とかいうワードは使われすぎて、気に食わない奴を腐す時に使う感じもあり、言葉が一人歩きしてる気もしないでもない。

鬱病は仕方ない。誰でもなるものだから。
サブカルも文学もただの趣味趣向だ。
しかし、冷笑だけは、どうにも良くないものだという感じがある。
体育祭や文化祭であまり熱を持って参加せずに、ダルそうにしながら、隅っこの方で深夜アニメの話をしているような雰囲気のある言葉だ。
一生懸命に頑張ってる人たちに対して、見下した目を向けて特に自分は何をする訳でもないくせに、文句やいちゃもんを付けるような意味で多分使われている。

鬱病と思われてもいいし、サブカル文学野郎と思われてもいい。しかし、冷笑野郎と思われた終わりだ。

だから熱い心を持ってると言わなきゃならない。
世の中気に食わない奴なんていっぱいいる。とくにSNS見てたらムカつく奴ばっかだし、何かにケチつけてる奴ばっかで嫌になる。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。
やめだやめだ他人にケチつけるのは、むしろケチつけられる側でありたい。他人に馬鹿にされたい。
私は熱い心持ってるはずなんだ、多分。決して冷笑野郎じゃないんだ。スポーツとか好きだ。あと漁師とかラーメン屋の店主とか。すごく元気だから。

熱い心を証明する手段がないや。他人にケチつけないで、私はとても良いです、ということを魅せていくしかないのでしょうね。
ヒントとしては冷笑してる漁師とか絶対いないですもん。私の理想は海の男達です。かっこいいから……。あとスポーツ選手。でも、身体が弱いので彼らのようには絶対できない。こないだ初めてライブやって外出たらそれだけで風邪引いて未だに咳が治りません。私は貧弱モヤシっ子です。でも、心の中だけは彼らへの憧れみたいなものがあるから、冷笑しそうなときは漁師の顔を思いうかべます。きっと叱ってくれるでしょう。

人間が理想を見る時って、きっと自分の近くないから見れるのでしょうね。冷笑ってある意味で、他人を分析するみたいな部分があるので、きっと他人に対してあまり興味を持たないことが冷笑から離れる事になるのかもしれない。

でも結局人の心なんてブラックボックスですから分かるわけもなく冷笑も熱狂も虚しいものですね(笑)(暗黒微笑)(冷笑)

つうかどうでもいいわ!全員4ねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
次、ウに冷笑って言った奴、タイマンしよ、名駅前集合な。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?