見出し画像

ボクっ娘のなれの果て、還暦を迎える。002:つらいぜ!ボクちゃん

このエッセイのタイトルにある「ボクっ娘」。
男性の一人称である「ボク」「僕」「ぼく」を使う女の子のこと。
ウィキペディアには「ボク少女」の一つとなっていた。でもさ、読んでるとなんか違和感がある。「ボク少女」なんて初めて聞いた。「タコ少女」とか「イカ少女」とか同系列で楳図かずおのマンガにありそうである。

多分、私の同世代が中学生・高校生ぐらいで「ボク」と使い出したのが一番最初だろうと思う。

この世代は「変体少女文字」も生み出しているのでJKはどの時代も侮れない。ちなみに、印刷所などが編集者に配布する書体(フォント)表の中に「ルリール」という丸文字が存在するが、これは1980年代の人気アイドル・おニャン子クラブの永田ルリ子の手書き文字を元にした書体である。また丸文字で「イクール」という書体があり、これもある女子高生(育子さん)の手書き文字を元に生まれた。「エツール」「ヨシール」「ノリール」もある。

ボクっ娘の起源は諸説あるが、一番はこれだと思う。
思春期に自分の中の「女性」を認めたくなく、「男の子」になりたい・扱ってほしいという願望からきている……。

私は本当に男の子になりたかった。

私の実家は代々由緒正しい漁師の網元、つまり旧家であった。その分、強烈な男尊女卑だ。跡取り息子が一番大切。女の子は末席。第一子でありながら「女中の連れ子?」のような扱いだった(両親の仲はとても良い)。だから、私は男の子になって父親に可愛がられたかったのである。そして、その関係は修復もならず、そのままで終わってしまう。今年、父が急逝したからである。

男の子になりたいと思っても、なかなか男の子のように振る舞えない。何故なら、性格的に「人見知り」「無口」「引きこもりがち」(当時まだ「引きこもり」という言葉はない)だから。マンガの世界で男の子のように振る舞っている元気な女の子に憧れた。マネをして自分を「ボク」と言ってみる。

それが、高橋亮子のマンガ『つらいぜ!ボクちゃん』だ。

画像1

「ボクちゃん」こと田島望は高2の演劇部員。女の子を意識しない女の子が、得意の「ボクちゃんポーズ」でくりひろげる青春ハツラツコメディー!(Amazonより引用)

河あきらの『いらかの波』(集英社)の主人公も元気な女の子だったが、「ボクっ娘」のはしりはやはり『つらいぜ!ボクちゃん』。でも、もう45年も前のことだから私が「ボク」と言い出した日のことを憶えていない。

ただ、今と違って、家族以外の大人にとても注意されたのを憶えている。
「女の子なんだから「わたし」と言いなさい」
そんなの決まってないじゃない!
法律で決められてるの?
自分を何と呼ぼうが勝手だろ!

当時、「ボク」はとても違和感のあることだったのだ。今思えば、どーでもいいことだと思うが、女の子に「わたし」と言わせたい大人が大多数だった。ホント、バカみたい。

高校卒業後、専門学校進学のために上京した時には自然と「ボク」と言っていたような気がする。かなり他人と会話できるようになっていたので、過去の自分を知らない東京で弾けてしまい、本当に「ボクちゃん」のように振る舞っていた。

その後、「ボク」以外にも「わし」とか「オイラ」「おら」とか、一人称がコロコロ変わった。全部、少年マンガ・青年マンガの影響だ。
でも、「オレ」「俺」だけは使わなかった。何だろう、このこだわり。

多分、「俺」を使っていた知人がダサかったんだと思う(笑)。ああ、思い出した。情報雑誌編集者の女性だったが、かなりズルくてワガママな人がいた。
「こんなヤツと同じに思われたくない」
そんなお粗末な理由であっさり男性一人称をやめてしまった。
なんだよ、ボクっ娘のポリシーないなぁ(笑)。

自分の中の「女性」を認めたくなくて、男の子になりたくて一人称を「ボク」と言い、心の中で大人たちに反発していたけど、結局は「ボクっ娘」も大人になる。歳をとる。あんなにマンガ好きで、マンガの世界に入りたくて仕方なかった中二病(当時こんな病名はない(笑))のボクっ娘も来年いよいよ還暦なのである。

そう、ボクっ娘もおばあさんになるのです。
私ら世代が初の「ボクっ娘」。つまり歴史的には初めて「ボクっ娘」が還暦を迎えるのですよ。
オタクも老眼鏡かけなきゃいけないし、腰も曲がる。もう立ち読みする体力なんて1ミリも残っちゃいませんぜ(笑)。
それでは、みんなもお大事に。

高橋亮子といえば『つらいぜ!ボクちゃん』の他に『坂道のぼれ!』『しっかり!長男』など人気連載マンガが多数あった。その中でも一番好きだったのが『水平線をめざせ!』。この物語、主人公の青年2人は実在するフォークデュオ「ふきのとう」の二人がモデル。高橋亮子はメジャーなメディアで二次創作ものを描いていたのだ(笑)。ちなみに彼女はオフコース(特に小田和正)の大ファンで白泉社の雑誌では見開き2ページのオフコースファンページを描いていた。ふきのとうもオフコースも大好きだった高校生の私は当然、その連載を読んでいた。そして約15年後、そのページを担当していた編集者と同じ編集部で仕事をすることになる。それはまた別の機会に…。

BGM by ふきのとう「白い冬」

―364日:還暦カウント

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?