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ボクっ娘のなれの果て、還暦を迎える。004:とんねるずと同い年です。

先日こんなインタビュー記事がネット上で話題になっていた。
『「とんねるずは死にました」―戦力外通告された石橋貴明58歳、「新しい遊び場」で生き返るまで』

とんねるずの二人は同い年である。同い年というのは複雑なものがある。

面識はない。取材やインタビューもしたことはない。
ファンではない。憧れたこともない。
彼らを見ていると腹が立つこともあるし、昭和36年生まれ(丑年)の代表みたいな顔をしてほしくないと思うこともある。

ただし、見ないフリも無視もできない。気にはなるのだ。嫌いにはなれないところもある。彼らがやってきた番組やコンテンツは全体的にはあまり好きではないが、とても好きなコンテンツが2つぐらいある。それは「とても好きという程度」の話だ。
彼らは、思い出したくもない「バブルの匂い」がする。

とんねるずの二人は、喩えるなら同じクラスのイケてるグループに属してる、決して仲良くはなら(れ)ないタイプの人たちなのだ。

彼らを見ていると自分が専門学校に通っている頃のことを思い出す

私が1980年に田舎から上京したのは専門学校に進学するためだった(この専門学校には寮もあったので)。インターネットもなく、今より圧倒的に情報量が少ない時代。だから、絵が描けなくても専門学校に通っていれば絵の描き方は教えてもらえると思っていた。そして、それは大間違いだった

デザイン系専門学校には「才能の格差社会」が存在していたのだ。

まず、この専門学校は東京デザイナー学院という御茶ノ水と水道橋の間にあるデカい学校であること。いろんなデザイン学科があり、私はまだ当時そこにしかなかったアニメーション科を選択した(まだマイナーなカルチャーだった頃)。

当時、入学金自体は10万円程度で(高校時代に頑張ってバイトして自分で入学金+授業料を払った。実家は金はあったが「女の子には一銭も使わない!」という男尊女卑的ケチだった)入学試験はあったかなかったかさえおぼえていない(基礎学力とか一般常識ぐらいかな)。

つまり当時は、金さえ払えば誰でも入学できる専門学校だったのだ(現在は違うと思うよ)。だから、東京デザイナー学院(略して、東デ)卒業生は本当に多かった。
それを揶揄して「石を投げれば『東デ』に当たる」と言われたぐらいだ。
入学するまでそんなことは知らない。

入学して(入寮して)回りを見たり、いろんな噂を聞いたりしているとどんどんわかってくる。
この学校に入っている人たちはざっくり言って3つのタイプに分かれる、ということが。

①幼い頃から絵を描く環境にあり、非常に絵が上手く、美大もしくは桑沢(桑沢デザイン研究所=殿上人)に入れるぐらいの実力があるが何らかの理由でそちらの学校を受けられなかった人

②世の中は好景気を自覚しつつあり、当時「大学は遊園地になった」と言われていた。チャラついてる学生は嫌いだし、手に職をつけたいし、当時の大学に学びたいことはないし、好きなアニメを学びたいと思った人

③絵やデザインに興味はないけど、大学入試に失敗して、浪人生活も就職もめんどくせーし、まだ遊びたいし、「専門学校でアニメ? マンガおもしろそうじゃね?」というチャラい自宅通い組。着てる服は何となくオシャレ

①と③の間には圧倒的に「才能の格差」がある。いや、①と②の間にだって深くて暗い河がある(「黒の舟唄」かよ。野坂昭如(のさかあきゆき)なんてみんな知らねーだろ)。↓どーでもいい参考動画w

いや、①と③が同じ学科とは思えないカオスっぷりだったのだよ。
①の人からしたら、小中高の学校生活を早く抜け出して、絵のことだけを考えたかったのに、デザイン系専門学校なのに会いたくもないチャラいクラスメイトがいて「なに?カノジョ作んないで、まだ暗い絵なんか描いてんの?」って言われちゃう感じ。でも①には天才っぷりに憧れる取り巻きもいたから③からは逃げられる様になっていたけどね。一番バカなのは②。専門学校に入学したら絵の描き方教えてもらえると思っていたのに、入学した時点で「もうほとんどの人が絵描けんじゃん!」ってビックリしちゃうタイプ。そう、私がそれやね(笑)。美大の入試するために塾があるなんて上京してから知るワケよ。ホントに育ってきた環境って大事。

2年制で、1年の時に基礎、2年生になると次の4つの選択コースに分かれる。
・作画 ・背景 ・タイトルバック ・演出、撮影、音響
コースに分かれながらも、卒業制作のためのグループメンバーを探すわけ。
①②③がうまく融合してグループになると卒業制作で素晴らしい作品が仕上がるわけだ…大概モメるけどね(笑)。

私が現在でも唯一連絡を取り合う同級生のヒロエちゃん(2年生で同じ卒業制作グループに入った)は1年生の頃から①②③融合グループで日頃から青春を謳歌していたらしい。
2017年にヒロエちゃんから連絡があり、次のようなやり取りをした。
ヒ「『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』ってアニメ知ってる?」
私「ああ、今度公開される映画かな。予告見たような気がする」
ヒ「それ、東デで仲良しだった新房くんが監督したみたいなの♪」
私「へー、あそこ卒業して今もアニメやってる人まだいるんだ。別の学年で、『蟲師』ってアニメ撮った監督さんには数年前にたまたま会ったことあるけど。すごいねー」
ヒ「卒業してから会ってないけど、1年生の頃は10人ぐらいのグループでよく遊びに行ってたよ。毎日ご飯食べたり、映画行ったり、海に遊びに行ったり。すごく仲良かったんだ♡」
私「へー(全然知らない人だなぁ)」
この話を仕事いただいている制作会社でオタク部長に話したら…
「アニメ科出身なのに、新房昭之監督の名前も知らないんですかっ!」
「え? そんなに有名?」
「当たり前じゃないですか。すごい人ですよ!」
……めっちゃ怒られた。笑われた。
というか、1年生の時はヒロエちゃんと出会ってないし、新房くんも知らないし、卒業してからアニメとは離れたので、その人がどれほどすごい監督になっていたとか知るよしもない。
ちなみに、ヒロエちゃんと一緒にいた卒業制作グループには大島明子さんという女性がいた。先述のオタク部長に勧められて映画『この世界の片隅に』を観て、めっちゃ号泣し、帰りに買ったパンフレットのスタッフクレジットに彼女の名前を見つけてかなり興奮した。彼女は作画・動画のベテランになっていた。

「とんねるず」の話はどこに行ったとお怒りの皆さん、ここからですがな。

私が属していた卒業制作グループに入ってきたユキエちゃんが③のタイプだった。全然アニメ好きじゃなさそうだし、派手でガンガン前に出るタイプ。東京都内に住む実家組。とんねるずの石橋氏と同級生だったのだ。中学なのか高校なのかは忘れてしまったが、仲は良かったらしく、とんねるずがテレビで人気が出始めた頃によく自慢していた。彼女がバイトしていたマクドナルドに石橋氏はよく現れて「ユキエちゃん、腹へったよー!ハンバーガーおごって♪」と頼んでいたらしい。

そこで、そういう話を聞いて、イメージのパズルがパチッとはまってしまう。
「ああ、とんねるずはチャラいグループに属する、そういう人なんだ」
勝手なものである。

そこから、とんねるずの人気は不動のものになったし、一時代も築いてきたのは皆さんご存じの通り。
思う存分、大衆を踊らせ、大衆に踊らされてきただろう。
私らとは別の世界の人だ。

上京してきた田舎者で、暗くて、人付き合いも下手で人見知りな自分。そんなコンプレックスを刺激され、勝手に苦手意識を持ち、見ないようにしてきた。若手芸人をたくさん取材してきたけど、自然にとんねるずは避けてこられた。

世の中が変わって、「みなさん…」が終わったのは知っていた。「木梨氏がアーティスト活動やラジオ番組やってるなぁ」というのも知っていた。
でも、「とんねるずは死にました」と言われて、ハッとした。

そうだ! 私もいつの間にか戦力外通告されていたのだ、きっと。もう10年も前に終わっていたんだ。いや、そもそも戦力だったことはあるのか、私…。とんねるずの様に一時代築いた人たちと同じにするべきじゃないな。

記事を読んで知ったこと、気づいたこともたくさんあった。
あまり好きではなかったけど石橋氏の言ってることに同意する部分。

「今、何とか世代って言ってるでしょ? 僕にはまったく分からなくて。『貴明さんたちは第3世代ですよ』とか言われると、『俺らはとんねるず世代だ!』つって。一喝してやります、生意気なことを言うやつらは」

多分、「霜降り明星」のせいやが「第7世代」とか言い出したと思うのだが、以前からこの第●世代って括り方が大嫌いだ。その括り方で番組呼んじゃう制作サイドの浅はかさも大嫌い。お笑い芸人の取材している頃。誰か知らねーけど「業界通ぶって分析してるヤツ」が安ーーいブログやってたが、てめーのつまんないジャンル分けや括り方でおもしろさ測んじゃねーよ、バーカ。

でも言っておくが私は「とんねるず世代」じゃない。それだけは強く言っておく。

日本が太平洋戦争で敗戦して、15年以上経って、高度経済成長期に入ってきて、出生率が上がってきた。どんどん子どもが増えていく。マンモス校も多かった。1クラス45人で、1学年で10クラス以上ある時代だ。その中でも昭和36年生まれって、エアポケットみたいに、ちょっとだけ人数が少ないのだ。昭和35年が11クラス、昭和37年生まれが12クラスある中で、昭和36年生まれだけが9クラス…って感じに。チカラもやる気も何となく抜けてる年だ

丑年だからかな。人数がちょっとだけ少ない分、他の歳の人よりおっとりしていると感じている。そうだな、とんねるず世代じゃなくて「丑年」ってことで(笑)。

私は石橋氏が羨ましい。彼は「とんねるずは死にました」と言い、「戦力外通告を受けた」と言うが、苦楽を共にしたディレクターからYouTubeチャンネルをやろうと誘われているではないか。

そんな人はなかなか存在しない。普通は自分から探して口説き落とさないといけない。向こうから声をかけてくれるなんて、羨ましい限りだ。誰が完全に終わってしまった人間に「始めましょう」なんて声をかけるか。終わっていない証拠だ。

とんねるずは多分、大々的に来年還暦を迎える。
私も来年、ひっそりと還暦を迎える。

石橋氏は最後まで人生が派手だ!大きな打ち上げ花火みたい。
普通ね、人生なんて静かに「終わっていく」ものですよ。
私は湿気った線香花火みたいなもんです。火も付きませんでした。
ついでにこの世には青春なんてのも本当は存在しないし、青春なんてSFなんですよ (笑)。みんな騙されてんですな。

20代、30代、40代の人はピンとこないと思うけど…。
確実に、あなたの人生もひっそりと終わっていきますからね。

だって、あなたも私もとんねるずじゃないですから
(今回は元気ない、落ち込んで終わるパターンっすね。そんな日もある)

―354日:還暦カウント

BGM by DAOKO × 米津玄師『打上花火』MUSIC VIDEO


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