魚崎 依知子

「うおさき いちこ」です。 KADOKAWA/カクヨムコン8ホラー部門 特別賞『夫恋…

魚崎 依知子

「うおさき いちこ」です。 KADOKAWA/カクヨムコン8ホラー部門 特別賞『夫恋殺 つまごいごろし』、第3回小さな今井大賞 優秀賞『お宅の幽霊、成仏させます!ー鳥取ハイブリッドADR事務所ー』発売中。

最近の記事

  • 固定された記事

「清き祈り」第1話

あらすじ県庁職員の祈は、結婚二年目。 投資家の夫、吉継は同じ町で産まれた幼なじみで、目下悩みの種でもある。 幼い頃からの夢を諦めてポスドクの職を辞め「自分探し」に没頭した結果、整骨院を経営する寺本の教えに心酔するようになってしまったのだ。 寺本が作り上げたBRPと呼ばれるメソッドは、脳に刷り込まれている成功を阻む思考回路を成功に繋がるものに書き換えてくれる、らしいのだが―― 第1話一、  色を変えたヨーグルトを掻き分け、沈めていた鹿肉を取り出す。最初がロース、次がバラ、最

    • 「清き祈り」参考サイト

      ◆トキソプラズマ症参考サイト永宗喜三郎."トキソプラズマ症とは".国立感染症研究所.2012年12月13日. https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/3009-toxoplasma-intro.html 潮奈々子・西川義文."トキソプラズマ感染とげっ歯類の行動変容およびヒトの精神・神経疾患"国立感染症研究所.2022年3月29日. https://www.niid.go.jp/niid/ja/typhi-m/iasr-r

      • 「清き祈り」第32話(最終回)

        二、 「結局、お互い古巣だな」 「そうですね。まあ私の方は繁忙期入る前に戦線離脱するので、本当に良かったのかなと思いますけど」  次年度の人事異動が発表になったのは三月二十二日、予想どおり矢上は財務課で私は人事課への異動となった。 「おい、重いもん持つな」  縛り終えた資料を持ち上げようとした私に、矢上は慌てて手を伸ばす。 「大丈夫ですよ、もう安定期ですから」 「そういう油断する奴が一番危ねえんだよ。腹も目立つようになってきてんだし、自覚しろ」  私より余程慎重で、言葉は悪

        • 「清き祈り」第31話

           車を走らせ、山へ辿り着く頃には八時近くになっていた。市内ではちらつく程度だったが、町はもう雪の中に埋もれていた。  麓で車を止め、雪明かりを頼りに車からダンボールを下ろす。悴む手は寒さ以外のものでも震えていたが、行くしかない。細かな点描を落とす雪の向こうに、黒く聳え立つ山を見る。ふと視線を落とせば、さっきより多くの化け物達が私を囲んでいた。主の帰還に、山から迎えに下りてきたもの達もいるのだろう。これはもう、幻覚ではない。  唾を飲み、ゆっくりとダンボールを抱え上げる。少しず

        • 固定された記事

        「清き祈り」第1話

          「清き祈り」第30話

           明将が携帯を鳴らしたのは、コンビニでプリンを選んでいる時だった。吉継へ夕飯に食べたいものを尋ねたら、プリンと返ってきた。もちろんこれだけではダメだから、鍋焼きうどんでも作って食べさせる。自分用には栄養ドリンクを数本、矢上が推薦してくれたものを選んだ。 「頼まれてたこと調べたけど、祈の勘は当たってた。確かにその産廃業者と契約してたらしい」 「やっぱり。ありがとうございます」  予想どおりの結果に、ひとまずの安堵をする。やっぱり「肉を集めている」のだろう。寄生虫より遥かに非現実

          「清き祈り」第30話

          「清き祈り」第29話

           診察外の来院に関わらず、院長は変わらぬ笑みで私達を迎えてくれた。受付に必要最小限の灯りを点け、診察室へ私達を招き入れる。 「それで、どうしたの?」  尋ねた院長に、吉継は不安そうな表情で隣の私を見た。 「精神的に不安定になってしまって。声を荒げたり、自分でも少し制御できない感じがあるので、やっぱりトキソプラズマじゃないかと思って」  宥めるように吉継の腕をさすりつつ、代わって症状を説明した。院長は頷き、吉継の様子を窺う。 「どんな感じかな。イライラして暴れたくなる? 怖くて

          「清き祈り」第29話

          「清き祈り」第28話

          「大丈夫ですか」 「はい。すみません、ちょっと想像してしまって」  おそらく、あの群れは部屋の中に押し寄せたのだろう。操られるようにして、突き刺して死んだのか。奴らはなぜあの時、私ではなく寺本を追い掛けて殺したのか。 「ちなみに、その寺本さんのCD以外にはどんな可能性を考えられたんですか?」 「第一の可能性は、精神的な問題でした。ただ精神科を受診したんですが、これといった病名もなく抗不安薬を処方されて『CDは捨てなさいね』で終わりました。一応、二十六日に経過報告で行くんですけ

          「清き祈り」第28話

          「清き祈り」第27話

           寺本の訃報が届いたのは、夕飯を食べ終えた頃だった。  あのあと院へ戻った寺本は意味不明な言葉を発しつつ部屋へこもり、内側から鍵を掛けて閉じこもったらしい。中から聞こえ続ける叫び声に不安になったスタッフ達は、救急車を呼び状況を見守った。しばらくして静かになったものの呼び掛けても応答はなく、結局、救急隊の到着を待ってドアをこじ開け突入した。  部屋は、血塗れになっていたらしい。血溜まりの中に横たわる寺本の手には鋏が握られていて、体中には刺した痕があった。すぐに病院へ搬送されたが

          「清き祈り」第27話

          「清き祈り」第26話

           事故でも起こしているのではと気を配りつつ帰宅したが、それらしい騒ぎは見当たらなかった。いやな予感はするが、今は追い掛けない方がいい気がする。 ――本性を現せ、お前が悪魔なんだろう!  三次元だの八次元だの商売のために利用しているのかと思っていたが、完全にそういうわけではなかったのかもしれない。あれは、冗談には見えなかった。 「一つ聞きたいんだけど、今年初物の鹿肉あったでしょ? あれをあげたのは、うちの実家だけ?」 「いや、先生にもあげたよ」  念の為に確かめてみた可能性がヒ

          「清き祈り」第26話

          「清き祈り」第25話

           翌日、吉継に連れられて向かったのは沢瀉町だった。しかも鹿峭山の中にある滝とくれば、吉継が斡旋したとしか思えない。あの一件が呪いを引き起こしたと思ったからだろうが、いらない気を回しすぎだ。私はあれ以来、一度も入ったことがないのに。  大丈夫だよ、と促す手を掴み、しぶしぶ車から降りる。滝の音は寒々しく響き、空気は凍てつくような冷たさだ。針葉樹の清々しく厳かな香りを吸い込むと、肺が冷えて小さく咳をする。見上げれば、雪を被った山が聳え立っていた。雪をまとった冬の山は、一層神々しく見

          「清き祈り」第25話

          「清き祈り」第24話

           松前から新たなメールが届いたのは、土曜の夜だった。  『契約書はありませんでしたが、請求書と領収書を手に入れました。どちらも「オーダーメイドCD制作費」で、オプションなしとなっています。電話は繋がらなかったんですが、メールを出したら返事がありました。元々、サブリミナル効果なんて扱ってないそうです。証拠にしてもらっていいと、メニュー表のPDFをもらいました』  相変わらずの優秀さと仕事の速さに感嘆する。これで、詐欺は確定か。  『ありがとうございます。欲しいものを全部揃えてく

          「清き祈り」第24話

          「清き祈り」第23話

           上司が話をつけてくれたのは家畜衛生保健所でも大学でもなく、県の食肉衛生検査所だった。所長が妻の兄らしい。それなりに気を使う関係だが文句はない。食肉衛生検査所は県中部の山麓、居住地の東部からは車で片道一時間ほどの距離だった。  所長は気さくな人で、個人的な検査をねじこむ申し訳なさを笑顔で労ってくれた。近年のジビエ料理ブームに伴い、県内でも感染症の報告が続いているらしい。E型肝炎ウイルスにしろトキソプラズマにしろ多くは加熱不足が原因であると、注意喚起の講義を受けて帰宅した。  

          「清き祈り」第23話

          「清き祈り」第22話

           私の方ですべきことは二つ、自分の血液検査と鹿肉の検査だ。猪も鹿も兎も食べている私の血液検査だけでは、あの鹿肉で罹ったとは言い切れない。まあ両者が揃っても言い切れるわけではないが、片方だけより可能性は跳ね上がる。  トキソプラズマ症の血液検査を疑われずにするとしたら、感染症内科か。すぐに検索してみると、田舎だけあって科としてあるのは総合病院に二軒のみだけだった。しかも近隣ではないし、どのみち総合病院は救急でもなければ今は紹介制になっている。  ふと気づいて、子供の頃に世話にな

          「清き祈り」第22話

          「清き祈り」第21話

          「母達は月曜日の昼に集まって、杼機さんにもらった鹿と兎を食べていました。で、これです。ジビエ料理の注意点」  差し出された数枚の紙は、ネット記事をプリントアウトしたものだ。ただ、読まなくても大丈夫だ。ジビエ料理の注意点ならよく知っている。 「私は幼い頃から山の獣を食べて生きてきたから、注意点はよく知ってる。E型ウイルスやトキソプラズマの感染、食中毒を防ぐためによく火を通して食べてって、差し上げた肉にもメモをつけておいたくらい」 「そうですか。じゃあ、トキソプラズマ感染が人の性

          「清き祈り」第21話

          「清き祈り」第20話

           明将は、祖父の殺害動機を「認知症症状を理由に猟銃返却を勧めた家族に激昂した」ことにしていた。確かに無理心中よりは動機づけに無理はない。年相応に物忘れや記憶違いは出ていたし、同じ話を繰り返すようなところはあった。  同居していないから正確には分からないと前置きしつつ、問われた刑事にはそんな話をした。人一倍猟銃の取り扱いに厳しかった祖父を凶行に突き動かした理由としては、「認知症」は説得力があるだろう。認知症の有無は司法解剖で脳を調べれば分かるのでは、と思ったが、祖父は頭を撃ち抜

          「清き祈り」第20話

          「清き祈り」第19話

           夜間救急で対応したのは、前回とはまた違う医師だった。研修医か、私よりも若く見えた。朴訥な雰囲気の育ちの良さそうな男性だ。私の嘘をどれくらい信じてくれたか分からないが、素早く縫合に取り掛かった。  「きれいな傷」だから塞がるのも早く、抜糸は十日ほどでできるらしい。ひとまず来週火曜日の外来受診を言い渡されて終わった。  処置室を出ると、安堵した表情の吉継が迎える。無事に処置が終わったことを告げ、隣に座った。血に染まったニットの袖を下ろし、ようやく落ち着いた体を吉継に寄せる。吉継

          「清き祈り」第19話