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「清き祈り」第20話

 明将は、祖父の殺害動機を「認知症症状を理由に猟銃返却を勧めた家族に激昂した」ことにしていた。確かに無理心中よりは動機づけに無理はない。年相応に物忘れや記憶違いは出ていたし、同じ話を繰り返すようなところはあった。
 同居していないから正確には分からないと前置きしつつ、問われた刑事にはそんな話をした。人一倍猟銃の取り扱いに厳しかった祖父を凶行に突き動かした理由としては、「認知症」は説得力があるだろう。認知症の有無は司法解剖で脳を調べれば分かるのでは、と思ったが、祖父は頭を撃ち抜いて自殺していた。
 職場には家族葬と告げ、忌引き休暇を一週間もらった。役所関連の手続きは全て篤に任せ、私は葬儀を受け持った。町の世帯で一度に四人の死者を出すのは、自然災害を除けば我が家が初めてだろう。家族葬と周知したことで弔問に訪れたのは親族のみだったが、そこかしこで整田がひたすら杼機に頭を下げ続ける地獄のような光景が繰り広げられた。
 ただ私はそれより、棺の上に一体ずつ乗ったあの化け物達の幻覚を見ていた。化け物達は烏ほどの大きさになって、時折棺をつついていた。いつものように、私を呼ぶ幻聴もあった。
 化け物も含めて何もかも全て幻ならと願ったが、事実だけは手元に残る。寺へ預けた骨壷は四つ、一つも欠けていなかった。
 篤と話し合い、実家は清掃を入れたあと更地にして売り出すことに決めた。思い出はあってもとても一人では暮らせないと泣く篤に、反対する気は起きなかった。
 保険金や相続手続きは、私より事務作業に強い篤の方が向く。全て任せるのは心配だったが、忙しい方がありがたいと苦笑したのは本心だろう。私だって同じだ。全てを明らかにするまで、事実に辿り着くまで折れるわけにはいかない。思い出に咽び泣いて暮らすのは、まだ先だ。このままでは、終われない。
 六日目の夜に自宅へ戻り、久しぶりにパソコンのメールをチェックした。既に過去の日付になっていたCDの予備鑑定結果の知らせを慌てて開いたあと、崩れ落ちた。
 あのCDには、サブリミナル効果など加えられていなかった。

 『分かりました。契約書か領収書がどこかにあるはずなので、カルテチェックより先にそちらを探します』『ありがとうございます。よろしくお願いします』
 松前へメールを送り返し、一息つく。傍らに積んだ新聞は、留守にしていた間のものだ。実家でも読んだが、うちの事件は見事に隠され、地方版の片隅に『猟銃で家族を殺害』と出ていた。認知症を理由にしたためだろう、犯人も殺害された家族の名前も書かれていなかった。
 代わって大きく長く報道されていたのは、水薙町で起きた放火殺人事件だ。こちらは被害二軒、子供を含む住人数人が命を落としたこともあって現場写真入りで大きく報道された。犯人は近くに住む女性で、放火後に焼身自殺したらしい。
――悪いな。一番つらい時に何もしてやれなくて。
 先週の土曜日に連絡をくれた矢上は、訃報の報告に苦しげな声を出した。でもその連絡は、私の怪我を心配してだけではなく佳代子の入院を知らせるものでもあった。あのあと尋常ならざる妻の様子に不安を抱いた矢上は、夜のうちに精神科へ入院させていた。苦渋の決断だったはずだが、連絡がないところをみると落ち着いているのだろう。
 久しぶりに響いた呼び鈴に、びくりとする。吉継がいれば頼みたいところだが、今は杼機の家へ行っている。腰を上げて、リビングへ向かった。
 マスコミや警察ではないと願いたいが、分からない。おそるおそる、インターフォンのモニターを確かめる。そこに映っていたのは、和徳だった。

 今日は金曜日だから学校はあるはずだが、サボりか。多分矢上は知らない気がする。
 和徳は礼を言って差し出したコーヒーを受け取り、一口飲んだ。今日も前回と似たような黒っぽい服装だったが、首元にヘッドフォンはない。あの日お持たせする予定だったらしいヘッドフォンは、置いて帰られていた。母親の状況と火事のいざこざでそれなりに疲れているのだろう。顔色はあまり良くない。
「怪我の具合は、どうですか」
「ああ、うん。大丈夫。きれいな切り傷だからすぐに塞がって、来週には抜糸できるみたい」
 そうですか、と答えたあと少し迷うような表情を浮かべる。矢上には話していないらしい、単身での訪問だ。
「前回も話したけど、これは私が勝手に作った傷だから。お母さんを責めるつもりはないよ」
「ありがとうございます。でも、そうではなくて……加害者の立場で、すごく失礼なことを言うんですけど」
 和徳は向かいのソファで頭を下げたあと、気持ちを落ち着けるようにコーヒーを口へ運ぶ。私も、自分のマグカップを傾けた。きっと、思うところがあるのだろう。私にできるのは最後まで逃げずに話に付き合うことくらいだ。あのCDになんの効果もないと分かった以上、寺本の言い分を全て信じることはできない。でも今、残るところは呪いしかない。
 松前に頼んだ件は別として、不本意だが寺本の暴力的な儀式を受けるしかないのだろう。私に憑いているものと呪いを言い当てたのは、寺本だけだ。神主は祓えなかったし、通夜を頼んだ菩提寺の住職も知ったような口で慰めるだけだった。
――悪いものなど、何も憑いておられませんよ。気高く美しい魂です。
 憔悴した私に掛けられた声は穏やかだったが、残酷でもあった。
「母は確かに気性の荒いところはありますけど、こんなことをする人ではないんです。言い訳っぽいけど、本当なんです。事件の前から、急におかしくなってたっていうか」
 まっすぐそこへ切り込んできた和徳に、コーヒーが紋を打つ。
「それは、矢上さんにも聞いてたよ。近所がごたついてて、少し苛ついてるみたいだって」
「そうです。でもそれも、今考えてみるとちょっとおかしいところがあって」
 言い逃れをするわけではないが、やはり全てを打ち明けても救われるとは思えない。たとえ事実だとしても、証明できないのだ。私も、責任の取り方が分からない。
「放火した家のおばさんもされた家のおばさんにも、俺と年が変わらない子供がいます。小さい頃から家族ぐるみで家を行き来してる、仲のいい人達だったんです。事件の前にその二人が取っ組み合いのけんかしたらしいんですけど、とてもそんなする人達じゃなかった。放火を含めてどうしてなのか、どっちの家の友達も本当にわけが分からなくて呆然としてて。ただどっちのおばさんも、けんかする少し前からやっぱり様子がおかしかったって」
 「おかしくなっていた」のは、佳代子だけではなかったのか。呪いならなんでもありだと投げ出していたが、もしかしたら何かの法則があるのかもしれない。
「聞いた話をまとめてみると、けんかしたのが先週の水曜日で火曜日にはもうおかしかったって。うちも確かにそれくらいだったんです。いつもは弁当箱出し忘れてたら『出せよ』って言われるくらいなのに、その日は包丁持って部屋に乗り込んできて『誰が作ってやってると思ってんだ』ってキレて。目が血走ってて、俺を見てるのに見てないみたいな感じでした」
「けんかした二人は?」
「ちょっとややこしいんで、AさんBさんってします。Aさんはクラブチームのコーチにすごい馴れ馴れしく迫りだして、慌てて引き剥がしたって言ってました。酒飲んで迎えに来たのかと思ったって。Bさんは同居してるばあさんにすごい剣幕で怒鳴り散らして以来、血の気が多い感じだったみたいで。この二人、けんかしたあと放火騒ぎを起こしてるんです。BさんがAさんの家に放火しようとしたんですよ。放火は未遂だったから大事にしないようにって近所で話し合って収めたんだけど、放火されかけたAさんが警察にチクってしまって。それで『なんで言ったんだ』って周りに責められたAさんが、Bさんの家に放火してBさんを殺して自殺って流れです」
 責められた腹いせに放火、は確かに普通ではない。そのあとの焼身自殺もだ。
 でも佳代子や彼女達に私の呪いが降り掛かったのなら、なぜ矢上は逃れたのか。顔も見たことのない彼女達より、余程近い。朝岡達はみな男性だから、性別で振り分けたわけでもないだろう。
「それで何か変わったことがなかったかって母の行動を辿った時、思い出したんです」
 切り出した和徳は、真剣な視線で私を見据える。頷く私に、傍らのデイパックからファイルを取り出す。中から数枚の紙を引き抜いて、私の前に置いた。

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