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「清き祈り」第24話

 松前から新たなメールが届いたのは、土曜の夜だった。
 『契約書はありませんでしたが、請求書と領収書を手に入れました。どちらも「オーダーメイドCD制作費」で、オプションなしとなっています。電話は繋がらなかったんですが、メールを出したら返事がありました。元々、サブリミナル効果なんて扱ってないそうです。証拠にしてもらっていいと、メニュー表のPDFをもらいました』
 相変わらずの優秀さと仕事の速さに感嘆する。これで、詐欺は確定か。
 『ありがとうございます。欲しいものを全部揃えてくれたんですね。ただ、それを松前さんが持っているのは危ないと思うので、こちらで預かります。会えませんか』
 調べたことがバレていなくても、これからバレる可能性はある。これ以上は、巻き込まない方がいい。松前はすぐに了承を返し、駅裏のコンビニを指定した。
「ちょっとコンビニでお菓子買ってくる。欲しいものある?」
 部屋を覗いた私に、吉継は眩しいモニター群から視線を移す。デスクの周りにモニターは六つ。それで何を見ているのか、私は未だによく分からない。
「おいしそうなナッツがあったら買ってきて」
「了解」
 短く答えてドアを閉め、寝室へ向かう。あれ以来ちゃんと閉まっているクローゼットを横目に、コートを羽織る。あの鹿肉を食べた者への処分が一通りすんだから、は呪いに毒され過ぎだ。幻覚症状が落ち着いただけだろう。
 コンソールの引き出しから、この日のために準備しておいた茶封筒を取り出す。時間を確かめ、松前の待つコンビニへ向かった。

 久しぶりの松前は、店の前で心細そうに私を待っていた。私を見るなり花が綻ぶような笑顔を浮かべて、嬉しそうに手を振る。私にはないかわいらしさが胸に沁みる。外でするには少し物騒な話だから、車の中へ呼んだ。
「ごめんなさい、わざわざ出てきてもらって」
「いいんです。私も早く渡さなきゃって思ってましたし」
 松前は、足元のバッグから取り出したクリアフォルダを差し出す。
「何かありましたか?」
「いえ、そうじゃないんですけど。犯罪の証拠握っちゃったって思ったら、急に怖くなって」
 受け取りつつ尋ねた私に、年相応の反応を見せる。よく分かっていなかった事の大きさを、ようやく自覚したのだろう。向こう見ずではないから、暴走することはない。
「そうですよね。危険を顧みず、こんなに協力してくださってありがとうございました。本当に、助かりました」
 それでも、その若い正義感がなければこの証拠は得られなかった。本当に感謝している。
 室内灯で確かめた書類は、請求書と領収書の原本とメールのコピー、メニュー表のPDFだった。メールコピーの宛先はペンで黒く塗り潰してある。
 とはいえ、迷惑を掛けないとは限らない。これは一旦引き抜いておいた方がいいだろう。
 改めて礼を言ってバッグへ収め、代わりに茶封筒を取り出す。これ、と差し出した私に、松前は驚いた様子で身を引いた。
「もちろんですが、あなたがお金のためにやったとは少しも思っていません。私はこの証拠を元に誠実な対応を求めるつもりですが、先生の反応によっては警察の介入も考えています。そうなった場合に、あの整骨院がどうなるかは保証できません。これは協力してくれたことへのお礼であり、何かあった時の迷惑料でもあります。私は、正しいことをした人が損をするのは嫌いなんです。受け取ってもらえると助かります」
 私をじっと見据えていた松前は、決意したように頷く。
「ありがとうございます、いただきます」
 伸ばされた手に無事渡った茶封筒を見て、ほっとする。今後、整骨院を辞めなければならない可能性は当然出てくる。余裕がなければ、よく吟味せずに次の勤務先を決めてしまうかもしれない。時間の余裕は提供できないが、これで多少、金銭の余裕はできたはずだ。
「すみません。じゃあ私、行きますね」
「はい。本当に、ありがとうございました」
 また礼を言った私に頷きつつ、松前は車を出る。駐車場の明るい照明を浴びて手を振ったあと、小走りで店の角を曲がって消えた。
 一息ついて鍵を引き抜き、私も車を降りる。
 原本をコピーして、レジでレターパックを購入して、原本を入れて明将へ送る。
 これからすべきことを頭の中で箇条書きにし、コンビニへ向かった。

 マンションの駐車場へ車を止め、時計を確かめる。九時過ぎに出て、十時前。まだ怪しまれる時間ではないだろう。エコバッグの中を確かめて、一息つく。コンビニではナッツ数種類と、ウイスキーに合いそうなチョコ系の菓子をいくつか買った。ただ、これを味わう前に最後の項目を処理しなければならない。
 気合を入れ、携帯を取り出す。最近はまるで関係良好かのような頻度で通話しているが、仕方ない。明将を選んだあと、自然に寄る眉間の皺を均して深呼吸をした。
「携帯に祈の名前が出ると脈拍が乱れるんだよ」
「そろそろ不整脈のお年頃だからじゃないですか」
 遠慮のない悪態を打ち返し、苦笑する。さすがに近頃は控えめだったから、久しぶりだ。
「それで、今日は何? っていっても爆弾しか投げてこないからなあ。聞きたくないんだけど」
「そんな大したことじゃありません。ちょっとした事後連絡ですよ」
「もう災いの予感しかしない」
 まあ拒否されないように事後報告にしたのだから、間違ってはいない。信頼度で言えば篤に預けるべきだが、篤では背負いきれないものだ。
「寺本は、なんの変哲もないCDにサブリミナル効果があると嘘をついて院で販売していました。詐欺の証拠書類の原本を先程ポストに投函しましたので、明将さんが保管しててください」
 明将は少し間を置き、何かを考えているようだった。おそらく私の考えに当たりをつけているのだろう。
「まだ警察に持ち込む気はない、ってことか」
「はい。本当は全力で持ち込みたいところですが、幸い被害額はそれほど大きくありません。寺本が全ての購入者に対して誠意を持って謝罪と返金を行うのであれば、それで済ませようと思います。本当は、次の被害を生む前に叩き潰したいんですけどね」
「あれは素直に言う聞くタイプじゃないよ。根っからの商売人だし、割とがめつい」
 私もそう思ったから、原本の方を明将に預けたのだ。
 寺本は手を変え品を変え、吉継から金を吸い上げている。盲目的な信頼を利用して言葉巧みに騙し、既にいくら奪ったのか。詐欺を行っている以上、「いくらでも出すと言ったから」は通じない。
「明日その話をするつもりなんですけど、儀式で結局ぶっ叩かれそうなんです。もしかしたら殺されて、手持ちの証拠ごと消されるかもしれません。そんなわけで、死んだら明将さんにあとをお願いしようと思って」
「今死なれると俺の計画が狂うんだよなあ。せっかく恩売っといたのに」
「言うと思いました」
 予想どおりの反応に苦笑する。ドライな付き合いだが、ある意味では一番私の利用価値を分かっている相手なのかもしれない。
「兄の俺が言うのもなんだけど、あいつには勝てない賭けに命を懸けるほどの価値はないよ」
「それでも、好きで一緒になった人ですから。まだ愛想が尽きないんですよ」
 バカだなあ、と笑う明将に、そうですね、と小さく返す。頭では分かっているのに、心が納得しない。「最初から愛されていなかった」なんて、すぐには無理だ。携帯を握り締め、長い息を吐く。
「私が死んだら、篤をよろしくお願いします。あの子は私と違って優しい子なので」
「いや、俺は弱い奴に目を掛ける趣味はないよ。まあ祈はぶっ叩いても刺しても死ぬようなタマじゃないから、心配してない。地獄に落ちても戻ってくるでしょ」
「そうですね」
 項垂れつつ答え、弱気に傾いていた胸を立て直す。寺本は、と続いて聞こえた声に体を起こした。
「施術休止の補填として、俺からも五百万巻き上げたんだよね。杼機はいつからそんな『お人好し』な家だと思われるようになったのかな」
 久しく感じたことのない圧に、思わず背筋を伸ばす。忘れていたわけではないが、明将は杼機の跡継ぎだ。吉継とは背負うものが違う。寺本は、吉継と同じでチョロいと思ったのだろうか。でもそれは、それは間違いだ。
「とりあえず明日がんばって生き延びたら、あとは俺に投げていいよ。始末はつけるから」
「明日は生き延びる必要があるんですね」
「やっぱりこう、たとえ御礼参りされるとしても『ボコられた祈を見てみたい』って欲を抑えきれない」
 変態か、と突っ込むのはさすがに気が引けて飲み込む。
「じゃあ、生き延びたら連絡します。原本はレターパックで送ったので、明日には着くと思います」
 了解、と返された短い答えを最後に通話を終えた。
 いつものことだが明将との電話は疲れる、と向こうも思っていることだろう。首を回し、蓄積した疲労を分散させて車から降りる。
「ほんとに、地獄から戻ってこられたらいいんだけどね」
 ぼそりと呟き、誰もいない駐車場をロビーへと向かった。

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