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デザイン思考の考古学 ―なぜ人間中心主義なのか?― #204

前回の記事では産業革命から1960年代頃までのデザインの歴史をまとめながら、デザインが商業主義に偏っているのではないかという考察をしました。

今回は1960年代以降のデザイン、特にデザイン思考の歴史を調べてみました。すると、デザインとデザイン思考は似て非なるものであることや、デザイン思考が人間中心主義を掲げる理由が分かりました。


デザイン思考の黎明期

デザイン科学

1960年代からデザインにおけるプロセスや方法論を研究する人たちが現れました。彼ら(L・ブルース・アーチャーなど)がデザイナー特有の考え方をデザイン思考と呼ぶようになったことがデザイン思考の始まりです。また、1969年にはハーバート・サイモンが「デザイン科学」を提唱し、デザインを「既存の環境を改善して、望ましい環境に変える(最適化する)プロセス」と定義しました。

Wicked Problems(厄介な問題)

1973年、ホースト・リッテルは『Dilemmas in a General Theory of Planning』という論文で、社会が複雑化している状況をWicked Problems(厄介な問題)という言葉で表現しました。つまり、方程式を解けば最適解が求まるという考えは幻想であり、現代社会では全てを一発で解決してしまう万能な解決策(Silver Bullet=銀の弾丸)は存在しないことが知られることになったのです。そこで、厄介な問題に立ち向かう手段としてデザイン思考が注目されることになりました。

デザイン思考の発展

厄介な問題に取り組むべく、さまざまな手法が提案されてきました。まず、北欧で生まれた参加型デザイン(スカンディナヴィアン・デザイン)では、ユーザーを巻き込む手法が始まりました。次に、ドナルド・ノーマンがユーザー中心デザインを唱え、ユーザーエクスペリエンス(UX)を考える視点を生み出しました。さらに、サービスデザイン人間中心デザインといった派生形も生まれました。こうした発展をしていく中で、デザイン思考のプロセスとして人間そのものを理解する必要性が生じ、人類学や行動経済学、マーケティングの知見も取り入れられていきました。


デザイン思考の本質とは?

ここまではデザインからデザイン思考が派生して、デザイン思考も独自の発展を遂げてきたことを見てきました。こうした歴史を踏まえると、デザイン思考の本質は①人工的にひらめきを起こす方法論、②人間中心主義的な考え方にあると言えます。

1. 人工的なひらめき

問題発見から問題解決をつなぐアイデアをデザイナーはどうやって思いついているのかをまとめて方法論にしたのがデザイン思考の始まりでした。たとえば、デザイン思考で代表的なデザインツールである「ブレインストーミング」は、デザイナーがアイデアを考える時の行動を真似ることで、同じようにアイデアをひらめくことを期待しています。

ナイジェル・クロス曰く、問題と解決策をつなげるアイデアを思いつくには創造性の飛躍(Creative Leap)が必要です。しかし、科学的・論理的な思考法である演繹法や帰納法では突飛なアイデアを思いつくことは困難です。そこで、アブダクション的な思考をデザイナーが採用していることを明らかにしました。(アブダクションについては以下の記事を参照)

デザイナーのアイデア発想法をデザインツールとアブダクションとして整理し、これらを使うことでデザイナー以外でもデザイナーのようなひらめきを人工的に起こそうというのがデザイン思考の狙いです。


2. 人間中心主義

なぜデザイン思考は人間中心主義を掲げるようになったのでしょうか? その理由としては①誰かのためという視点を意識するようになったこと②モノからコトにデザインの対象が移ったこと、の二つの変化が挙げられるでしょう。この二つの変化が起きた理由を社会的な背景から考えてみます。

・第二次世界大戦の反省
デザインの起源は産業革命(1750~1850年頃)以降であり、機械で大量生産するモノの美しさと機能性を良くすることを目的としていました。その後も1950年代までは、ル・コルビジェなどの建築家がデザインをしていたように、デザイナー自身のアイデアをそのまま形にすることが主流でした。

なぜなら、インターナショナルスタイルという考え方に代表されるように、全世界で使われうる究極のデザインがあるはずだと考えられていたからです。これは当時ヘーゲルやマルクスに代表される進歩史観的な思想が支配的であったため、デザインにも「正解」があり、それは西洋的な文化圏にあるという考え方だったからだと推測されます。そのため、(欧米の)デザイナーの独断でデザインすることが当たり前だったのです。

しかし、第二次世界大戦で進歩史観を悪用した優生学が大量虐殺に繋がったこともあり、「一つの正解があってその正解に最も近づいているのは西洋文明だ」という進歩史観が疑われるようになりました。そこで次の常識となったのが、一人ひとりの考えを尊重する相対主義でした。ちなみに、この相対主義の流行の先駆けとなったのは、文化人類学者のレヴィ=ストロースです。つまり、デザイン思考において人類学のエスノグラフィーが使われるのも、人間中心主義が唱えられているのも、現代が人類学由来の相対主義の時代であることが関係しているのです。

・相対主義の時代の「正解」
「一人ひとりが正解」の相対主義の時代では、デザイナーだけで考えてもユーザーにとっての「正解」は分からないということになります。よって、「ユーザーに何が欲しいのかを直接聞かなければならない」という前提から、参加型デザインやユーザー中心デザイン、人間中心デザインが生まれました。

「一人ひとりが正解」ならばモノの形状だけを考えていても「正解」にはたどり着けないので、モノとユーザーの関係性を考える必要も出てきます。よって、ユーザーがモノをどう使うのかというユーザーエクスペリエンスをリサーチ・デザインすることに重きが置かれるようになります。

こうしてデザインの対象がモノからコトに移ったことが、実はデザインとデザイン思考を分ける大きな転換点だったのかもしれません。デザインは大量生産するモノを扱っていたことから、デザインの成果を設計図などで複製ができました。しかし、「一人ひとりが正解」の時代でコトをデザインする場合は、ある人に対して「正解」のデザインをしても他の人にとって「正解」とは限らないので、複製ができません。モノからコトにデザインの対象が移ったことで、デザインは必ず「誰かのために」を想定する運命になったのです。ペルソナなどでユーザー層を想定するのも納得ですね。

・「誰かのために」は誰が決める?
ところで、デザインはアートと比較されることがあります。この二つの違いの説明として、アートはアーティストの自己表現であるのに対して、デザインは誰かのニーズを満たすためであるというのがあります。デザインが人間中心主義を掲げている以上、デザインは「誰かのために」を考えることになります。

では、誰かのためというのは誰が決めるのでしょうか? デザイナーがその対象を決めていいのでしょうか? はたまたデザイナーは社会の要請に従って対象を決めるしかないのでしょうか? 実は時代によってその対象は変わってきました。

「誰かのために」が国家のためになる時もあります。デザインは戦争に利用された過去もあり、国威発揚のプロパガンダを効果的にするために役立ちました。たとえば、ソビエトや日本も当時の最先端技術である写真のフォトモンタージュを活用しました。

アレクサンドル・ロトチェンコ「レンギスあらゆる知についての書籍/国立出版社レニングラード支部の広告ポスター」(1924)https://nostos.jp/archives/102611

「誰かのため」というのは一見すると利他的に見える宣言ですが、実はその奥にある利己的な思惑を隠していることがあるものです。国民のためといいながら、一部のお偉いさんのためになっているかもしれない。消費者のためといいながら、企業の利益を上げるためになっているかもしれない。

人間中心主義でさえも現代社会の常識なだけです。その人間中心主義も実は西洋中心主義(白人男性主義)ではないかという批判があったり、人間中心主義も人間のエゴであって人間も地球全体の一部であることを自覚するべきという主張もあります。

はたして「誰かのため」の誰に「正解」はあるのでしょうか? 特定の人間のため? 人類全体のため? 人間以外の動物のため? 地球環境全体のため? 相対主義の時代の現代では、「『正解』は人それぞれ」というのが結論なのでしょうけれど。「誰かのため」の「誰」を決めるのが実は一番厄介な問題なのかもしれません。


まとめ

デザイン思考は、デザインからデザイナーの考え方の部分を換骨奪胎したものです。前回の記事で「デザインは(見た目の)美しさと機能性を両立させるもの」と定義しましたが、デザイン思考では機能性の部分をより重視するようになりました。これはデザインの対象がモノからサービスなどに移ることで、見た目を良くするという側面が薄れていったからだと思われます。

また第二次世界大戦を経て進歩史観から相対主義の時代に移り変わったことで、デザイナー自身が究極の美や機能性を考えるインターナショナルスタイルから、ユーザーのニーズを重視する人間中心主義へと移りました。

デザイン思考はデザインを起源にもちますが、別物と考えた方がいいのかもしれません。ただ、今はデザインをする人もデザイン思考を使う人も同じ「デザイナー」と呼ばれており、両者の区別があいまいな気がします。誰かデザインという単語をデザインしてくれませんかね?


主な参考文献
・Stefanie Di Russo『A Brief History of Design Thinking: The theory [P1]』訳者:角 征典

・小田 裕和『連載「デザイン思考のルーツから、その本質を探る」』

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