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パーソンズ美術大学留学記 Week6 #072

自己紹介はこちら


毎日学んだことをメモしているツイートを引用しながら、2021年10月4日~10月8日(Week6)を振り返ってみます。

Week5はこちら↓


Design-Led Research(Sensemaking&Synthesis編)

今週のテーマは「Sensemaking & Synthesis」でした。これまでの「How Might We Question」「World Cafe」「Provotype」「Semi-Structured Interview」などで集めたデータをどのように解釈していくかについてです。ここで集めたデータの解釈が上手くいけば、問題の解決策がよりスムーズに思いつくようになるようです。

SensemakingはObservation、Patterns、Abduction、Insightの4つのステージに分けられます。現状をありのままに理解して、集めたデータを似た者同士でまとめていって分類していきます。そして、分類したデータ同士を関連付けていき、何かしらのインサイトを得る、というのがSensemakingの大まかな流れです。

この時に「How Might We Question」で定義した質問に答えていないと悩む必要はありません。データを集める前には思いつけなかった問題定義やインサイトができているということなので、むしろ喜ばしいことです。

そして、インサイトを"Bake"していきます。日本語ではアイデアがまとまることを「煮詰まる」と言いますが、英語では「Bake(焼く?)」と言うみたいです(オーブンでじっくり?)。とにかくインサイトを煮るなり焼くなりして、さらに質の高いインサイトにしていきます。ただし、これには時間がかかり、いつ思いつくかもわからないので、アイデアがまとまる「その時」をじっくりコトコト待ちます。


Ecosystem of Hate

"Ecosystem of Hate"を直訳すると、「憎しみの生態系(連鎖)」。つまり、「憎しみが憎しみを生む」ということについての授業を受けています。この授業では、社会問題から憎しみが連鎖する様子を見ていっています。

例えば、「女性を嫌悪するモテない男性」を指す"Incel"による女性に対する憎悪や犯罪が例に挙がりました。もちろん、「モテない」ことから感じる不快感を女性に向けていいわけはなく、彼らが実際に何かしらの行動を起こしたら許されることではありません。ちなみに、授業で紹介された参考動画はこちら。



ただ、彼らが犯罪を犯すまでに至るのは、彼らに全ての原因があるわけではないと考えてみることも必要だと言います。「モテない」ことを馬鹿にする文化、経済的に「モテる」ために必要な年収を稼げない景気など、Incelとされる人々自体が諸悪の根源だと非難するのは的外れかもしれないと意識することが必要です。彼らも何かの社会的問題の「被害者」で、孤独に苦しむ一人の人間であるかもしれないという視点を忘れてはいけません。

個人的には仏教と結びつけて考えたくなります。三毒(貪瞋痴)が人々を苦しめる要素であること。憎しみが憎しみを生むという因縁が続いていくこと。その対処法は、自らの渇愛や邪見に気付いて、少しでも善行為を積み重ねること。そうすることで自分から憎しみの連鎖を断つことを試みるのが仏教の行いです。どんなに嫌いな相手でも「その人も本当は幸せになりたいのだけれど、幸せになる方法を知らずに苦しんでいるのだ」と解釈して幸せになりますように祈る(介錯する?)という、慈悲喜捨の心を持てるように精進していきたいです。


デザイナーの役目とは?

引き続き「デザイナーのマインドセット」を学んでいます。今回のテーマは"Emergence"。日本語にすると「創発」と訳されるのでしょうか。なかなか掴みづらい概念なので、良い説明が思いつけばいずれ記事にします。街の例だと、住民や店舗は移り変わるけれどその町の空気感や雰囲気は残り続けることなどが"Emergence"だそうです。この概念はSteven Johnson氏のTED Talkでも紹介されているので、参照してみてください。


また、進化論的な視点で世界を見ることも教わりました。長い目で見ると自然淘汰を経た結果、"Fitness"(適応度)が高いものが生き残ります。遺伝子のみならずデザインも含めた全ての事柄がこの自然淘汰にさらされていると考えた場合、デザインのあるべき姿は何かという問いが生まれそうです。

デザイナーが汗水たらして生み出したデザインにも自然淘汰(ある種の「修正力」)が働いて、デザイナーが介入した効果は次第に薄まってしまいます。そんな荒波に揉まれながらも「自然淘汰」を生き延びて世界を良くする「ミーム」を生み出そうとする試みを、デザインと呼ぶのかもしれません。

デザイナーがすべきことは、環境を整えること(make context)と、方向やゴールを示すこと(create direction)。抽象的かもしれませんが、非デザイナーの私にとっては指針になる定義です。私が気にいった表現は、デザインは植物を育てるのと似ているということ。人間ができるのは、土を耕したり、種を植えたり、水をやったりすることだけ。つまり、「人間(デザイナー)」ができることは限られていて、できることをした後は「植物(デザインした対象)」が勝手に育つのを見守るしかないのです。

その際には信頼関係を築くことも大切だと言います。元々のシステムを尊重して過剰なリーダーシップを発揮しないという姿勢は、下手したら「あのデザイナー何もしてないじゃん」と思われかねないということです。「泣いた赤鬼」の青鬼のような悲劇が起こりうるということでしょうか。


What is care?

「Care」についてのパネルディスカッションで聞いた話についてです。この話を聞いて思い出したのは、Giverは最も成功する一方で、最も成功しにくいタイプでもあり、この差を分けるのは、自分を犠牲にしているかどうかであるということ。自分が溺れていては溺れている人を助けられません。自分を大切にすることは、周りを助ける上での最低条件ですね。


なぜその服を着ているの?

英語が第二言語である学生向けの英語の授業では、パーソンズ美術大学の様々な学部から集まっていて、毎回各学部の学生が用意したテーマでディスカッションをしています。今回はファッション系の学部の学生が担当し、テーマは「あなたのお気に入りの一着」でした。

私が選んだのは、ネイビーのアウター。理由は、着回しが利くからです。夏でも冬でも着れるし、フォーマルな場面でもカジュアルな場面でも着れる。どんなインナーやボトムスとも合います。

というのも、キャリーケースに入る量しかNYに移住する際に持ってこれなかったので、ワードローブをかなり絞る必要がありました。おかげで私のワードローブはモノトーン+ネイビーの服ばかり。何も考えずにトップスとボトムスを組み合わせても、それなりのコーディネートになるように厳選しました。

自分のワードローブを見直してみると、あらためて自分がミニマリストになろうとしていることに気付きました。「色んな服を買い足そう」というよりも、「この服は捨てても大丈夫だな」という思考になっています。キャリーケースに入る以上の量は持てないという制約条件が、ミニマリズムに拍車をかけている気がします。

この授業を受けてから「ミニマリスト 服」で検索するのがマイブームになっています。オールブラックにすればもっと減らせるかもとか、毎日同じ服でもいいのかもとも思い始めています。

他の学生で印象的だったのは、「ファストファッションを避けたいから」というサステナビリティを意識した理由で服を選んでいたこと。「買い物は投票」という考え方もあるように、自分の着る服を日々選ぶことも社会をデザインする一つの行動であることに気付きました。


まとめ

というわけで、Week6を終えました。システム思考がどの場面でも役に立つと感じる日々です。「ありがた迷惑」や「お節介」と思われないで「痒い所に手が届く」デザインをしたいなぁと思う今日この頃です。それでは、また来週!


おまけ:お気に入りの英語表現

It happens.  It could happen.

何か予想外のことや嫌なことがあったら言うセリフです。直訳は「起こる、起こりうる」ですが、「あるあるだよね」「そういうこともあるさ」というニュアンスで使います。



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