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パーソンズ美術大学留学記シーズン3 Week5 #244

外出時にヒートテックを着たり自宅のセントラルヒーティングが稼働したりと、そろそろ寒さに備える時期になってきました。近所のスーパーではハロウィンの飾り付けがすでに始まり、10月を先取りしてます。

Superstudio

今週は「デザインとは何か?」をあらためて考える機会になりました。デザインの定義は多様で曖昧で、時代や場所、人によって異なります。定義の曖昧さゆえにデザインがわかりにくい概念になっている一方で、曖昧であるがゆえに多様なジャンルとの相性が良いのでしょう。「デザインとは○○である」という自分なりの定義をしておくことを勧められました。

ちなみに、問題解決主義、テクノロジー信仰はシリコンバレー系・西海岸的イデオロギーなのではないかという話もありました。Transdiciplinary Designでは、従来のデザイン思考に囚われない次世代のデザイン思考を模索している印象があります。

また、「Challenge Mapping」というデザインツールを教わりました。詳細は割愛しますが、ブレインストーミングの応用版と思ってもらえればいいと思います。一年生の時のDesign-Led Researchという授業の中で一度使ったので、今回で二回目の登場です。

やはり感じるのは言葉の壁。ひたすらポストイットで文字情報が増えていくので、ノンネイティブにはついていくのが厳しい。もっと自分が英語力を高めればいいといえばそうなのですが、ということはこのツールは同じ言語を話せる人同士でしか機能しないことを意味してしまいます。デザインツールのほとんどは言葉を中心にしているので、その言語のネイティブが中心に議論が進みやすいです。

英語話者が英語で話し、日本語話者は日本語で話しながら一緒にデザインをするということができる方法はないのでしょうか? どうしても一つの言語を使ってデザインするしかないのでしょうか? だとすれば、英語という言語の枠組みからみた世界観からしかデザインできないことになってしまわないか? 「言語を超えてともにデザインする術はないか?」という問いが私の中に生まれています。  


Professional Communication

今週の課題は「Design Brief/Artist Statementをポスター1枚で表現する」でした。課題の詳細については以下の記事にまとめているので、この記事では自分が授業中のディスカッションで思ったことを中心に書きます。

今回は1on1での20分のディスカッションを3回行う形式でした。1時間英語で会話し続けるのはやはりハードで、途中で頭が働かなくなっていくのが自分でもわかりました。それでも、お互いの「将来の夢」をじっくり語り合うのは何だかワクワクしました。自分の内面をポスターにしていくのは箱庭療法みたいな効果がありそう。

今回あらためて感じたのは「自分と他者の接点を探る」ということの難しさ。たとえば、頭の中では完璧なアイデアなのに、それをいざ人前に披露しようとするとなぜか稚拙に見えるという不思議な現象。クリエイター系の人なら共感してもらえるはず。逆の立場になれば、みんなの頭の中にもきっと私がポスターからは理解しきれていない素晴らしいアイデアがあるのでしょう。まさにお互いの環世界をいかに共有し合うのかというのかを、この授業では問われている気がします。

また、私は他人に介入したがらない傾向があることにも気づきました。自分のことは他人にわかってもらえないとか、他人は裏切るものだからはなから期待しないといった価値観で生きているようです。それが自分のデザインで目指す理想像にも反映されていて、一人でできることにフォーカスしがちです。


Anthropology + Design

二週間後にzineジンを提出するという課題が出ることを踏まえて、今週は学校の図書室に保存されているzineを見る時間でした。zineとは小規模の自費出版作品(同人誌と似ている?)だそうで、マイノリティな趣味や価値観を発信するという多様性を象徴する意味もあるようです。

今回の見学でわかったのは、「決まったフォーマットがない」ということ。写真だけでもいいし、文章をたくさん載せてもいい。小説のようでもいいし、図鑑のようでもいい。サイズも自由で、とにかく何でもありでした。

授業で作成することになるzineはDesign Justiceに関する内容というテーマが設定されています。私は今のところ、noteに書いてきた『パーソンズ美術大学留学記』をもとにしながら、「Transdisciplinary Designの心構え」にまつわるzineをつくろうと思っています。意図せずしてTransdisciplinary Designでのフィールドワークをしていたようです。

また、「人間はなぜ本にまとめたくなるか?」ということに疑問を持ちました。自分の好きなことをまとめたい。それを他人にも共有したいという欲求があるのでしょうか? 最近のマイバズワードで言えば、自分の環世界を見える形にして、他人にも共有したいという欲求があるのでしょうか? ほとんどの学問で研究成果は論文という形で残さなければならないというのも、何か人間の本能的な理由があるのでしょうか?


まとめ

「授業やワークショップを考えたり率いたりというのは苦労が絶えないものなのだろうな」と感じることがあります。生徒という現在の立場だけでなく、先生の立場ならどうするだろうという視点を意識するようになっています。受け身の立場で他人の仕事の恩恵を享受するだけでなく、自分が与える立場に将来回った時にどうすればいいのかという視点でも授業を受けています。

今学期も約1/3が終了しました。少しずつ忙しくなってきて留学記も少し駆け足での記録になりつつありますが、できるだけ毎週更新は続けるつもりです。秋学期も一か月が過ぎてなんとなく疲れを感じる気がします。五月病ならぬ十月病にならないように気をつけなければ。

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