見出し画像

11月27日の手紙 最愛海外文学②

拝啓 

昨日に引き続いて、好きな海外文学について語っています。
昨日に続いて3作品を紹介します。
昨日は全て女性作家でしたが、今日は男性作家もいます。
こうして書いてみると映画化されている本ばっかり読んでることがわかってきました。
結局、王道、流行り物が好きなんだなぁと思ってしまいました。
ですから、あまりニッチなものはありません。

アゴタ・クリストフ「悪童日記」


海野つなみ先生という漫画家が好きで、回転銀河という連作集があるのですが、そこに悪魔と呼ばれる美しい双子の男子高校生が出てきます。
海野つなみ先生の後書きだか、インタビューだかで、その双子のイメージは、アゴタ・クリストフの「悪童日記」にあると知って、手に取った一冊です。
読み終えて、その強烈さに衝撃を受け、海野つなみ先生はこの「悪童日記」からあの美麗な双子を着想したのか、漫画家とは恐ろしいなぁと心底恐れ入ったものです。
さて、「悪童日記」はこの一冊で完結しているといえばしてますが、3部作第1部でもあります。気になって、3部作全て読みましたが、読み終わると、結局、「悪童日記」が1番よいと感じます。
「悪童日記」は、場所を明らかにされてはいない「戦時下の国」で、祖母に預けられた双子が逞しく生きていく物語です。あらすじだけを書くと、牧歌的なお話に思えますが、全くそんなことはありません。
平和で呑気にぼんやり暮らす我々に投石してくるような作品です。もしくは後頭部をぶん殴りに来る…いやいや、ナタで切り付けてくるような作品と言えるでしょう。劇物であることは確かです。
双子の兄弟が、書いた日記のような体裁をとっており、飾り気のない、淡々とした文章でギョッとするような日常がが、描写されます。
登場人物も全員、癖があります。しかし現実にはきっと存在したただろうし、今も存在するだろうと思わせるような人物ばかりです。
読み終わると、日頃、読んでいる物語がどれほど漂白された物語であるかと思わずにはいられません。鶏肉しか食べたことがない人間がジビエを出された時のような感覚に近いと思います。「悪童日記」は、獣臭一歩手前の野生味のある香り、歯応えがある筋肉質の赤身といった感じです。
アゴタ・クリストフ自身は、ハンガリー出身で、オーストリアへ脱出、スイスに定住し、フランス語でこの作品を書いています。
生まれた国で、母国語で物語を綴れることは当たり前ではないということです。その上で、簡潔で潔い文体に、アゴタ・クリストフの知性と心意気を感じるのです。
映画化の予定があると数年前にニュースを見たのですが、色々とどうやって映画化するのだろう…と思った覚えがあります。

トルーマン・カポーティ「クリスマスの思い出」


カポーティといえば「ティファニーで朝食を」や「冷血」かもしれません。でも個人的には、カポーティは短編こそ良いと思うのです。
「クリスマスの思い出」を、あげましたが、これが入った短編集「誕生日の思い出」そのものを最愛文学のひとつとしたいと思います。
そして、
「誕生日の思い出」は村上春樹が翻訳した短編集です。
個人的に、村上春樹の作品には何の思い入れも持たないのですが、この翻訳だけは傑作だと思います。
カバーのセピア色の写真にうつる、青年期のカポーティら、恐ろしく美青年です。晩年は面影は残るものの、どこか滑稽な雰囲気が出てきていて、こんなに切ないほど美しくはありません。
カポーティは、子どもたち、そして、彼のおばさんのような永遠の子どもを、書くときに、あの表紙の自分自身と同じく、切ないほど、美しく描きます。2度と戻らない思い出の手触りをカポーティは丁寧に紡ぐことができる作家なのです。
特にカポーティが自らの幼少期をもとにしている「クリスマスの思い出」は初めて読んだとき、嗚咽して泣きました。
親戚が集まる家で暮らしている男の子「バディ」とその遠縁にあたる老齢だけど子どものような彼女が、クリスマスの準備をする、それだけといえばそれだけのお話です。
ですが、読んでしまうと、1度も行ったことのない、アメリカ南部の田舎にある古い家が懐かしく、自分の故郷のように思えてくる珠玉の短編なのです。
イギリスの作家にはない、ある種のイノセントさがあるのがアメリカの作家の特徴でもある気がします。
ガラスでできた、クリスマスツリーの飾りのようなイノセントさ。
時期的にも今こそ、読んで欲しい作品です。

レイナルド・アレナス「夜になるまえに」


南米の作家を多く知るわけではありませんが、最も好きなのは彼、レイナルド・アレナスです。
生命力が強い作風で、圧倒されます。
せっかく読むのだから、圧倒されたい…というのはおかしな願望でしょうか。
小説ももちろん、好きですが、最愛と言われれば、自伝である「夜になるまえに」です。
日本に生まれ、比較的安全に、問題なくやってきた人間としては、ページごとに頭をぶん殴られるような内容です。
アレナスが生まれ育った頃のキューバの田舎は、土や獣と距離が近い生き方をしていたようです。
また、キューバは、アレナスがいた当時、フィデル・カストロが元首でした。世界史をとっていたとはいえ、フィデル・カストロがどんな国家運営をしていたかはよく知らず、この作品で自分の無知におののきました。フィデル・カストロはTシャツになってる、チェゲバラと組んでたことがある程度の認識だったのですが、どのような政治をしていたのか?、そしてそれにより、キューバの人々がどのように生活していたのかは全く知りませんでした。
キューバは共産主義国家であり、体制への批判は厳しく取締られています。その上、アレナスは同性愛者でした。アレナスは国外の出版社とやりとりをして、本を出版します。しかし、そういったことを理由に、アレナスの本は発禁処分にされ、投獄されるのです。
アレナスの描くキューバは、どんな小説に描かれたディストピアより、ディストピアです。明るい南国のディストピア。その風景の明るさと政治体制の恐ろしさのコントラストが、読者の心を揺さぶります。
読者は、その中で生きるアレナスの無事を祈りながらハラハラしつつ読み進めることになるのです。自伝ではありますが、そういう意味では一級のエンターテイメント作品とも言えるでしょう。
命を賭して、アメリカに亡命したアレナスにはあまりにも厳しい現実が待ち受けていました。
アレナスがそれをどのような形で受け止めたかを守護天使という言葉を使って表現した文章が最も好きな部分です。どんな人生の最後だとしても、彼は自分の命を使い切ろうとした人だと思っています。

さて、「夜になるまえに」は、映画になっています。見たような気もするし、見ていないような気もします。映画だとキューバが美しすぎて、妙に恐ろしい気がしたから、映画も見たのかもしれません。
記憶が定かでないのが情けないです。
やはり記録は大事ですね。


気に入ったら、サポートお願いします。いただいたサポートは、書籍費に使わせていただきます。