2024年5月22日 友達はなるもの?つくるもの?


友達はなるものなのか、つくるものなのか問題。

SNSで話題になっていたので、自分なりに考えてみることにしました。
今日もまだまだ眠くて少しばかりぼんやりしているので、考え事にちょうど良いのです。

パッといくつかの投稿を見て感じたのは、「なる」が「成る」と記載されているのか「生る」と記載されているのかでもずいぶん印象が違う…ということです。
友達は果物のように「生る」とは思えないのですよね。どちらかというと友達に「成る」がしっくりくる気がします。
ひらがなの「なる」だと「生る」ほどでないにせよ、自動的に生成された感じがあるのです。
成る>なる>生る
が、しっくりくる順番です。
これはそのまま、友達を「つくる」なのか「作る」なのか「創る」なのか「造る」なのかでも違うだろう…ということです。
「造る」だと、人造人間みたいに友達を自力で生み出すような感じがしますし、
「創る」だとお前は神なのか?みたいなきもちになりますし、
「作る」だと作為的すぎる気がします。
「つくる」が1番、あっている気がします。
つくる>作る>創る=造る
の順番ですね。
しかし、これは字面についての感想です。
実際に友達についてどう思っているかはまた少し違います。

「自然と友達に「なる」ということはある年齢を過ぎれば、ほとんどないので、
友達を「つくる」努力、つまり、友達つくろうとする態度や行動はしないと友達はできないが
友達をつくろうとしても、友達になれないこともある」

というのが実感でしょうか。

幼い頃は、一緒に長時間過ごすとか、何かを共にするということで自然と友達に「なる」こともあると思うのです。
しかしある程度、それぞれに自分というものが出てくる年齢(10歳超えたあたりから)からは、それだけで友達というわけにもいかなくなってくるのではないか、と思います。
同じ地域に住んでるからとか同じ遊びをしたからといって友達になれるわけではありません。
「一度会ったら友達」の時代は終わりを告げるのです。
それ以降は、自分が共にいて心地いい人、例えば趣味が合うとか、感性が合うとか、ともにいると楽しいとか、自分というものの芯に近い部分が重なる人を欲するようになるのではないかと思います。
それでは、そういう人とどう出会うかということです。
「そういう人と出会いたい」と夢想しているだけでも、出会えること可能性はゼロではないでしょうが、確率はグッと下がるでしょう。
またある一定以上の年齢になると、「自分は危険な人物ではない」「身近に居ても害がない」ということ最初に知ってもらうところから始めなくてはなりません。
まともな人間であれば、マルチ商法やデート商法、宗教の勧誘、一方的に利用するため、傷つけるために、近づいてきた人間とは友達になろうとはしないでしょう。
知人として程よい距離で、よい関わりをもっておくと言うのは必要だと思います。
歳を重ねてからできた友達はたいてい、「すぐに遊びに行った」「すぐに友達になった」というわけではなく、その前に、会話やSNSでのやり取りがありました。
その時のやり取りで、心地よくなければ、安全だと思わなければ、友達になることはなかったでしょう。
意地悪な友達は欲しくないので、
あまりに礼儀がないとか
ひどく悪意があるひととは遊びに行ったりしません。
自分自身な振る舞いもその定義から外れないようにしています。
知り合いという時点では、
丁寧な言葉遣いで
頻繁な連絡は控え、
あまり距離を縮めすぎず、
プライベートなことに踏み込みすぎないということを特に気をつけます。
知り合ってからしばらくは、この自分が「安全である」ということを示すための言動や振る舞いを続けます。

また、自分か「安全である」ということを言動や振る舞いで見せるのと同時に、
何が好きで、何を面白いと思うのか、何をやっているのかを発信していく必要があります。
SNSで鍵垢にフォローされた際、それを即ブロックすることはありませんが、
友達にはなれないと思います。
何が好きで何を面白いと思うのか、何をやっているのか、わからない人とどうやって仲良くなればいいかわからないからです。
発信があれば、興味を持つことができますし、交流の手立ても考えることができますが、そういうものがない人にはこちらからアプローチをかける気にはなりません。
この時点で、ひどく一方的で自分から損をしたくないという人間の可能性があるからです。
友達を「つくる」という態度や行動が全くなく、「友達には「なる」ものだ」と言われたとしても、同じ理由で、そっと距離を取ると思います。
友達というのはフェアなものと考えているので、一方だけな努力する、気をつかう関係を求める人とは友達にはなれないのです。

一方で、こちらが友達に「なる」つもりで、友達を「つくる」態度や行動を起こしても、それを受け入れるかどうかは相手に委ねられています。
「つくる」という気持ちがあっても、「なる」かどうかは相手次第です。
これに関しては、辛いですが、どうしようもありません。
他人の気持ちを変えたり、自分に無理やり向けたりすることはできませんし、
そういうことを考えてしまう時点で、その人とは友達にならない方が良いということだと思います。
そんなに無理をしなくても、健康な発信を続けていけば、声をかけてくれる人はいます。
まずはこちらを見てくれる人と親しくなってみるのが良いと思うのです。

自分にとっては友達は「なる」ものでもあり、「つくる」ものでもある、詳しくいうと、
「自然と友達に「なる」ということはある年齢を過ぎれば、ほとんどないので、
友達を「つくる」努力、つまり、友達つくろうとする態度や行動はしないと友達はできないが
友達をつくろうとしても、友達になれないこともある」

と考えています。
追記:友達とは「なる」ものであるけれど、そこまで辿り着くための最低限のマナーというものは自ら、友達を「つくる」ことを意識して、取り組まなければならないものであり
「つくる」とも言えるということです。

沢山友達はいませんが、少数精鋭の友達がいる自分は恵まれていると思っています。
今も、友達と一緒に買った色違いの新しいパジャマを着ています。
「大人で?」と思われる方もいると思うのですが、純粋に欲しいものがかぶるのです。
タイプも体型も違うのですが、いいと思うものがかぶってしまい、結局、お揃いとか色違いなものをたくさん持っています。
そして、お揃いができる友達がいるのは、いくつになっても嬉しいものなのです。


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