11月17日の手紙 旅行について思うこと
拝啓
秋の観光シーズンになりました。
地元から少し出ると観光客の多さに圧倒されます。
ですから、週末や祝日はどこにも出かけないのが一番な気がして、だいたい家にいます。
どうしても行かねばならぬ用事以外は、
「お出かけしよう」などという気持ちには、ならないので行くとしても、徒歩か自転車で行けるスーパーのみです。
地元の人間が行くところだけにしています。
電車やバスには極力、乗りません。
あまりにも混んでいるからです。少しでも乗車率を下げた方が、世の中のためになる気がします。
地元から町へ出ると、海外から来たと思しきグループが大きなスーツケースを引きずっていたり、国内旅行者と思われる人々が隊列を組んでいたりします。
ありとあらゆる言語とカートやスーツケースがアスファルトの上をいくガタガタいう音がひっきりなしに聞こえます。
歩道だけでなく道路にも人に溢れ、エスカレーターを降りたところには人が溜まり、普通電車はすし詰め状態、予約した特急の座席には知らない誰かが座っているのが日常です。
電車の座席については、「海外では予約なしに座るのは当たり前」とか「声をかければいいじゃないか」と言われる方もいると思うのですが、
「仕事に行くゆううつな気分の中、予約した座席に、人が座っていて、母国語でない言葉で説明してどいてもらわないといけない」というのは、善意ある人たちが考えるよりずっとストレスです。
電車内では、周囲お構いなしの大盛り上がりグループに遭遇することもあります。先日は、世界一有名なポケモン、黄色いからだにまあるい赤いほっぺの可愛い生き物、の鳴き声だけで会話する観光客らが多数いる車両に乗り合わせてしまいました。
仕事前に聞く、楽しそうな鳴き声はなかなかに滑稽で、かつ脱力するものでした。
以前は、「ようこそ」「よくいらっしゃいましたね」という気持ちでしたが、コロナ禍で静けさに慣れてしまった身としては、最近は本心からそういう気持ちになるのは難しくなってしまいました。
「これがオーバーツーリズムというやつか」と実感しています。
オーバーツーリズムは横文字にしては珍しく、頭の中で頻繁に使用する言葉になってしまいました。
こぢんまりした街には、観光客がどやどやと押し寄せ、観光客の文化によるルールで闊歩を受け止めるだけの空間の余裕がないように思います。
そして個人的には気持ちに余裕もありません。
アメリカの西部くらい広大な土地、例えばグレートプレーンズ平原であったら、これほど窮屈に感じないのだと思います。
どやどやと歩く一団がたてる土埃や歓声を、遮るもののない平原で見つけたら、むしろ、嬉しくなるでしょう。
プレーリードッグのように、その姿を楽しくじっと見つめるかもしれません。
もしくは、家で本を読んでいるだけで毎月給料が振り込まれるのならば、座席を取られていても、丁寧に声をかけられると思います。
でも、現実の生活はそのどちらでもないのです。
現実はもっと狭っ苦しくて、経済的にも時間的にも余裕がないのです。
こういう気持ちを感じるようになってから、旅行に対して、ポジティブな気持ちにならなくなってきました。
純粋なワクワクがなくなりました。
ためらいがあります。
旅行嫌いというわけではないのです。
バックパッカーのようにタフな旅行好きというわけではありませんが、自分で企画するよりは友だちに誘われるほうが多いといえ、人並みには旅行に興味があります。
これまでには、海外旅行にも何度か行きました。
多くは、旅行会社のツアーです。
つまりは、観光地をドヤドヤと集団でうろついたのです。
若かったですし、物慣れない海外旅行でしたから、地元の人たちにとってはさぞかし迷惑な観光客だったろうと今となっては思います。
あちこちで立ち止まり、奇声をあげ、何でも写真を撮り、ルールもわからず買い物をしたり、食事をしたりする、そういう1人だったのです。
「オーバーツーリズム」について考えるようになってから、そう言った海外旅行を楽しく思い出すことが難しくなってきました。
感動した記憶の裏では、うんざりしていた地元民がいたのだろうと思ってしまうのです。素敵な記憶と共に、後ろめたさがじわじわと湧いてきます。
世界情勢や円安もあって、しばらく海外旅行に踏ん切ることはできないような気がします。
その上、最近では、海外旅行だけでなく、国内旅行にも二の足を踏むようになってきました。
年に数回、友達と国内旅行に出かけていたものなのですが、「旅行に行って迷惑でないのか」とひどく真剣に考えてしまいます。
もちろん、観光産業で回っている地域もあるのだから、旅行に行くことが迷惑だけではないとも思うのです。
ルールを守って行動して、お金を落とせば嫌がられたりはしないのかもしれません。
でもどこか後ろめたい気分が拭えないのです。
心の底から楽しんで旅行に行くにはどうしたらいいのでしょう。
そして、観光客を楽しく迎えるにはどうしたらいいのでしょう。
電車のホームで、立ったまま、食パンを袋から鷲掴みで、食べている観光客の方を横目で見ながら、ぼんやりとしかし切実に、考えていました。
ああ、何も考えずに旅に出たいものです。
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