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Moon Wood Dialy

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その名の通り、月曜日と木曜日に更新される約500文字の雑文。都内に住むある四十代会社員の虚実入り乱れた日常生活の記録。
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#ショートショート

世界が終わるまえに…

世界が終わるまえに…

「あした地球が滅亡するとしたら最後に何を食べたい?」と妻が聞いた。

僕たちの食の好みはことごとく違っている。でもそれは基本的に良いことだ。夫婦ともにケーキ、ビール、ラーメン、揚げ物などが好きだとしたら体重の増加に歯止めがかからなくなる。夫婦は互いに抑止、牽制し合う方が体には良い。とはいえ、あす地球が滅びるという最後の晩餐が夫婦バラバラというのもどこか間抜けではある。

妻には奇癖がある。開封した

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あの夏の花火

あの夏の花火

ビルの向こうに、花火が上がった。

遠すぎて音は聞こえない。
いつも通り、バイクや電車や救急車の音がするだけだ。

僕の「あの夏の花火」には、花火の映像がない。

薄暗い堤防に大勢の人々がいる。祖父母や伯父や叔母や従兄弟もいる。みんなシルエットだ。
その夏は親戚一同が岩手の祖父母宅に集合し、近くの河原で開かれる花火大会に行くことになった。

ひい爺さんの遊興のせいで家が没落し、若い頃の祖父は世間の

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美女とガソリン

沙織は「レギュラー160円」の表示を見て、微かに眉をひそめた。値上がりしたことが不愉快なのではない。一瞬その表示が「レギュラー168円」に見えたからだ。視力が低下している。スマホの使用を控えなければ。

彼女は黄色い軽自動車を給油機の右に停め、スマホを手にして車を降りた。以前は給油口の逆に車を停めてしまうことがよくあったが、最近そんなことはしない。セルフにもだいぶ慣れてきたようだ、と、自分を誉めつ

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ゴルコンダ

ゴルコンダ

朝、テレビをつけると、気象予報士の女性が「今日の東京地方にはゴルコンダ注意報が発令されています」と言った。僕は「東京地方って何だよ」と呟いた。江戸川区と奥多摩町の天気が同じ訳がない。もっと正確な表現をすべきではないか。

それにしてもゴルコンダは久しぶりだった。アナウンサーは「不要不急の外出を控えましょう」と呼びかけていたが、むしろ積極的に出かけた方がいい。

ゴルコンダは、世界中のおじさんの哀し

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英雄なき偉業

英雄なき偉業

銀色の車体に黄色い帯を巻いた電車が目の前を走り去った。
すると、いくつものホームのずっと先にある、やけに陽気な消費者金融の看板が目に入ったが、すぐにまた別の電車がやってきて見えなくなった。

「もし、兄さんが何かの世界一になったたらどうする?」
と、弟が唐突に尋ねた。

「何の世界一かにもよるな」
「じゃあ『ぷよぷよ』」
それは凄い。友人や親戚に言いふらす。そして、己の妙技を見せつけるため腕に覚え

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恋と夢

恋と夢

僕はその日まで、湊谷さんのことを何とも思っていなかった。

うららかなある春の日、僕は彼女と二人で下校した。内容は忘れたが、何か彼女の相談に乗っていたような気がする。そこで目が覚めた。

翌日、学校で友達と談笑する湊谷さんを見た。僕はなぜか胸が苦しくなった。これは不思議なことだ。なぜなら彼女はクラスも違うし、何の接点も無かったからだ。

この恋は実らなかった。実る気配すらなかった。その後も彼女とは

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冬のカマキリ

冬のカマキリ

日差しを浴びた高速バスの待合室は
春のような温かさだった
その周りで背の高い枯れ草が静かに揺れていた
僕と彼女はコートを脱いでバスを待った

誰もいない目の前のベンチの足元で
何かが動いていた

「カマキリ」と彼女が言った

小さな茶色いカマキリが
ベンチの脚を登ろうとしていた
メッキでツルツルの脚は
いくらがんばっても取り付くことも出来ない
それでもカマキリは
そこを必死に登ろうともがき
弱って

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