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開かずの扉(6)

性被害をやめさせるにはどうしたらいいか。
私はまず、彼らのセクハラの対象者が私だけではないという情報を集めたかった。

というのも、彼らが私にセクハラをはたらいていたとき、そこには、現地住民の女性も、そうではない他の女性もいたからだ。
彼らは彼女たちにも、卑猥な言葉を投げかけては反応を楽しんでいた。

だから、現地で知己を得ていたマスコミ関係者の何人かにコンタクトをとり、事情を説明して、そういうことを見聞きしたことはないか確かめた。

予測通り、どの社の関係者も、セクハラの事実を把握していた。

被害者の一部にセクハラの常習者がいるという事実が社内で共有されていて、当該の地域の取材には女性記者を同道しないなどといった対策がとられていたという。
ずっとそのことを知っていたのに、私が被害に遭ってしまったことを「申し訳ない」という関係者もいた。

他にもいろいろな背景事情を総合して、おそらくこの行為が、この地域だけでもずいぶん前から繰り返されてきていたであろうことが、容易に想像できた。
彼らは、誰にも咎められない状況に調子に乗って、平気でセクハラを繰り返し続けていたに違いない。

それをマスコミは知っていながら、決して報道しようとしなかった。

なぜならそれは、一般読者が求める「ニュースバリュー」のあるネタではなかったからではないだろうか。

一般読者は、震災の被災者といえば「気の毒でかわいそうな人たち」「復興のために健気に頑張っている人たち」といったステレオタイプに当て嵌め、絶望的な悲劇だったり、心温まるホームドラマだったり、前向きな力強さで勇気づけてくれる物語だったり、それぞれが勝手に「お馴染みの被災地ネタ」を消費していたのではないだろうか。

私はボランティアに通い始めたころから、そんな「災害報道ごっこ」に心底辟易していた。
現場で出会う記者の方々は、それぞれ真面目に職務にとりくんでおられたと思う。
でも結局記事になるのは、上記に挙げた「最大公約数的に美味しいネタ」ばかりだった。
現地で私が肌身で感じるような被災者同士の分断や差別、陰口や孤立や裏切り行為、政府や行政の災害援助や復興計画への反発といったセンシティブな話題は、ほとんど紙面に載らない。

マスコミがあてにならないことは初めからわかっていたし、とくにそれに対して私はなんとも思わない。
彼らも一介のサラリーマンに過ぎないのだ。

私は、自分だけでなく、他にも、被害者からセクハラを受けた人がいて、その状況を大勢が見て見ぬふりを続けている現状を、とにかく変えようと考えた。

そこで、SNSのチャットの現地住民のごく一部の方と少数の支援者だけの連絡用のスレッドに、事の経緯を投稿した。

皆さん自身のために、金輪際絶対にこれをやめてほしい、と気持ちを伝えた。

レスはなかった。

彼らといっしょに開催するイベントの当日が迫っていた。
私は投稿した後はスレッドを見ることなく、ただ淡々と準備を進めた。

体調はどんどん悪化していき、高熱を出して救急で手当てを受け、手術もした。

それでもイベントの準備はやめなかった。
私は、セクハラに遭ったという個人感情で、すでに世間に公表している活動予定を覆すような人間にはなりたくなかったのだ。




(続く)

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