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見えない鎧

他所の家庭の内情はさておき、我が家では体罰がごく当たり前のことだった。
大声で怒鳴られる、恫喝されるのは日常茶飯事、それでいうことを聞かなければすかさず平手が飛んでくる。
子どもだから痛い目を見ればすぐに「ごめんなさい」と謝るのだがこの先が問題で、私の両親は子どもが謝っても体罰をやめない人だった。

何発も殴られ、蹴飛ばされた挙句に、押し入れに閉じ込められたり、玄関から外へ放り出されたことは数えきれない。一度は、2階の窓から投げ飛ばされた。
その窓のすぐ下には1階の庇が出ていたので、そのまま真下に落ちることなく、自分の足で飛び降りることができた。だが家に入れてもらえず、鍵のかかった玄関の前で泣きながら「ごめんなさい」と延々と繰り返し叫んでいた。

自分自身やすぐ下の兄弟がされていたことはよく覚えているのだが、一体なぜ、そこまでの体罰を受けなくてはならなかったのかはほぼ記憶にない。
嘘をついたとか、親のいいつけを守らなかったとか、いわれたことをすぐにやらなかったとか、学校の成績が悪かったとか、親への態度がよくなかったとか、おそらくはその程度のことだったはずだ。

というのは、うちは兄弟揃って全員が学校では優等生で成績もまあまあ良好、教師のいうことをよく聞く良い子ばかりだったからだ。
人間、誰にでも裏表があるにせよ、毎年学級委員やら部活の部長を任される子どもが、家庭ではとんでもない悪童だったとは考えられない。

にもかかわらず、両親は私たち子どもに対して、一方的に言葉の暴力や肉体的な暴力をふるい続けた。
後になって、「自分たちも叩かれて育てられたから、それ以外に躾の方法を知らなかった」と言い訳していたし、それは事実なんだろうと思う。
でも、倫理的には、家庭内であっても暴力は許されるべきことではない。

ところで前稿でも書いたが、うちでは子どもはテレビを見てはいけないことになっていて、テレビゲームも買ってもらえなかった。そういう教育方針を強制したのは自らの経験に基づいていたとは思えない。どこかから「テレビを見たらバカになる」「ゲームをしたら子どもの発達に〜といった害がある」とかなんとかそういう子育て情報を仕入れてきて、それに倣っていたまでだと思う。

いまになって思えば、若かった両親もただ必死だっただけなのだろうと思う。
親戚づきあいはごく最低限で友人関係も限られていて、子育てで頼りになるのは医師や保育士や教師以外にいなかった。そういう相手に、腹を割って自分の弱みを見せて、全面的に頼るのは難しい。
自分から他人に向かって「うちでは子どもを殴ってます」などという親はいないし、私自身も親に殴られていることを他言した記憶はまったくない(成人後ならなくはない)。

おそらく両親は、己自身も含めて、在日コリアンだからといって誰からも「絶対に見下されたくない」「見くびられたくない」というどうしようもなく固いプライドに縛られていたのではないだろうか。

両親の両親、つまり私の祖父母は朝鮮半島で生まれ、1920〜30年代に日本に渡ってきた。だから私は在日コリアン3世だ。

両親はいわゆる団塊の世代で、何かといえば出自を理由に理不尽な差別を受けてきた。
だが学校では成績優秀でリーダーシップもあり、誰からも一目置かれていた彼らは、「日本人になんか負けたくない」「在日だからって馬鹿にされたくない」と常日頃思っていたのではないだろうか。

そんな強い意志を貫くために彼らが重ねてきた努力は計り知れない。
結果として、彼らは日本人社会でも一定の地位と信頼を得ることができた。
そのことは、娘として、一人の人間として、心から尊敬している。

彼らはきっと、我が子をも同じようなプライドをもった人に育てたかったのだろう。
だからといって、子どもを殴っていいという理由にはならないのだ。

ちなみに末の兄弟は一度も体罰を受けていない。
さすがの両親も二人を殴って育ててきて、やっと「子どもを殴っても思い通りにはならない」という事実を学習したのかもしれない。

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