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【舞台・映画】来た、見た、書いた7

7月もいくつか舞台や映画を見た。それについて書き記しておく記事です。
ネタバレかもしれないようなことも気にせず書いています。




歌絵巻「ヒカルの碁」序の一手


サンシャイン劇場にて。開演前に舞台奥に人影が見え、あっ、これ、生演奏なのか、と驚く間もなく始まった。連載を本誌で追っていたときの記憶はもうだいぶおぼろげになっていたけれど、ページをめくるみたいにいろんなエピソードが思い出されていく。展開はかなり早いものの、囲碁のことがわかるようになったヒカルがどんどん楽しくなって真剣になっていく、だからこそ壁にぶちあたる、という過程を追いたいので、あのくらいのスピードで話が進むのはすごく見やすかった。


とにかく純粋に面白かった!



ヒカル役の糸川耀士郎さんの歌唱力が圧倒的で、表現が難しいが、ここぞという盛り上がりの部分を聞かせる、とかあからさまに難しい曲を歌いこなす、みたいな方向ではなく、盛り上がりの後のやや落ち着いたメロディの部分であったり、わりと淡々とした音程の部分であったり、そういったところでしっかり上手さがわかる歌い方。なんなら若干の余裕さえ感じるくらい。一方でアキラ役赤澤燈さんはテンポが早くて音程の取りにくそうな曲を本当に全力で、全身で、頑張って歌われていた印象がある。それが囲碁に対する2人のキャラクターの姿勢とすごくリンクしていて、この舞台をミュージカルにした意味を感じたりした。

アキラは小6のときのあどけない声から、中学生になるとやや声が低くなっていたりと、お芝居にかなり技巧を感じる。別の舞台で拝見したことがあるので、こんな高い声の方だっけ!?と驚いた。
台詞からそのままシームレスに歌に繋がっていてすごい、と思ったのはヒカルが自分の実力のなさに落ち込むシーン。ミュージカルって急に歌い出すよね〜、という感じがまるでない。悔しさのあまりぽろりと口をついて出た言葉、そこに、言葉では表し尽くせない思いがメロディとして纏われてああした歌になったのだ、と思えた。
あかり役の生田さんが後半に兼ね役で出られた際にあまりにも印象が違って、生田さんの他のお芝居も見てみたいと思ったということも忘れないように書いておこう。ああいう王道の2.5次元!という感じの舞台を久しぶりに見たが、他のキャラクターもとてもよかった。短い中でしっかり印象を残していった三谷、冷静に考えたらこんな中学生いないだろと思うのに、見事にそれが具現化されて説得力のあった岸本。他にもたくさん。続編があったらぜひ見たい。




映画「ルックバック」


単独で記事を立てたら痛々しく自分語りに終始してしまいそうなので、ひとまず感想はこちらに書く。自分語りはまた別の投稿にしよう。バルト9で見てきた。上演時間が短いおかげで、ちょっと待てば見られるのはありがたい。スケジュールも合わせやすいし、なんといっても見やすいし、気軽に見ようかなと思えるし、1時間の映画はこれからのスタンダードになっていっても良いなと思う。


あんなに泣くことになるとは思っていなかった


小学生の藤野が本を買って独学で頑張り出したところから涙腺がばかになってしまい、常に涙が出ている状態で最後まで見続けることになった。小4といったら、わたしはそれまで惰性で習っていたピアノをやめて進学塾に通い出した時期だ。勉強ばかりになりクラスメイトとは距離ができた。だめだな、どうしても自分語りになる。このルックバックという映画は、自分自身の過去の経験に重ねてしまうように作られていて、しかも過去のその経験を肯定してくれる作品なので、そんな語りも大目に見てほしい。この映画を見ると、つい自分自身についても look backしてかえりみてしまうのだ。

京本めちゃんこかわいかったな。えっ、こんなにかわいいんだ、と驚いた。原作漫画よりも人間だった。藤野とは別に存在する人間として京本を認識しやすくなったのは、やっぱりアニメになって声がつき、動きがつき、京本の芝居を見られたというのが大きい。わたしは絵のこともアニメのこともわからないが、とても「芝居」を感じる作品だと思ったのだ。ちょっとした表情や姿勢の描かれ方、視線の向き、描かれている線の感じ、そこに乗る声の演技、そういうものの総和を芝居だと感じた。

描くことをテーマにしながら、「描かれないこと」こそが重要である作品だとも思った。ふたりで笑い合っているだろうシーンがことごとく無音になっていたり、長らく一緒に作業をする部分はダイジェストでしか見られなかったり、視聴者ですらふたりの間に入れない感じがある。描かれないことで、むしろとても大事にされていると感じる。だからこそあのふたりの歩く速度に差ができて、とうとう手が離れてしまったとき、こうしたらいいのに、とか、そんな風に言わなきゃいいのに、みたいな無粋な考えがまるで湧かなかった。だってあのふたりの積み重ねてきた時間のことをわたしは何も知らない。何も言えない。ただ見守ることしかできない。

音楽も本当に良くて、バルト9から泣きながら歩いて帰る間にさっそくダウンロードしたLight Songを繰り返し聞いて、それでまた色々思い出して泣いたりしていた。そのままずっと歩き続けて家まで帰った。電車に乗れるような状態じゃなかったんです。

ドライな印象のある原作と比べるとかなりエモに寄せた仕上がりになっていると思うが、そりゃあ、そうなるよ、と思う。作品を作ること、作品を作るために色んなものを犠牲にして、色んなものを失って、それでも作品を作り続けることを描いたあの作品に、実際にあの作品を作った方々の気持ちや祈りが入らないわけがない。ああなるべくしてああなっていると思うし、そりゃあ、讃美歌を流すしかないんだ。あの作品の作り手たちが、これからも作り続けていくためには。

音の話でいうと、生活音の表現もすごくよかった。ペンタブの音があんなに印象に残る映画、あるんだ。そして母からの着信の音。他の生活音がかなり自然に入っている中でやや音量が大きめにされていたのもあって、あの映画で一番怖くてぞっとしたのは、あの着信音のシーンだった。平日の朝の目覚ましのアラームみたいな、無慈悲なほど無遠慮で現実的な音だった。



紀伊國屋ホール60周年記念公演 熱海連続殺人事件「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」


本当なら2021年、紀伊國屋ホールのこけら落とし公演を見に行くはずだった。それが中止になってしまい、本当にようやく、という感じで見られた舞台だ。折りしもパリ五輪直前、とある選手の出場辞退のニュースが世を賑わせているタイミングでの観劇となった。

熱海殺人事件そのものを見た経験もないわたしに語れることなんてないのだが、とにかく圧倒されて、わけもわからずものすごい熱量に押し流されてしまった。すごい舞台だった、ということだけは記録しておきたい。役者さんの汗の量がすごいのだ。作中のシチュエーションから考えればあんなに汗をかくわけはないのに、オリンピックがテーマの一つになっていることもあって、モンテカルロ・イリュージョンという舞台そのものがひとつのスポーツの大会みたいに感じられてしまう。出場できなかった、という台詞は2021年の公演中止にどうしたって重なって聞こえてしまう。しかも前週にルックバックを見たせいで気持ちが引っ張られてしまい、大山やアイ子の独白のシーンは胸が引き絞られるようだった。とにかく頑張って努力を続ければどこかで報われ肯定される時がくる、という祈りがルックバックだとすれば、モンテカルロ・イリュージョンはそんな祈りすら幻想だと突きつけてくる。
たぶん、演劇というのはそうやってコンテクストありきで見ることが許されている芸術なのだと思う。映像で見る手段がいくらでもある今の時代、わざわざ生身の人間が目の前で芝居をするのを、わざわざその場に自分が出向いて見ることの意味は、きっとそこにある。幻想だとしても山口アイ子は島に戻れたし、木村伝兵衛は鳥になった。キャストは変更になっても、21年にできなかった舞台はああして上演されて、わたしはあの頃より少し老けた状態でそれを見届けた。

ちなみに21年にわたしが見る予定だった公演では、速水刑事は菊池修司さんが演じる予定になっていた。ここ数年別の作品で菊池さんの芝居を何度か拝見してきたけれど、今回嘉島さんの速水刑事を見ながら、なんとなく答え合わせをしているような気分にもなった。不思議な感覚だった。


スタンダードを見られなかったのは心残り


ミュージカル「暁のヨナ」


噂のシアターHに初めて行ってきた。仕事でしか降りたことのない大井競馬場駅で降り、意外と歩いてすぐの場所に劇場があることにほっとした。

Wキャストでの公演だった


2023年の舞台「吸血鬼すぐ死ぬ」で拝見し、素敵な役者さんなあと思っていた明音亜弥さんが、まさかたった1年後にミュージカルの主演をやることになるとは。明音さんのお芝居をまた見たい、と思っていたし、舞台の告知には他にも信頼のおける役者さんの名前が連なっていて、迷わずチケットをとった。

キャラクターが多いので、どうしても見せ場が少なめになってしまう人もいるのが2.5舞台の悩ましい点だ。わたしは恥ずかしながら原作を読んでいないため舞台を見ただけでの想像になるが、多くのキャラクターのエピソードよりも、とにかくヨナの変化や成長を主軸に置いた構成に振ったのだろうと思う。ヨナは無知で非力ではあるものの不思議と求心力があり、そしてやっぱりなんと言っても、かわいい。どうしても目が行く。少女漫画原作の舞台で、主人公の女の子がかわいくて魅力的であるのは本当に大事なことだ。第一幕終盤に恐らくトラブルがあったようにお見受けしたが、それをものともしない、初主演とは思えない落ち着いて堂々とした演技だった。Wキャストのもう一方の組はまた全然違う雰囲気だったとのことで、見るチャンスがなかったのは残念。

後半登場する剣幸さんの演じるギガンも出番は少ないながら素晴らしくて、これは強く生きる女性の話なんだな、とあらためて思った。肉体的にはどうしても弱いという点から目を逸らさず、現実を受け入れてそこからいかに立ち上がるか。明音さんの声はすこしずつ低くなり、後半ではやや凄みを帯びてすらいた。あらためてこれからも追いかけたい役者さんだなあと思いながら劇場を出たら、うそみたいに大きくてオレンジ色をした満月が低い空に浮かんでいて、舞台の世界にまだ片足突っ込んだままみたいな気分で帰路についた。


満月をうまく撮れなかったかわりのH



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