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デジタル言語学者の人に、聞いてみた【文明とは何か 講義編】

文明とは何か? というデカい問いを扱うようなアカウントにいつのまにかなったものです無名人インタビューは!
ありがとうございます! 得丸先生!!!

「文明」をテーマに得丸先生が紐解くのは、文明と文字の意外な関係。広い平原、農業、国家、税金の取り立て…。これらが絡み合って文字が生まれ、文明が花開いていく。
さらに先生は「文明人の心得」まで教えてくれます。古典を大事に、でも鵜呑みにしない。そして自分も文明の担い手としてガッツを見せる。ちょっと背筋が伸びる話です。
難しそうで実は身近な「文明」について、得丸先生にお話をお伺いしました。
さあ、文明についてのインタビューの始まりです!
【まえがき:qbc】

今回ご参加いただいのたは 得丸久文(とくまる くもん) さんです!


この記事には、質問編があります。
(質問編はこちら! 質問編がアップされたらここにリンクが表示されます。)


1000キロとか何百キロも平原が続いて

得丸久文:
「カステラ文明堂」とかね、「文明力」とかね、いろいろ「文明」って言葉がそこら辺になるもんだから、でも本当に「文明」とは何かについて、みんなで議論することってあまりないと思うんですよね。

僕は、もう30年ぐらい前から、文化と文明はどう違うのかとか、いろいろ考えてきたんです。文化と文明が同じだっていう人もいるんですよ。果たしてそれで正しいのかとか考えたことがある。

そもそも「文明って何なのか」っていうのに僕が気がついたのは、2016年の10月に、パキスタンのイスラマバードからラホールまで300キロあるんですけど、そこをドライブしたんですよね。

僕が行ったのは、この辺です。
パキスタンの首都は、元々カラチだったんです。ところが、トルコがイスタンブールから内陸のアンカラに移したように、パキスタンは首都を内陸のイスラマバードに移しました。海から1000キロ以上離れた内陸に首都を移したのは、海の近くに首都があると敵の潜水艦がやってきてミサイル攻撃を受ける可能性があるというので、内陸に移すんです。潜水艦発射型の核ミサイルの射程距離が1000kmだったころのことです。

その現在の首都からラホールという古都、ムガール帝国の首都が置かれた街。そのラホールにあるパンジャブ大学で学会があったので、僕はそこに行ったんです。

この地図はね、あんまり見たことないと思うんですけど、グーグルアースに、アメリカの地質調査所(USGS)が配布しているデジタル地形情報GTOPO30のデータを取りこんで表示したものです。GTOPO30は、スペースシャトルを使って、全地球の標高を測定したデータですが、誰でもダウンロードできます。それにGoogle Earthを乗っけて表示した地図がこれです。

左の上に高さが出てますけど、これは紫色のところはもう海面0に近くて、水色ぐらいから400、500メーター、1000メーターを超えたところがタクラマカンですね。

白いところがもう2000m以上のところです。ヒマラヤってのは8000メーターもあるんだけど、これ全部2000以上だから白くなっているんですけどね。なかなかこんな地図、見ないですよね。僕はかつて働いていた職場の同僚に作ってもらいました。

イスラマバードからラホールまで300キロぐらいあったんですけど、途中は豊かな田んぼや畑がずっと続いていて、丘一つないんですよ。なんかすごいなって思いました。

パキスタンの人は外国から人が来ると、「パキスタン、どう思う?」っていきなり初日から聞くんです。「来たばかりの初日に聞かれても何も言えません」と言ったんですが。

それから毎日それを聞かれるものだから、いやでも考えるようになった。一つは、とにかく豊かである。農業が豊かである。水が豊かで土地が平たくて、そこらじゅうから水が湧いててね。パキスタンはね、米も小麦もとっても美味しいんですよ。

すごい豊かなところだなっていうのを感じたんですね。それがインダス平原ですね。インダスガンジス平原っていうのかな。実際このバングラデシュからアフガニスタンのカブールまで2500キロ、丘一つ無いわけです。

とにかく平たいっていうことを感じたんだけど、これは何で平たいかっていうと、元々インド亜大陸、つまりデカン高原は、ゴンドワナ大陸の一部だったんですね。それが、ユーラシアとガーンとぶつかって、ここにヒマラヤ山脈とかカラコルムとかの大褶曲山脈が生まれた。

それで、間は海だったんです。海だったところに、水が土砂を伴ってきたから、ここは埋め立てられた。巨大な干拓地というか、埋め立て地なわけです。そこでインダス文明が始まったっていうことに気がついたわけです。

左上のここはですね、イラクですね。これがティグリスユーフラテス川のあるメソポタミア平原なんですね。ここもすごい平たい。左のアフリカ大陸とアラビア半島ってのは実は一つだったんです。

それがユーラシアとぶつかって、ザグレブ山脈とかエルブルズ山脈ができて、あいだの海だったところに土が溜まってできたのがメソポタミア平原なんですよ。ぶつかった衝撃で大陸が割れて、紅海ができ、裂け目ができてナイル川ができて、ナイル川デルタがここなんです。

ナイル川デルタもすごく平たくて広い。おそらく同じときの衝撃で、ユーラシア大陸に亀裂が入ってできたのが黄河で、黄河平原てのが右側の中国なんです。これもね、広いですよ。日本に住んでるとね、こういう広いとこ見たことないからね、もう本当に驚くんですよ。関東平野とかね、そんなもん目じゃないですよね。1000キロとか何百キロも平原が続いて、なおかつ水が流れてきますから、とても農業はしやすい。


音になって意識の中に入ってくる。これが文字

得丸久文:
4大文明ですね。メソポタミア、インダス、黄河の4大文明はどれも、超平たいところで生まれたっていうことに、そのときに気がついたんですね。2016年、8年前ですね。
そうするとね、文字と文明の関係というものが見えてくるわけです。

確か農業ってのはね8000年前とか1万年ぐらい前から発達するわけです。
そして農業が発達すると豊かになりますから、お金ができてきたりするわけで、そうすると、力の強い人が偉いっていうんで、群雄割拠で始まって、最終的には王朝が生まれる。

つまり、メソポタミアでもエジプトでもインダスでも中国でも王朝が生まれるわけです。農業が栄え、権力が集中して、王朝が生まれる。
すると何が起きるかというと、税金の取り立てが始まるわけですね。

王朝の権力のもと徴税が始まるわけですけど、そこではたと困るのは、誰がいついくら払ったのか、そこは誰の土地かとか、そういうものを記録する必要が生まれるわけです。どうしたらいいだろう。記録する装置、そんなものはなかったわけですね。

6万6000年前に母音が生まれて、文法が生まれたっていうとこまでは話したかもしれませんけど、6万年間、書いたものを記録する必要が生まれなかった。

ところが、5000年前にメソポタミアで初めて、記憶装置を作る必要が生まれた。この税金の取り立ての記録、土地の所有の記録を何とかして消えないようにしてくれ。どうしたらいいか?それで生まれたのが楔形文字なんですね。

そしてその後200年ぐらい後ですか。エジプトで象形文字が生まれた。
だからメソポタミアの楔形文字も象形文字も、話し言葉を記録する装置なんです。

得丸久文:
正書法、英語だとorthographyというんですけど、正書法を脳に叩き込んでしまったら、書き言葉は音になるんです。

例えば今こうやってぱっと字が出てきたときに、皆さんは字が丸いなとか四角いなとか思うんじゃなくて、頭の中に、「文字が生まれて人が死ななくなった」っていう言葉がぱっと聞こえてくるわけですね。

だから読める文字が目に入る、読める文字が見えるってことは、それが音になって意識の中に入ってくる。読み書き能力と合わさると、文字は「消えない音節」なんです。

だから今まで何となく漠然と、文明が生まれて文字が生まれたっていうふうに思ってましたけど、どうも違う。文字が生まれたから文明が生まれたんじゃないかっていうことに、このときに気がついたわけです

カラハリ砂漠で直立2足歩行になって、それからクラシーズリバーマウス洞窟で音節を獲得した。今年7月にインドのデリーで行われたユネスコの世界遺産会議で、クラシーズリバーマウスは世界遺産に登録されなかった。全然そうじゃないところが登録されるっていう変なことが起きたんですけど、それはまた別の機会にお話ししますが。

クラシーズリバーマウスで母音が生まれて、音節が獲得された。音節というのはデジタル信号だから、知能のデジタル進化が始まって、文法が生まれた。
文法は、母語を片耳聴覚で聞いて、文法語の音節を脳幹聴覚神経核でベクトル処理しているというのがデジタル言語学の仮説です。

デジタル進化っていうのは、信号の持っている潜在能力を活用するために、低雑音環境に身を置いて、処理能力が増えたときに生まれるんですね。携帯のアンテナが2本だったところが、4本とか5本になると、画像の送信が早くなるようなもんで。
S/N(信号対雑音比)は、静かな場所で分母の雑音が小さくなると、がぜん大きくなる。通信能力が増えるんですね。そのS/N余剰を利用して文法処理が始まったわけです。

私達は、喫茶店とか温泉とか、たくさん人がいるとこで、日本人が日本語を喋ってるのを聞いてると、誰がどこに座ってるかわからないです。あるいは電車に乗ってて、車内放送ってあるでしょ。あれたくさんのスピーカーから音が出てるんだけど、実は僕たち全然そういう気にならなくて、一つの音しか聞こえないんですね。

一つの耳でしか聞かない、ステレオでは聞かないんですね。僕たちは日本語を片耳でしか聞いてないんです。3歳ぐらいからなんですけど、それは文法のためなんです。

文明とはどういう現象か。

得丸久文:
文明てなんだろうっていうときに、古代文明、西洋文明、文明の利器、物質文明ですね、それから、文明社会、文化と文明、文明と野蛮、文明開化とか、そういったものを考えながら、自分の頭の中で、文明って何だろうっていうことを考えないと、自分の頭で考えることができないんです。

積極的に自主的に、文明ってなんだろうって、ウーンとうなって、さらにもっともっとうなって考えないと文明というものが認識できないんですよね。

なぜ難しいかっていうと、たくさんの人が文化と文明という言葉を使ってるけど、定義もしてなくて、間違った使われ方をしていることもあります。でも丁寧に言葉を探っていけば、見えてくること、本当の文明がみえてくるということをお話しするわけです。

得丸久文:
文明とはどういう現象か。
まず、都市文明とか古代エジプト、古代中国、近代西洋というように、文明ってのはですね、時間と空間の広がりを持つ、あるいは時間と空間で限られている、社会的な現象というふうに思うんですよね。
これが全部じゃないんだけど、確かにそんな感じがするなとそういうような感じで聞いていただければいいんですけど。

それから、文明開化とか文明の利器というように、人間がいろいろと考えて発明して発展させた知識や技術の集合、それが文明というふうに何となく言っている気がするわけですね。それから精神文明って言うんですかね、でも物質文明という言葉がありますからね、その対義語があるわけで、文明には精神的な部分、知識的な部分と、物質的物量的な部分側面がある、ということも言えるんじゃないでしょうか?

文明っていうのは、野蛮、未開の対義語、反対語ですね。どう反対語かっていうと、やっぱり文明ってのは教育の生み出すもの、あるいは1人1人が学習をして積み上げていく、それが前提にあると思うんですね。どうでしょう。違うなとか思ったらあとでいくらでも質問してくださって結構です。途中でもいいんですけど。

だからとりあえずこんなふうに考える。つまり文化ってのは1人1人が勉強し、学習して身に着けて発展させていく個人のものです。それが集合的になると文明。文明とは文化の総合、シグマ(Σ)関数ですね。あるいは伝統とか人類共有智。今までに人類が積み上げてきた伝統が非常に大切になる、だから団体総合種目っていう感じかな。そういうものが文明、みたいなふうに文化と文明を位置づけられる。1人がやることは文化的であり、その総合種目として文明がある、みたいなふうに考える。

得丸久文:
これが2016年のパンジャブ。パンジャブっていうのは、パンってのは数字の5なんです。1、2、3、4、5の5で、ジャブってのは川で、ジャブジャブするから川なのかなと思うんだけど、パンジャブっていうのは、このパミール高原から5本の川が生まれ、流れ出るんです。3本がパキスタン側で、2本がインド側に流れていってるんですね。ガンジス方向に。ご覧のように、そこら中から湧き水が得られて、農業には困らないんですよ。何とか用水とか作らなくても掘ったらすぐ水が出るわけですね。

この川なんていうのは、どっちが上流かわかんないですね。太くて大きな川なんだけど、日本の川っていうのは大体上流がわかるんですけど、パキスタンの川は上流がどっちかわかんないぐらい、平たいところを流れてくるんですね。

2週間ここで過ごした後に、帰りの飛行機の中でフライトマップを見たら、インド亜大陸がぶつかって、海だったところを土砂が埋め立てて出来たのが、インダスガンジス平原なのかなって思った。大陸の衝突と、その後の土砂の流入によって埋め立てられた大平原なんだなっていうことを実感したわけです。

やっぱりね、現場に行くってのは大事でね。2017年の10月は、カラチで第3回パキスタン言語学会ってのがあったんですけど、どこか行きたいとこある?って言われたんで、モヘンジョダロに1回行ってみたいとお願いしました。
モヘンジョダロっていうのはカラチから夜行バスで6時間か7時間乗って、さらにそこから車で1時間ぐらい行くとこなんですけど、はるばるそこへ行ってきたんですね。

ここがインダス川平原で、とにかく平たいところなわけですね。そこにこの日干しレンガで出来た街、BC2500年から1800年にかけて繫栄したと言われています。今から4000何百年か前の街のあとが残ってるんです。

やっぱり広いですよ。もう平たくてね。日干しレンガで出来た街なんですが、ちなみにパキスタンでは今でも日干しレンガを作ってるんです。

朝から行っていい加減疲れて、喉も渇いたし、もう帰りたいっていうふうに、一緒に来てくれたパキスタンの友達は言うんだけど、ちょっと休んでから、もうちょっと歩こうと言って歩いていたら、このでかいプールだか浴場だかわかんないんですけど、もうこれはすごいなと思って、これは圧巻でしたね、こういうものがあるわけです。こうやって現場に行くと、今まで思いもしなかったことを思うわけで。

古代4大文明には共通点があるんですね。温暖な中緯度にあります。北緯20、30ぐらいですか、そんなところにあるわけですね。水利に恵まれた肥沃な広大無辺の平原、あるいは三角州にあるわけです。そこでまず農業が栄えるわけですね。そして王朝が生まれる。

それから文字が生まれる。くさび形文字、象形文字、インダス文字、漢字。
インダス文字だけはまだ解読されてないんです。一方、漢字だけは今でも使われてる。漢字はすごいわけですね。現代まで続く文明現象が生まれてる。

これはさっきご覧いただいたのと同じですけど、大陸衝突、ゴンドワナがユーラシアにぶつかって1億4500万年前にここのアラビア半島がぶつかり、その後おそらく1億年ぐらい前に、デカン高原がヒマラヤにぶつかっている。そういった中で平原ができて、もう人間の想像を絶する、どれだけ歩いても平たい土地が続くっていう、そういう地形が生まれるわけですね。

これはアフリカ大陸ですけど、ここがメソポタミアで、アラビア半島は今は砂漠ですが、ここの南西端の白いところは山がパカンと割れて、もともとアフリカ大陸とひとつだったんです。ジブチの辺りが、土砂で埋まってるんからわかりにくいんですけど、元々は一つだったんですね。アラビア半島とアフリカ大陸は、ここの三角のところは何もなくて、ここは多分衝撃で割れたんですね。ユーラシアにぶつかった時の衝撃で割れてできた紅海。

そしてこのナイル川ってのは、この辺りですけども、大陸が割れてグレートリフトバレー(大地溝帯)がずっとつながってきてるわけですけど、それの延長にナイル川の亀裂が生まれる。

そういうものを見てくると、大平原、農業、王朝、記録装置、学校、そして人間が死ななくなると。そういう流れが見えてくるわけです。

肥沃で水利の良い大平原で農業が栄え、王朝が生まれ、徴税管理のための記録が必要となって、言葉を長期保存できるようにする命令が生まれた。書き言葉なんてよほどのことじゃないと使わないわけですよね。


文明とは文字が生み出す総合的な言語現象である

得丸久文:
文字を作ればいいっていうわけじゃないんですね。文字っていうのは、さっき申し上げたように、今喋ってる音節を2次元の紙と鉛筆で記録して、2次元で書いたその線画をもとに変えるためのものなんですね。だからその仕組みを誰かが作り、それを学校で教える必要があるわけです。

文字と文明と学校っていうのもセットで生まれてるわけです。その結果、何が起きたかというと、税金の取り立てとか記録の他に、それまでは人が死んだらもうその人にいろんな知識や知恵があったとしても、質問することはできなくなったわけですけど、その人が書いたものを残したら、その人の知識を、その人が死んでも読むことができる。読んで聞くことができる。文字は音だとすればですね、その文字に書き残せば、その人の知識が不滅になる、死ななくなると、そういう現象が起きた。ここに文明の本質があると思うわけです。

つまり、読み書き能力が文字列を音節列に変える。あるいは音節列を文字列に変える。これは王朝が作らせたわけだけども、そのときに学校も同時に生まれて、読み書き能力の正書法というものを教え込む。

すると識字者(リテレイト)は文字列から音を聞き取る。文字は消えない音節というふうになったわけですね。音節で消えなくなったことで、文明が誕生するというメカニズムがあるわけです。

シャンポリオンは象形文字の解読をやったわけだけど、結局楔形文字も象形文字も音だったんですね。表音文字だったんです。話し言葉を記録するために、文字は読み書きの規則(正書法)とセットで生まれるわけですね。

正書法というのは音節列を文字列に変換し、文字列を音節列に変換する規則のことを言います。読み書き能力というのは、正書法を脳に記憶すること、そういうことなんです。

読み書き能力を持っているというのは、文字列を音節列に変換することができるということなわけです。皆さんこの字を見ながら、頭の中で音が思い浮かんでいるわけですね。

だけど、インダス社会っていうのは古くからカースト制ってのがありますから、階級制が邪魔して、普通教育というかですね、広い教育を行わなかったんじゃないかなと思うんです。そのために文明が失速した。読み書きできる人口が増えなかったんですね。だから文明があんまり伸びなかった。未だに日干しレンガを作っていることは、あまり褒められることではないと思います。

一方で、漢字ってのはこの四つの中で最後発文字なんですね。
おそらく中国の王様、皇帝ですか。皇帝が、やっぱり俺たちも文字が必要だと思ったんでしょうが、楔形文字や象形文字を見て、あれは覚えにくい、使いにくいと思った。だから、もうちょっと何とか考えろ、工夫しろと。そうしないとお前の首を切るって言ったのかもしれないけど、それでいろいろ考えたわけです。

その結果、偏(へん)と旁(つくり)の字の形に、意味や音を持たせた。さんずいだと水とかね、木偏とかですね手偏とか、字の形に意味を持たせることによって、書くのに手間取りますけど、その代わり言葉の書いたものをぱっと見れば意味がわかるような、そのおかげで、効率的な文字が生まれた。だから今の21世紀になっても使われているわけですね。

モヘンジョダロの美術博物館で写真撮ってきたんですけど、もう印鑑しか残ってないんですよ。人間は堕落するから、だんだん勉強を嫌がる人もいるんでしょうね。それであんまり伸びなかったんですね。
紫式部がいたら、みんなで小説とか書き写して回し読みしたかもしれないけど、そういうことしなかったから、印鑑しか残ってないですね。だから解読されていません。ちなみに、小説や詩などの文学作品も、文明の大切な構成要素です。

文明とは何かさっき最初に言ったように、時空間的な広がりを持つ人間活動ですね。

文字のおかげで、人間が死ななくなった、人の知識が消えなくなった。消えなくなるとどうなるかっていうと、この時空間の中で、時空を超えて言語情報が共有されるわけですね。生まれてからいきなり0から始めなくていいわけです。今までにみんなが一生懸命やってきた勉強の仕方とか、いろんな知識を学ぶことができるようになった。それが一つの文明の大きな効果です。

それによって、もっと大きな効果は、知識が世代を超えて連続的に発展したこと。俺はここまでやったっていうふうに思って死ぬと、次の人はその前の世代の人が死ぬまでに達成したことが出発点になるわけだから、一生懸命考えたらもっと先に進められる。この知識の連続的な発展。これこそが、文明の最たる意味じゃないかなと。最も大事なことじゃないかと思うんですね。

得丸久文:
エルミタージュ美術館というサンクトペテルブルグにある美術館に行ったら、ロシアは読み書きの練習に使われた粘土板をたくさん持って帰ってるんですね。メソポタミア平原の各地から、いろいろな遺物が持ちかえられています。(「文明は時空間的広がりをもつ人間活動」の地図参照)

これは書き方の練習をした粘土版ですが、各地で見つかっています。
学校っていうのはやっぱり文明の必需品なんですね。前の人がどこまでやったかっていうことを知ろうと思ったら、その人が書いたもの読まなきゃいけないんで、それを読むために読み書きは最低限必要なわけですね。だからそのデジタル信号、消えなくなった音節を自分たちが自由に使うためには、読み書き能力っていうのは最低限必要なフロントエンドプロセッサーというかですね、脳が文字をバーっと音に変えていく能力ってのは非常に重要なんです。

それなのに識字の研究って実は行われてないんですよ。どうやったら識字が高まるかって一生懸命勉強しなさいっていうようなことはみんな言うんだけど、脳のどこで言葉の記憶が、読み書きの記憶ができるのかっていう研究はどこにもないんですね。

僕はそれを発表させてもらいたかったのに、ある研究会ではそういうのを発表すらさせてくれなかったんですよ。なんでかなと思うんだけど、とても大事なことなんです。どこに読書の記憶があるかっていうのは、今の科学では、実は言語の記憶ですら、どこにあるかっていうのは明らかになってないんです。

私の場合はデジタル言語学では、脳室内のBリンパ球という免疫細胞があって、それが一つ一つの言葉に対して生まれて、その言葉の記憶がぱっと字を見て、これは俺の担当だみたいな感じでですね、例えば識字とか、脳科学って見ると、その言葉を司るBリンパ球が刺激されてパッと読めるという仮説です。

その言葉の記憶がまずあって、まず語彙があって、そしてあとで字を見ると識字は進むと、こういうことです。とても大事だと思うんだけど、それを発表する場がないんですよ。本当に困ったことです。

ユネスコアジア文化センターっていうのが神楽坂にありますが、もう予算がなくなって、識字の研究とか識字活動をやめた。識字活動やってるときでも識字の脳科学とかやってないですね。

だからそういうのは大事で、だからおばあちゃんが昔話をするとか、お母さんが読み聞かせをするとか、それは子供にとってはとても大事なんですね。それは耳からまず言葉を覚えると、そしたら読み書きも早く上達するということです。

得丸久文:
これはハムラビ法典ですね。これはプーシキン美術館で撮影したんですけど、パリのルーブルにもありますね。これはもう1個じゃないわけですよ。もう各街角に、郵便ポストと同じくらいあるかどうか知らないけど、各街の大きな広場にこういうものを置いて、ああいうことやっちゃいけない、こういうことやっちゃいけない、これは目には目をで復讐してもいいとかですね、そういうのを書いて置いていたわけですね。

法律ってのは非常に文明的ですね。だから今政治家とかみんな陰でコソコソ悪いことしてるけど、非常に非文明的なことやってると思いますけど。

みんなが同じ意識を持って、何かを法律とかあるいは文化とかそういうものを尊重するっていうような社会が文明的だと思うんですよね。秘書がやりましたとかですね、なんかそういうのは悪いことやっても知らんぷりしてるようだったら非常に非文明的だと思うんですけども。

そういうことでハムラビ法典なんかを作って各地に配置することで、文字がまたそれによって広まっていくわけですね。

だから、文明とは何かっていう話をしますと、文字が生み出す総合的な言語現象である。最初は大河流域の肥沃な大平原で農業が栄えて、権力が生まれて王朝になって、統治や徴税のために記録を必要としたから、文字を作らせたんですね。
文字とその読み方、正書法を発明するように王様が言ったわけですね。その結果、期せずして、人の知識が文字によって時空間を超えて共有されるようになった。そして思考や知識は、世代を超えて受け継がれ、連続的な発展を始めた。
ここが大事なんですね。これが文明と呼ばれる現象の本質であると思うわけです。

だから、その文明を可能にするためには、多岐にわたる下部構造が必要なんですね。下部構造って何か。この次にいいますけど、そしてエリート教育とか専門家の養成教育って結構大事なんです。

どんどん広く深く発展していってますから。やっぱり俺はちょっと酒飲んでる暇ないな、勉強しなくちゃいけないなって感じで、文明のためにですね、人生をそういう専門家として生きていくっていう人がいないと、文明は発展しないと思うんですね。

いかに自然で使い勝手がいい文字を持つか

得丸久文:
まず文字体系ですね。国家が文字を導入して、正書法を定めるわけですね。

だから国家の法律文化政策、平和な状態じゃないと文明は繁栄しないと思いますけど、例えば中国の共産党政権になって漢字が簡体化されますよね。簡単な漢字に変わりますよね。

同じようなことはソビエトの共産党政権もやってるんですね。キリル文字の数を一つ減らしてるんですよ。減らすってことをよくできるなと思うんだけど、でもそうするとどうなるかっていうと、共産主義の社会で生きている人は、古典は読みにくくなるんですね。昔のものが読みにくくなる。

僕たち日本人も終戦1945年の敗戦のときに、文字改革が行われて、旧字を使わなくなります。そうすると昔のものが読みにくくて、今は旧字体を読めない人が多いですよね。慣れれば意外と読めるんだけど。

だからそういうふうにも使われるわけですね。政策的に、民衆を馬鹿にしたいとか、昔のものを読ませたくないと思えば、文字を変えちゃえばいい。

あのインドの方でも、南インドのテルグ語では、300年に1回ぐらい文字体系を変えてるんです。そしたらもう、庶民にまで広まらないですよね。

いかに自然で使い勝手がいい文字を持つかっていうのが文明の発展する上で重要なんですね。

それから文明の下部構造としては、教育機関ですね。学校や塾、寺子屋なんかもそうですね。皆さんご存知ないかもしれないけど、僕が子供の頃の時代劇のドラマとかだと、江戸の夜だとですね、江戸の町で夜鳴きそばとかもいるんだけど、大体夜7時とかちょっと暗くなったぐらいのときに寺子屋でね、子供たちが「子曰(しのたまわ)く」なんていうのが、サウンド効果で出てきてて、日本ってのはそういう点では庶民が非常に勉強する。農民とか漁民も学ぶ喜びに目覚めて論語を勉強してたんです。

そういう塾とか学校をつくりゃいいってもんじゃなくて、そこで教える人が必要だし、教科書が必要だし、そういったいろいろな物や人が必要だからややこしいわけです。複雑なんですね。だから、日本の場合は論語とか孟子とか、そういう中国の古典もあったし、恵まれてるわけです。

それだけじゃなくて、研究機関とか学者や知識人、思想家や哲学者。やっぱり最先端を行く人たちも必要で、そういう人たちはどこで過ごすかっていうと、江戸時代だったら藩校というんですかね、各藩にそういうエリートを作る学校があった。あるいは江戸や大阪に行けば、自分の藩にとらわれずに勉強できる私塾があった。

あるいは日本の敗戦前だと、ナンバースクールって言って、今東大の駒場は昔、第一高等学校、京都は第三高等学校、一校か二校とか三校とか、そうやって大学に入る前に、3年間寮に入れて、そこで徹底的にデカルト、カント、ショーペンハウエルとかを「デカンショ」といって哲学を論じてた伝統があったわけです。

ドイツにもギムナジウムっていうのがあって、それは戦争に負けて潰されるわけですけど、そういうエリート教育っていうものが非常に大事なんですね。
アメリカはよく知ってるから、まず教育改革が昭和20年、敗戦と同時に教育改革をやるんです。日本人が馬鹿になるように、エリートが育たないように。

それから、大事なのはやはり図書館なんですね。
文字が人の命だ、文字が、文章が命だとしたら、それをいかにうまく保存するか、きちんと保存するか、誰でもアクセスできるように保存するかってことはとても大事なんです。

エジプト文明の後期、ヘレニズム国家のもと、アレクサンドリア図書館というものができるんです。当時紀元前4世紀のプトレマイオス1世の時代に、最大級の図書館が生まれるんですが、ローマによって破壊され、徐々に衰退していくわけです。

図書館って結構火事になったりしてですね。5、6年前かな、ケープタウン大学の図書館も火事に遭いましたけど、図書館が火事に遭うってのは大変な損失なんですよね。そこはアフリカ関連の重要な文書や記録が保存されていたところです。わざとなのか事故なのかもちょっとよくわかんないんですけども。

図書館にいい本をちゃんと保存して、それを司書がちゃんと整理して、雑誌とかだったら合本にして表紙をつけて保存します。大学の図書館なんか行くとちゃんとそういう専門家がいて、店頭ではペラペラな表紙の雑誌だったのに、図書館の書棚に並ぶときは合冊されて厚い表紙がついた本になってるなんてことを驚きますけど。

ちゃんときちんと保存してるわけです。昔はカードだったけど、今はデジタル的に電子化されてカタログができてますけど、そういう一連の図書館の作業がとても大事なんですね。

それから出版業界、書店、古書店。そういったものがないと文明っていうのは発展しないわけですね。

その中で特に大事なのが、古典あるいは伝統。有史以来の文学作品や歴史の蓄積があるわけですね。学校で、なんで私達が源氏物語読まなくちゃいけないんだとか、なんで論語読まなくちゃいけないんだとか、高校時代に思った人いるかもしれませんけど、やっぱり大事なんですよ。

なんでかって言ったら古典っていうのはやっぱり知恵ですね。孔子や孟子って人の言ったことが、多くの人に受け入れられて、そのおかげで発展してるわけです。いや、知らんよりは知った方が絶対にいいと僕は思うんですけども。
そういうものが存在して、アクセスしやすい。今もちろん青空文庫とかいろんなデジタル的にもいいものにアクセスできますけど、やっぱり紙の方が持ち歩きもできるし、線を引けるから、紙の方がいいと僕は思ってますけども。
そういったものが手に入りやすい、手に入るってことも大事なんですね。

それから、辞書の編纂。世界で最も古い辞書っていうのは、今から約1900年前に、漢の時代の許慎という人が、説文解字という辞書を作ったんですね。
人によって書き方が間違ってて、バラバラになってるから、統一をしなくてはいけないと使命を帯びた人が現れるわけですね。俺はこれを何とかしようと言って辞書を作るんです。そういう伝統の上で今は三省堂書店とかね岩波書店とか、いろんな辞書がありますけども、交通整理じゃないですけど、そういうものがないと文明空間というものがうまくいかない。

あと翻訳ですね。日本ってのは特に輸入翻訳が多いですけど、他の文明とのインターフェースが翻訳ですけど。
日本ってのは翻訳者の印税が非常に高いので有名ですよね。だから外国の小説とかを翻訳する人が多いわけですけども。おかげで我々は、いろんな外国の小説とかも簡単に日本語で読める。すごく恵まれたことだと思います。

そういったいろいろな人たちが、いろいろな業界があって、あるいは政策とかがあってですね、文明ってのは成り立つわけです。複雑なんですね。


文明、平和、伝統、質

得丸久文:
さらにですね、やはり平和じゃないと文明ってのは発展しないですよね。戦争なんかやってると文明なんかありえないですよね。今ウクライナとか、あるいはパレスチナとか、文明的ではないわけです。

文明というのは破壊ができる。戦争して、壊したり、植民地化して植民地のための文化政策をしたり。

文明は自己崩壊もしうる。酒池肉林というかですね、グルメとか、セレブとか言いながらボケっとしてると失速して腐敗してしまう。

得丸久文:
それから、学ぶには作法があるんですね。学ぶには先生について、黙々と勉強するとかですね。
実は昨日この話を別のところでやって質問が出たんだけど、秘伝というのがあるだろうと。
文字と秘伝の関係はなんだっていうんだけど、確かに面と向かって先生が弟子を見てれば、こいつには今この段階だからこれは言っても駄目だなとか、ここまで来たらこれを教えてもいいっていうふうに、相手を見ながらちょっとずつ教えていけるわけですね。

でもそれが、完全に独学になっちゃうと、それがうまくいかないわけですね。バーっとありとあらゆるもの読んで、そこにはこう書いてある、ここにはこう書いてあって、混乱しちゃうわけですね。だからその辺りの独学のやり方っていうのは、あるわけで、その秘伝をうまく独学に生かす、秘伝を受け入れるコツみたいなものも、独学の中で発展させることができると思うんですけど、そういったことも作法してあるというわけですね。

独学で、本に書いてあることを自分勝手に、自分の都合のいいように勝手に解釈したら、絶対にダメです。本末転倒というか、学ぶ意味がありません。逆効果です。あくまでも本を読むのは、著者が何を思ってそのように書いたのかを、自分が著者に同化することで理解する行為でなければなりません。

それで、伝統っていうのは、実は喜びを生み出すんだと。
伝統に触れる喜び。皆さん論語を読んだことがなかったら1回読んだらいいと思います。論語と孟子は本当に感動しますよ。2500年も前にこんなこと言ってたんだ、すごいなって、それだけでも嬉しくなっちゃいますね。

それから伝統を共有する喜びですね。

森田丈夫さんっていうのは東大の医学部の研究医だったんですけど、召集を受けて、ビルマ戦線に行って軍医をやるんですね。ビルマ戦線ていうのは30万人の若者が送られて、20万人が死んで、残りはみんな病気になって、生きるか死ぬかで帰ってくる。森田さんの場合は生きて帰ってきたんですけど。

昭和20年8月に武装解除になって、イギリスの捕虜になって、ビルマから国境を超えたところにあるタイのナコンパトンという収容所で新しい捕虜の生活が始まるんです。捕虜ってのはちょっと情けないと思うかもしれないけど、でも一応ジュネーブ条約があるので、待遇は保護されるわけです。それに食べるものはあるし、命の危険はないわけですね。

その彼らがその年末にクリスマス休暇と新年の休暇をもらって演劇大会をやったんですが、そのときに誰かが言いだして百人一首を作ろうってなったわけです。多分、缶詰のラベルとか、たばこの空き箱とか、そういった紙を100枚集めて、記憶だけを頼りに読み札と取り札を作ったんだと思うんです。

そして記憶をもとに全ての百人一首を思い出したぞっていうのがこの歌なんです。

「相共(あいとも)に百人一首を憶(おも)ひ出しかるたを作る 全てかなえり」

4区切りの珍しい歌ですが、全てそろった時の感動が強く響きます。

ちなみに最後の百首目は、大伴家持の「かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」という歌だった。それを私が思い出したと、彼は歌集の余白にサラリと書いてあるんですね。ちょっと自慢してるんですけど。自慢してもいいと思いますよ。
これはおそらく収容所にいる、中学校しか出てないような、小学校しか出てないような人がいたとしても、記憶を頼りに百人一首を作ったことをみんながすごいと思った、みんなが心の底から喜んだことでしょう。絵を描いた人もいるかもしれない。読み札と取り札を作ってですね、それでお正月の捕虜としての休暇を、百人一首をした人たちがいたんですね。

これ読んでね、これは1円の得にもならない、1gカロリーにもならない。だけどね、ものすごい喜びが生まれただろうと思うんですね。伝統の喜び、かるたをする、平和なときに戻れた喜び、知的な喜びが、収容所中で共有された。そういう喜びだったと思うんですね。

伝統というのはこのように伝える喜びもあるし、伝統に接する、属する喜びがあり、伝統に貢献する喜び、自分が何かをやったことが伝統になるという、そういう喜びがある
伝統ってすごい喜びだと思うんです。だから1人1人がその喜びを感じること、伝統を学ぶこと、知ること、共有すること、そういったことで喜びを感じる。

だからそのために一生懸命になるっていうのが文明の中のモチベーションというか、駆動エンジンというかですね。それで文明ってのは走る。前に進むんだと思うんですね。

得丸久文:
それから、文字体系、文字政策ってのは文明の性質を決めるって思うんですね。

文字と正書法が文明を決定づける。例えば、最後発文字だった漢字は今も使われてます。やっぱりいいもんです。漢字って素晴らしい発明だと思います。

漢字検定協会っていうんですかね、漢検ってのがあって、あまりに流行りすぎて取り締まられたりしたしたことがあったと思いますけど、一生懸命みんなが勉強してやるのもいいし、漢字の研究してらっしゃる研究者に阿辻哲次さんという方がいて、本を何冊か読ましてもらいましたけど、めちゃくちゃ面白かったですよ。

日本語ってのは、非常に面白い言語で、漢字がある中国の陸続きではないけども、文化が届かないわけじゃないっていうか、文明の端っこにいるというか、文物が届くような距離にいるもんですから、漢字とそれを読むための技術として、音節文字、ふりがなを作るためにカタカナがまず生まれたわけですね。

先に生まれたのがカタカナなんですよね。筆と墨と紙ができて、カタカナを追いかけて、ひらがなも生まれた。
ひらがなとカタカナの違いは、46ある中で、29はカタカナとひらがなは同じ文字から起こしてるんですね。「カ」なんかそうですね。だけど「ア」(阿、安)とか「イ」(伊、以)は元の漢字が違うんですよ。19の文字はカタカナとひらがなで元の漢字が違うんですね。

おそらく筆でサラサラさらっと書くときに、書きやすいようにという設計思想(デザインドライバー)で、ひらがなを作ったんだと思うんですね。

インドのデバナガリや朝鮮のハングルは、子音を形で表わして、母音は点をどこに打つかで表わす。すると筆記体や草書体というものが生まれない。このために一般庶民が日常的に書き言葉を使うことが阻害されていると思います。

かな草書を、読みこなすことは大変ですが、それが庶民の文化レベルを高めたことは間違いありません。

カタカナもひらがなも、できたのは10世紀の頭ですね。つまり菅原道真公(845-903)がおられた頃です。紀貫之(866?-945)は菅原道真公より20歳くらい若くて、菅原道真の門下にいたんですけど、紀貫之の古今集仮名序とか、土佐日記っていうのは最初のひらがな文化の文物です。このお二人は日本文明に大変貴重な、最大のといってもいいくらいの貢献をした方々だと思います。

その頃、10世紀前半というのは、中国の唐が日本に対してもっていた非常に大きな影響、7世紀なかばに白村江で日本が敗北して以来、唐が日本を200年ぐらい支配してたのが、だんだん中国の方で政治がおかしくなってくる時期なのです。

安史の乱っていう乱が起きたりして、唐自体が滅びゆく中で、菅原道真は遣唐使になれって言われるんだけど、自分が行かなくていいように遣唐使を廃止しちゃうわけ。だけど菅原道真は今度は太宰府に島流しに近いような形で送られて、そこでかわいそうな死に方をするわけですけども。

そういう日本が中国に対して、文化的な独立を持とうとした時期が10世紀前半ですね。
それからちょっとして、源氏物語が11世紀の頭に生まれるわけです。

その時代にひらがなとカタカナが生まれて、そのおかげで漢字仮名混じり文というものを作ってるわけですね。それが世界で最も難しい表記法だっていうふうに言う人もいるんだけど、複雑な概念は主に漢語を用いて、それ以外のところはひらがなで繋いでいる。

だから、日本の文化の特徴は落語とか短歌俳句とか、講談とかですね。大衆文化が栄えるんですね。今でもそうですけど、庶民のレベルが高いわけです。それが日本文明というか日本文化の特徴ですよね。そのかわり複雑な概念を理解している人はあまり多くない。
それはごく一部の学者の人しかやらないし、最近はそういうごく一部の学者ですらちゃんと勉強してない人もいたりして困るわけだけど。大衆文化が栄えるのが日本の特徴ですね。

正書法の関係でいうと、英語っていうのはですね、ヨーロッパ言語の中で独特なんですね。Wikipediaでも、英語正書法(English orthography)ってのは一つの項目があるぐらいですよ。OUGHに7通りの発音がある。cough、 through、thorough、tough、thoughtとか読み方が7通り以上あるとかいうでしょ。あれは面倒くさいなと思うかもしれませんけど、おかげでアルファベット26文字だけで全ての音を表してるわけですよね。

それは、フランス語にもできないイタリア語にもドイツ語にもスペイン語にもできない。アクセント記号を使わないといけないわけです。それが英語だけは、アクセント記号なしで、すべての言葉を表現できるわけです。だからやっぱ世界語になっていくわけですね。

私はそれを規則的不規則性っていうんですけども。その不規則性の中にも規則が作られてるわけで、1000年ぐらいかけて、このBは読まないとかKを読まないとかですね、いろんなルールがあって、今のEnglish orthographyができてて、すごい発明だと思いますよ。

ただ、サッカーしか見ないような一般庶民は1500とか1700ぐらいの言葉しか知らないんですね。だから難しい言葉は知らないんですよ。エリートと庶民の格差が激しい、非常に階級的な言語ですね。


文明の本質は伝統の学習と継承発展

得丸久文:
そろそろまとめに入ってきますけれども、文明というのは何かというと、空間的現象は時空的な現象として、広大無辺な土地で統治上必要となって王朝が文字を発明させた。

そして文字と正書法によって音節は消えなくなった。おかげで人の知識は時空間を超えて共有されていく。伝統が世代を超えて受け継がれ、自己増殖的にみんなの努力によって発展していく。これが文明ではないかと。

得丸久文:
すると、今度はそこに生きる人、文明人というものが出てくる。それは個人の残した古典の中を生きる、文明人は生まれたときに既に古典があるわけですね。伝統があるわけですね。本を介してまだ見ぬ著者の声を聞き、そして著者の声を吟味しつつ受け入れて自分で誤りを正して、足りないところを発展させていく。それを公共空間に還元して伝統に貢献する。

これは孔子や孟子の言う君子の生き方。みんなにそれを要求するのは酷ですけども、一部でもそういう人がいないと、文明は前に行かない、前進しないと言えると思います。

今、我々の周りでどういうことが起きているかっていうと、文明が発展して、結局金儲けと自然破壊で環境汚染。セレブとかグルメとか、お金儲けとか投資とかそういうのばっかりが注目されて、文明をに進めるようなことをやっている人が少ないわけですね。

古典が読まれなくなった。だから、みんな何を勉強していいかわかんないわけですよね。どう勉強していいかわかんないけど、売ってる本なんかほとんど95%ぐらいは読んでも読まなくても一緒というか、むしろ読まない方がいいような本が多いと思う。

何が一番問題かというと、間違った知識がそのまま伝達されている伝言ゲームが起きてるわけです。これはしょうがないですね。教科書が間違ってたら、習った人も間違っちゃう。

得丸久文:
たくさん間違ってるんですよ。プレートテクトニクス理論とか、あるいはブロードマン脳地図とか、情報理論のエントロピー概念とか、これ多分すべて間違ってて、そういったものが教科書に載っていることで、間違いが間違いを生み出して、伝言ゲーム状態になっている。

だから、文明の本質を理解して正しく文明を発展させる必要が、今あるんではないかと思うわけですね。文明との正しい付き合い方っていうんですかね。

文明っていうのは文字を媒介とした学習と革新のメカニズムで、僕たちは原爆も作れるし人工衛星も作れるから、偉いっていうふうに思うとしたら、そうじゃないんです。

生命の進化の最高の物は言語なんです。だから素晴らしいものも生まれているわけですよ。でもそれは人間が偉いからじゃなくて、言語が素晴らしいからで、正しく使うかどうかですね。

文明の本質ってのは伝統の学習と継承発展ですから、もっともっと学んで、そして自分たちはそれを発展させるというような意識が必要ではないかと

これまでの文明というのは、地域限定型だったわけですけど、今は日本人でもね、フラメンコやったり、フラダンスやったり、いろんなとこ行ったりしてるわけだけど、グローバル化してるわけで、文化を学び発展させる人間は生物的には同じものです。

だからそういった点では日本の伝統に限る必要もなくて、人類の伝統のようなものを学んでいく。それができるし、やった方がいいと思うんです。

特に時代を超えて読み継がれている古典に敬意をいだいて、古典を大事にしましょう。そして、その一方でどんな本でも鵜呑みにしてはいけない。正しいかどうかをよく吟味して受け入れる、そういう手法を確立する必要がある。

得丸久文:
自分が文明の最前線に立つように、一生懸命勉強する必要があるのではないか。
そしてそのやった成果は、次の世代に伝達する工夫や努力をしましょう。これが文明との正しい付き合い方と言えるんじゃないでしょうか?

文明の本質というものが理解されればですね、人間というものは、言葉を使って学習して、文明を前に、伝統を学び、文明を前進させる、発展させるのがね、人間の役割であるっていうことが意識されるんではないでしょうか。

以下は次回のための宿題というか、準備運動です。次回は言葉の意味、概念の意味について考えます。

概念って何でしょう。「親子丼の概念を打ち破られた」って、どういう意味かと言ったら、こんな美味しい親子丼を食べたことがないっていう意味なんですね。つまりそれは、今までに食べた全ての親子丼より美味しいとか、そういう意味で概念って言葉が使われてるわけですね。

概念には定義が必要です。味噌汁があって美味しそうだなと思って、これなんか味噌汁じゃないなと思ったことないですか。出汁が入ってないんですね。味噌と具が入ってるだけだと、これは味噌汁じゃないなって、定義に満足してないっていうと概念に合わない。概念にはそういう法則性をもちます。

あるいは今S D GとかS D何とかって言いますね。持続可能な開発っていうけど、開発した自然が減るよねと。これは概念矛盾ではないか。そんなふうに考えたことはありませんか。

概念ってのは文明社会の中で、さらに低雑音環境に身を置いて、一生懸命に学び、考え抜くことで、言葉を概念に高めて使えるようになるんですね。

たとえばコペルニクスとか、あるいはメンデル。メンデルの法則のメンデル。あれみんな修道院の人ですからね。修道院というのは世間の喧騒というか雑音の多い世間から身を隔てて、そこで研究していくと、科学的な真理実に出会うことができ、概念を学び、伝えることができる。

そういったことを、次回の講義の準備運動として考えてみてください。

これはニューヨークにある荒川修作の遺作であるバイオスクリーブハウス。

彼は新しい文明を作ろうって言ってたわけですけど、人間がもっと一生懸命勉強したら、できることがいっぱいあるわけで、もっと文明のために自分を磨こうということを言ってたんじゃないかと思うんですね。それがやりやすい、気づきがうまれやすい、学習が効率的に行われる住環境をつくろうとした方です。

以上文明の話でした。

この記事には、質問編があります。
(質問編はこちら! 質問編がアップされたらここにリンクが表示されます。)

あとがき

無名人インタビューも文明になりたい!!!
と思いました。

インタビュアーがいて、それを教える人がいて。
その記事を管理、周知してくれる人がいて。
インタビュー記事を読み解く人がいて、それをまた解釈する人もいて。
世界ができたらいいのになあ。がんばるぞ。

【まえがき・あとがき:qbc】

【編集:夕星】

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