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無名人インタビュー:「発達障害だった自分を知るためにはこういう時間が必要だった」と思う発達障害の子どもをみる作業療法士の人

みなさんは、今の仕事や生活をしていなかったら、何をしていると思いますか?
私は、なんだろう。なにしていたかな。
ともあれ、インタビューを続けていると、ときどき、今やってること以外のことやってるなんて考えられない、という人がいます。ある人は音楽家で、音楽が自分の遺伝子に埋めこまれているからそんなこと考えられない、と。ある人たちは、自分の中で嫌だなと思っている個性だったり、思いだしたくもない事件があったのに、そのネガティブなことはなかったことにしたくない、という人もいます。
けっきょく、過去も、どう見るかによって、良いものにも悪いものにもなると。
今回の参加者の方も、そういった方だったと思います。
作業療法士の話もめちゃくちゃ面白い回になりました。こうご期待!!


今回ご参加いただいたのは moya さんです!

現在:認知でいくんじゃないんですよ

qbc:今、何をされている方でしょうか。

moya:今は、発達障害の子どもさんを見てる仕事をしています。作業療法士という資格で、だいたいいつも病院にいる仕事なんですけど。福祉の枠で同じようなことができないかなという形で、今は事業所をやっている感じです。

qbc:自営業の方?

moya:僕は職員ですね。立ち上げメンバーではあるんですが。

qbc:入れる子どもの年齢は? 発達障害って、入所の条件みたいなものがあるんですか?

moya:利用できる人は0歳から18歳までです。
条件は、市区町村から受給者証っていうのをもらって利用できるようになります。受給者証をもらうには、診断もしくは疑いみたいな指示書がいるんですね。何歳児健診とかそういうので引っかかったりとか、お母さんが気になって病院で調べてもらったりとか。

qbc:普通の義務教育に行けないよ、というような子どもですか?

moya:そういうわけではないですね。受給者証は「疑い」でも発行できたりするので、診断がないお子さんもこられます。いろんな人がいるんですよ。例えば支援学校とか養護学校へ行ってたりする人もいれば、普通に小学校に行っている子もこられます。
50分間1回のセラピーで、僕らはそういうところと同じことをやっている感じですかね。

qbc:セラピーとは、具体的にどういったことをするんでしょうか? 

moya:治療の構造ですね。見た目的には、ブランコに乗ったりとか体を使って。基本的には身体を使って遊んでいるようにしか見えないと思います。「感覚統合療法」といいます。
セラピーの開始時から、本人が困ったって言ってくることは少ないんですよね。自分で困ったなって意識できるって、なかなか難しい。年齢的にも。
ちょっと年齢が高くなって、僕は文字が読みにくいんだとか、ちょっとわちゃわちゃし過ぎて浮いちゃうんだとか、字を書くのがあんまり上手じゃなくてとか、運動が不器用だとか、気が散って全然集中できないとか。あと、友達と全然コミュニケーションが取れないとか。
基本的には、困りごとが出てくるのはお母さんたちからの方が多いですね。

qbc:なるほど。

moya:そのときに、じゃあどういう能力が難しいからこういう状況になってるよねっていう話を1回初回の面談で聞き取って、分析して。その要素がどこからきてるのかっていうのを感覚のレベルまで落としたもの、例えば触覚が悪いからなのかとか、体で感じる感覚が悪いからなのかとか。
本人の意志がどうこうっていうのはいったんすっ飛ばして、もともとの感覚が感じやすいからなのかとか、鈍感すぎるからそうなっているのかとか。
そこまで一度落としこんで考えて、そこから積み上がってくる、いわゆる学業につながったりとか、コミュニケーションにつながるようなところのどの部分がエラー状態なのかを考えます。

qbc:なるほどなるほど。

moya:一番難しいのは、氷山の一角のように上から出ているけれども、その背景には感覚の問題があるんじゃないかというような話を1回して。
遊びっていう形をとりながら、その感覚の充足だったりとか、加減のきき方はどうですかというようなことを調整して。結果的に、遊んでたらうまくいったよねっていう形になったらいいよね、みたいなのが全体的な枠組みです。

qbc:なるほど。面白いですね。例えば、この子はちょっと触られるのに過敏かもしれないみたいなとき、過敏にならなくてもいいんだよ、と言うんですか?

moya:アプローチの仕方っていうことですね。大人はそういう「難しいこと」を、認知の仕方を変えることで変えられるという話をするんですけれど。
もともと言語的な指示が入らなかったり、理解が難しい人たちもいますし。案外わかっているようには見えるけど、実際に体感できてないから、言われたってそこはちょっとわからないみたいな。
頭ではわかるけど、全く共感できないみたいな話ってあるじゃないですか。そのような感じのことが起こるんです。

qbc:はいはい。

moya:例えば触覚に敏感な人の話だったら「夏祭りとか行きたいですか?」って聞くと「そんなの行きたくないです。ぶつかるから」って本人は言うんです。
お母さんから話を聞くと、「コミュニケーションの仕方がすごく変なんです」「ものすごく人と関わるのを怖がる」「あんまり寄って行きません」「すみっコぐらしみたいな感じになっちゃってる」みたいな内容なんです。
それでもっと話を掘り下げていくと「小ちゃいころによくやるどろんこ遊びとか、ああいうのを全然しません」「あんまり物を触らないんですよ」「全然ハイハイしなかったんですよ」とか。
ハイハイは、手がちょっと過敏だとやらない人がいるんですね。

qbc:なるほど。

moya:そういういろんな紐づけられることがいっぱいあって、じゃあこの人は敏感さんなのかなとか。
あとたまに、子どもさんとお母さんの関わりはどうですかって聞いたら、「私も結構、後ろに人が立つと嫌だったりとか、急に触られたりするのが嫌なんですよ」みたいな話とかも結構あるんですよね。それでよくよく考えたら、私も過敏性がありそうだなみたいな話になってきて。
今の話もそうですけど、ただの感覚の話が社会性に影響を及ぼしてるというか、コミュニケーション自体も結局経験なので、そこの感覚だけ全然経験が積み重ならなかったんだね、みたいな話が出てくるんです。

qbc:はいはい。

moya:それなら、ちょっと過敏性を抑えていったら、今後の生活がいろいろ楽になるんじゃないですか?みたいな感じで介入し始めるんですね。
基本的には、過敏の人は感覚処理の話になるんで、その感覚をどうするの? っていう話になります。感覚が電気信号で入って感じる話だから、それって電気の話なのに、どうやったら鈍感になるのっていう話になりますよね。
システムとしては電気刺激で変えられないんですけど、人って、予測できるとそれを抑えられるんですね。構えられるようになるんですね。
こしょこしょとかも一緒ですよね。くすぐられるときも自分でくすぐるのってそんなにくすぐったくない。あれと一緒で、人にくすぐられるとくすぐったいのは、予測ができないから。

qbc:そうですねそうですね。

moya:見た感じは「慣れていく」っていうふうにしか見えないんですけど、背景にはそういう要素があるんですね。やったことがあるとか、過去の記憶と照合して「なんとなく、こんな感じになっちゃう」みたいなものが増えれば増えるほど、加速度的に「わかる」が増えてくるというか。
そうするとコミュニケーションの仕方も変わってくるし、みたいな。派生的にですけどね。

qbc:それは、子どもでも理解できるんですか? 

moya:認知でいくんじゃないんですよ。実際は、遊びを通してるんですね。例えば、どろんこ遊びができるようになれば、予測できることが増えたって言えるじゃないですか。
最初は、とりあえず嫌がってるわけですよね。だから、外から見る視点でいったら「嫌いだからやらない」わけなんですけど、やらないと気づけないっていうジレンマがありますよね。あれを、いわゆる「騙す」んですよね。
何とか受け入れて経験してもらいたいっていうのが最終目的なので。一番は、気づいたらやってたみたいな状態を作るっていうのがポイントです。
ほとんど、詐欺師ですけどね。

qbc:でも、言葉は使ってないですからね。

moya:そうそう。言葉はそんなに重要じゃない。

qbc:どういうふうに引き摺り込むんですか? 例えば、どろんこ遊びをやるとしたら。

moya:とりあえず、僕らがやってるのを見せて「楽しそうだな」って思わせるんです。天照大神が、外で「わーいっ!」てやってたら岩戸から出てきたみたいな感じが理想的なんですよね。
でも、あれって、認知が高くないと難しいんですよ。面白そうだなって予測できるかどうかっていうのは。

qbc:なるほど。認知がないと予測ができないと。

moya:そこに行くまでも結構知的な能力が必要になるので、それを獲得してもらうためにとっても便利なのは「その子のやってることはやってもいいこと」という法則ですね。

qbc:あ、そんな法則があるんだ。どんな内容なんですか?

moya:ん〜子どもがやってることに乗っかっていくというか。こっちが「俺どうだ!」って言うんじゃなくて、「君、何やってんの?へぇそうなんだ〜」みたいな感じで、傍観していた人がなんだか知らないうちに一緒に遊んでるとか、気づいたらその人の膝の上に座ってたとか。

qbc:ステルス作戦を使うってことか。

moya:そう。うまい具合に、知らないうちにすでにやってた感じにする。だから、本人のやってることに乗っかっていくっていうのが、まずベースですね。その内容の中に、やってほしいエッセンスをちょっとずつ混ぜる。
遊び方が変わるってことについてなんですけど、例えばイメージ的に、ブランコに乗ってる子がトランポリンに乗ったら、「あ、できたね」みたいな話になるじゃないですか。これって、いわゆる視覚的な変化で、あんまり体に入ってくる刺激としてはそんなに変わっていなかったりするんですけど。本質的には、視覚とかで感じる感覚じゃなくて、体で感じる感覚に変化を感じてもらって、変わったなって感じてもらいたいのが僕らの仕事ではあるので。
だから、やってることはそれでいいんですよね。子どもがやってることの中に、自分たちがやってほしいエッセンスを混ぜ込んでいくみたいな。

qbc:はいはいはい。

moya:お母さんは見た目の変化で判断する人が多いんです。大人は結構見た目で判断するんで、子どもの遊びかたの変化が変わらないとモヤモヤしていることは多いんですけど。実際に生活が変わってくると、そういうのをわかってくれたりしますね。

qbc:それはつまり、そういう騙したりすかしたりみたいなことをした結果、例えばどろんこ遊びをしなかった子がするようになるってことですか? 

moya:そうなんです。
だから、僕らのやってもらってるところは、結局のところ、どろんこ遊びができるっていうことじゃなくて、そこはあくまで手段で、どろんこ遊びを通してお母さんたちが関わってほしいなって思ってたことにつながっていくことが大事なんで。
僕らのやってるのはきっかけづくりで、そこで潰れないようにお母さんにアドバイスして、「こういうふうにやっていってもらうと、日常生活も治療の場になりますよ」って。

qbc:なるほど。

moya:qbcさんが最初に仰ってたんですけど、年齢どうかなっていうのがありましたけど、実際は低年齢の子の方が多いです。
就学前ぐらいの子の方が、気づきが早ければ早いほど経験が早くなるっていうのもありますし。そもそも、脳の発達がまだ変化に富んでるときにやれればいいよねっていうのもあります。

qbc:面白いですね。
ちょっと確認で、言葉の確認ですけど。「感覚」と「認知」っていうふうな切り分けをされているんですか?
言語的な理解全般を「認知」って仰ってるんですよね?

moya:感覚的にわかってる感じっていうのが「認知じゃないところ」ですかね。
高次の人間の機能みたいなのが認知ですね。

qbc:なるほどなるほど。大人だと認知が勝ち過ぎてて、感覚を信じないみたいなとこがありますからね。

moya:そう。

qbc:人間って面白いですね。

moya:面白い。

qbc:今やられているお仕事っていうのは、呼び方としては、何というお仕事なんですかね? 

moya:枠的には「児童発達支援」っていうのと、「放課後等デイサービス」っていうものと、「保育所等訪問支援事業」っていうものがあるんですけど。それを全部回してブツ切れにならないようにしています。
就学前が「児童発達支援」で、就学後が「放課後等デイサービス」っていう切り替えになって。「保育所等訪問支援事業」っていうのは、「保育所等」とあるのでどこへでも行くんですよね。幼稚園だろうが学校だろうが。

qbc:はい。

moya:お母さんが「何してるかわからないから見てきて」みたいな話があって、そこに僕たちが入っていってって流れなんですけど、実はこれは形式だけの話です。
作りたいのは、学校の先生とお母さんと僕たちが、例えれば丸いテーブルに一緒に座って話してるっていうイメージの状況です。どっちの味方でもなくて、直接子どもに支援するわけじゃないんですけど、先生が思っておられるやりたいことをエンパワーメントするというか、僕らだったらこうすればできると思いますよ、みたいな感じのお手伝いするだけで、できたら「先生のお手柄です。さすが!」って感じですね。

過去:自分はADHDだったと思う&26歳で大学に入る

qbc:moyaさん自身は、子どものころはどういうお子さんでしたか?

moya:僕は、たぶんADHDっぽかったです。子どものときは、小学校1年生のときの体育館とかでやる朝の集会の音楽で、音がズレてるのがイラつき過ぎて、地団駄踏んだりとか。
イライラしてバンバンやってたりとか。校庭の裏にあった花瓶を全部割って歩いたりとか。
気になったことは全部やっちゃうっていう。あまりうまくいかなかったです。(笑)

qbc:それは何歳ぐらいまで? 

moya:あかんのやなっていうのがわかってきて収まってくるのが、だいたい小学校3年生とか4年生ぐらいですね。それぐらいには、多少収まってましたね。

qbc:でも、それくらいなら、子どもだと思えば普通なのかなとは思いますけど。

moya:人って、カテゴリに分けるとスッキリするかなっていうのがあるんですけど、今考えてみると、ADHDの要素が強かったのかなってやっぱり思いますね。ADHDにしても自閉症にしても、人の延長線上にあるんで見た感じは変わらないし、タイプ分けなのかなって思うところはあるんですけど。ADHDの傾向が大分高かったのかなっていうのは思います。

qbc:性格的には、どんな子どもだったんでしょうかね? 

moya:性格的にはわがままですかね。自分勝手、自分が良ければ何でもいいみたいな。だから、今来ている子どもを見ていて、すごい親から理解されないなっていう子が、すごいわかるなって。味方になりたいなって思います。

qbc:外で遊ぶのが好きとか、家で遊ぶのが好きとかっていうのは? 

moya:外で遊ぶのは好きだったんですけど、アイデアがあんまりなかったんですよ。どうやって遊んだらいいかわからないとか。友達とどうやって遊ぶのが正解? みたいなのは、いつも思ってました。

qbc:でも、ドッヂボールとか野球をやるとか、そういうふうなものはあるじゃないですか。

moya:ドッヂボールが好きでしたね。あと鉄棒も好きでしたね、グライダーばっかりやってた覚えがあります。飛びまくってましたよ。

qbc:今のお仕事になったのっていうのは、ご自身の経験があったからなんですか? 今のお仕事はどういうきっかけで。

moya:たまたまなんですけどね。高校を卒業して飲食店で働いてたんですけど、26歳のときに大学へ行きたいなと思って。面白そうだと思って、それで大学へ行きました。8年間行きました

qbc:自分でお金を払って行ってたんですか? 

moya:そうですそうです。作業療法の勉強をしました。

qbc:なるほど。学士を8年間? 

moya:そうです。8年間行ったんです。

qbc:昼間ですか? 

moya:昼間です。

qbc:社会人枠とかじゃなくてですか? 

moya:普通に入って。面白かった。
いろいろあるんですよ。大学も寮に入ってたんですけど、昔の革命派がいるような、地下に住んでるような寮に8年住んでて、面白かったです。1年に1回、機動隊が100人で寮を取り囲んで、それに対決するんです。練習でやってるんですよ。

qbc:大学へ入って8年間通って、その後に今の業界に入られた感じですか? 

moya:そうですね。

qbc:ちなみに、大学へ通っているときって、お仕事はどうされてたんですか? 学費は?

moya:貯金してたのと、バイトしていました。寮に伝わるバイトがあったりするんですよ。ちょっといいバイト。それでやってましたね。児童相談所の電話受けとか。時間は長いけど、何もすることがない。

qbc:勉強し始めようと思ったきっかけ自体は? 

moya:どっちかっていうと、ふわっとしてますかね。大学生っていうものになってみたいなと思ったんですよね。

qbc:そうすると、大学へ入ってから今の方向が決まったっていう感じですかね? 

moya:そうですね。先生がこっちの関連の有名な人で。

qbc:moyaさんが、一番楽しいと思うことって何ですかね?

moya:価値観としては、人が人生の転機にあるときに、ちょっと手伝えたっていう感じのときは最高にうれしいです。
特に今はそんな感じがしてます。「その人が自分で考えて、自分の道に進み始めたな」みたいな感じのときに。僕が何かしたっていうんじゃなくて、単純にそれはうれしいなと思ったりする。手伝えたら、よりいいなっていう感じはしますけどね。

qbc:いつごろからその楽しさを覚えたというか、感じたというか。

moya:40歳になったら、ちゃんとみんな考えないといけないかなって。大分遅いんですけど。
いろいろ整理をしていこうと思って。価値観についてとか、例えばお金がほしいのかとか、何なんだろうなと思ったときに、お金があったらあったでいいけど、自分のやりたいこととかに、お金はそんなになくてもいいなとか。
自分のことを掘り下げるのが昔から好きだったんで、結局、仕事しながら子どもを見て、子どもに関わってるっていう体でみんなを応援してるっていうことにしてますけど。
自分の過去は、こういうことでやりにくさがあったんだなとか。そういうのを知れるのがうれしいですね。でも、結果的には誰かのためになってるって、これ、ハッピーじゃないですか。そう思っております。

未来:今の仕事につかなかったらうまくいってなかった

qbc:5年後、10年後にこうしていたいですとか、死ぬときには人からこう思われていたいといった未来についてのイメージをお伺いできたらなと。

moya:今、新しい仕事に就いて、立ち上げてから4年経って結構落ち着いてはきてるんですけど。僕の同期の人たちが独立し始めてるんで、独立するのもありなのかなって思ってます。
スキルとしては、たぶんいけるかなとは思うんですけど。今、1つはそのあたりですかね。

qbc:独立したい? 

moya:いいのかな、どうかなという感じですけど。それで、何かすごくしたいっていう感じでもないから、結局、同じことをやることにはなる気がするんで。これがしたいからというよりは、自由度っていうか、自分のやってる感じっていうのが、より責任とかが増えるだけなんで。それと、あとは収入の話かっていうふうに思うと、まだ決めかねてはいるんですよね。
今の仕事も、スキルとしては結構いろんなことがあるし。わりと楽な職場なんで、いいなとは思うし。やっぱり、この仕事って比較的、個人のスキルを上げていくっていうのがあるんですね。それぞれ個人の仕事なので。例えば、セラピー力を上げるとか。

qbc:なるほど。

moya:だから、今は大分経ったんで、大学の講師とかもやったりもしてるんですけど。

qbc:授業を持たれてる? 

moya:そうです。

qbc:なるほど。

moya:それとか、執筆系のものとか、ちょっとずつ増えてはいるんですけど、全然まだまだなんですけど。どっちの方向に行くのかなっていうのが、まだイメージできないというか。全然別のことをしたいっていうわけじゃなくて、おそらく延長線上にこういうのがあるのかなって思うんですけど。
でもnoteとか見てても、こういう仕事してるんやとか、全然別の仕事で社会に提供してることとか。いろんな価値があるんだなと思いながら、面白いなと思って見てるんです。

qbc:検索で調べたのですが、講演で喋られたりしてますよね。あとは本を出版したりもあるんですか?

moya:部分書きみたいなものです。寄稿ですね。 

qbc:さっき整理の話がありましたけど、自分のしてきたことをまとめていきたいみたいなところがあるんでしょうかね。

moya:目立ちたいのかもしれないですね。

qbc:あはは。関西の人の男性は、目立ちたいからインタビュー受ける、て方はわりといらっしゃいますよ。あんまり決めつけないようにしてるんですけど、若干その傾向はありますね。

moya:傾向て(笑)。そもそも申し込んでる時点で目立ちたがりですよね〜。

qbc:今回のインタビュー、最初の感覚と認知ってお話、ほんとに面白かったですね。
認知=言葉では伝わらないから、感覚に立ち返ろうというのを、ロジカルに進めている。
例えば、認知=言葉優位で考えてしまって、ディスコミュニケーションになるパターンもあるのかな、と考えたりしました。なんで言葉で言っても分からないんだよ、みたいな。これって、コミュニケーションっていうものを言語としてとらえ過ぎている。確かにルールとか法律といった認知系のツールにとって回っている世界はあるけど、さりとて感覚を無視しすぎるってのもよくなさそうだなと。
ビジネスの話で言えば、マネージャーがテレワーク環境で「ZOOMでは部下のマネジメントができない」なんていうのは、認知だけではコミュニケーションができない、感覚が欲しいよってことですよね。

moya:うん。

qbc:リアルにそばに接近しているっていう感覚がないとコミュニケーションできない。これは昨今よく聞くトラブルです。
これをmoyaさん視点で眺めると、どう見えるのかなって。どうやって補ってあげればいいのかっていうのが見えてくるのではないかなとか。
パッとは考えられないかもしれないけど、ちょっとヒヤリングをすれば、たぶんアイデアが出ると思うんですよ。

moya:なるほどね。

qbc:あとは、チームのお話が面白かったですね。保護者がいて先生がいて自分がいて子どもがいて。
全然違う立場の人たちをチームとしてエンパワーメントするというような話は、社会でありがちなことですよね。ビジネスだったらA社さんB社さんがあって、それをうまくまとめて仕事を進める。プロジェクトとしてプレーヤーをまとめていくっていう。それをコンサルティングして、後押ししていくっていうのは、複雑化しているっていう現代では重要な考え方です。

moya:むちゃくちゃアレですね。さすがですね。やっぱり、いっぱいインタビューしているだけありますね。勉強になります。
そういう視点、うれしいですね。なるほどね。今の自分で持ってるものも、場所を変えれば、形は同じでもいろいろシェアできるよねっていうことですよね。

qbc:そうですね。今の業界で得た問題解決能力って、違う場所でもまず間違いなく役に立ちますよ。
感覚と認知って、プリミティブ​​なところじゃないですか。だから、いろんな応用が効くはず。全てにおいてですね。

moya:感覚統合って概念はかなり、皆さんのあるあるにつながりやすいんですよね。今回は触覚だけの話をしてましたけど、本当はもっとあるんですよ。
五感と、あと固有受容感覚。自分の体がどんなふうに動いてるのっていうのを感じる感覚とか。耳の中に入ってる平衡感覚もあるんで、そこと合わせていくと、もっといろんなネタがあるんですよね。

qbc:なるほど。やっぱり面白いですね。まさに大人にもめっちゃ価値のある情報ですよ。

moya:大人にっていうのは、僕にとっても非常に面白いですね。めっちゃいい意見をもらいました。

qbc:大人って、欲望の制御としては、無理矢理、認知で被せてカバーしてるんですよ。法律でがんじがらめにするとかね。
でも、感覚がおさえきれるわけではないから、酒を飲んでごまかすとかね。ギャンブルへ逃げるとか。甘いものを食べるとか。性的な話もそう。犯罪まで行かなくても、社会で認められている範囲で感覚の欲望を満たしていく。

moya:逸脱行動ね。

qbc:そうそうそう。

moya:面白い。

qbc:で、インタビューですが。もしもの未来についてご質問します。
もしも今のお仕事の世界に行かなかったら、どうなっていましたでしょうか?

moya:タイプ的には、破滅型なんですよ。それこそギャンブルとかで破滅していくタイプ。
今、この仕事してるから、大分時間はかかりましたけど、自分を理解できたなっていう感じがあります。おそらく、うまくはいかなかったんじゃないかなっていう気はしますね。

qbc:なるほどね。

moya:効率が悪い。例えるなら、今でもガソリンタンクに穴が空いてる車で走ってる感じなんで。穴は、前より小ちゃくはなったんですけど(笑)。たぶん、自分を知るためにはこういう時間が必要だったかなっていう気がする。
だから、枠を教えてもらってカチッと自分を知れる人はいると思うんですけど。自分はたぶん違うかなっていう感じです。
この仕事だから、今、やれてるのかなっていう気はしますね。

qbc:ありがとうございます。それでは最後に、言い残してしまったことがあればお伺いします。

moya:こういうのも僕の特徴なんですけど。質問とかされて、答えられないっていうのがあるんですね。
今までは、何にも考えてないから出せないんだって思ってたんですけど。実は逆で、情報量が頭の中に多過ぎて、そこから選べないんですよね。過集中と散らかすのを一緒にやってる感じなんですよね。だから、2-3日経ったくらいの方が、話がちゃんとまともにできるというか。

qbc:(笑)なるほどね。

moya:(笑)そうなんです。たぶん、量が多いんですね。だから、こういうふうに思って感想を書けない人も、そんなに考えなくてもいいよって言ってあげたいですね。

qbc:そうですね。今さらですけど、まだまだ人間研究っていうか、知らないことがあるんだなって思いました。
生きるために必要なことから優先して解決されていって、今ようやく見過ごしてても生きるぶんには問題ないって問題に手がついていってる感じ。

moya:qbcさんのインタビュー、めっちゃ面白いですね。

qbc:ありがとうございます。

moya:これ自体がコンサルみたいな感じ、ありません? コーチングとか。

qbc:そうですね。このインタビューを福祉にするというか、お金のかからない形で社会へ導入したいというのが、今のところの目論見です。
話を聞くということの意味を、もうちょっと掘り下げたいと思っていますね。敵対する相手とか、嫌いな相手とか、全然共通点がない相手と話をする技術というか。人の話が聞けないって悩んでいる人は多いんで。

moya:これは、本当、そうですよね。
基本的にコミュニケーションは自発性と応答性のキャッチボール、っていう2軸で話すことが多いんですけど。自発性ばっかりの人が多いんですよね。すっごい喋ってるからコミュニケーション取れているように見えるけど、実際全然コミュニケーション取れてないなっていう人が、やっぱり多いんですよ。
結局、自分の話ばっかりしてるからか、みたいな。

qbc:そうそうそうそう。話が聞けないんです、じゃなくて、話を聞くというのは話をすることではないですっていう。

moya:そうそう、そんな感じ。

qbc:話しちゃってる人が話を聞けてないのは当たり前ですね。
そこも、ちょっとテクニカルな部分があると思うんですけど、認知以前のところに戻って考えてみる必要があるんじゃないかなと。

moya:うん。なかなか面白いですね。すごく楽しかったですよ。

qbc:ありがとうございます。

あとがき

いかがでしたでしょうか?
今回のインタビューも、けっこう私が語っちゃってますね。インタビュアー失格。。
認知と感覚の話、ほんとめちゃくちゃ面白かったです。けっこう無名人インタビューのコンセプトと絡んでいるところもありましてですね。無名人インタビューというのは知名度を含めた社会的文脈を越えた、その人本来の人そのものと一緒に未来を見つめたいということを主眼においているのですが、これってまさに言語を越えたところ、今回のインタビュー内の語彙で言えば、認知の向こうの世界の話なんですよね。感覚の世界。
その人自身の認知を越えた感覚が向かっていくであろう未来を一緒に見つめていく。
なんちうか言葉を使わずに未来をつかむってまあマジわからんですが。未来を認知なしで見る。まあでもだからこそ面白いっていうか。
また、今回は一人の人が、自分と近い感覚を持つ人を見て自分自身をふりかえる物語という要素を持っていました。不思議ですね。自分と似たものを人間というのは求めたりすることが、ままあります。こういう人間の人間たる人間くささに、私はどうしても惹かれてしまって、このインタビューを続けています。
人間は素晴らしく面白い。
みなさんはいかがでしたか? コメントは感想欄にてお待ちしています!!

編集協力:有島緋ナ


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