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演劇と人 空風ナギ-003 2023/11/15

このインタビューは、俳優空風ナギさんがキャリアのブランクを経て俳優に復活する前後を追いかけた連続インタビュー企画です。全4回を予定しています。今回は、第3回になります。
前回。

この連続インタビュー「何かと人」は移行をテーマにしています。あるインタビューでは、大学生が大学を卒業して就職するまでの心理の変化を追っています。あるいは、ある歌人が日常と短歌創作をいったりきたりする心理の推移を描写しています。(記事は自分で見つけてね!)

この「演劇と人」では、日常と非日常である「演劇」空間のグラデーションをテーマにインタビューしているような感覚で、います。
なんかこう、曖昧な言い方しちゃうのは、このインタビューがなんとなく始めて、インタビューしてるうちになんとなくこういうことかな、という形が見えてくるインタビューだからです。
いよいよ全体の75%を過ぎて、なんとなくの形が、ハッキリと見えてきたような気がします!(私にはね! 読者のみなさんにはどうかな?)

インタビューは、本文中にある生誕祭の3日前に実施されました。

まえがき:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

台本

——前回のインタビューから何か変化はありましたか?

変化、特にないですね。
なくはないや、すいません。
大学の生活だったり就活だったり生誕祭の準備だったりっていうところで、変わりはそこまでないんですけど、生誕祭の台本を変えました。

生誕祭で、本当は『女優気取り』っていう作品をやるつもりだったんですけど。
それを変えて、新しく11月に入ってから『生む』っていう作品を書いて、それを公演することに決めました。

——変更したのは、なぜなんでしょうか。

10月の本当に終わりの日に、B子さんっていう、アルファベットのBに子供の子でB子さんっていうんですけど、B子さんっていう私と1つ違いの、今年で24歳の女優の方がいて。
その方が早稲田でやっているトウゲっていう、ふゆなつって書いて『冬夏』っていうんですけど、『冬夏』っていう演劇を観て。

それがとてもパンチが効いていて、とても刺激を受けたんですね観ていて。
それが10月の30日で。そっからちょっとずっと観た後にモヤモヤとしていて、10月の31日に学校から帰りの電車の中で、ちょっと、もう、その『冬夏』を見た衝撃と、自分の今のふがいなさで、自分の中がパンクしてしまって。
ツイッターに泣きながら電車の中で文章を書き出したんですね。それをまとめて、今の作品を作り出しました。

——どんな話なんでしょう。

なんていうんでしょうね。
ハラスメントを受けた話だったり、いじめを受けた話、母が亡くなった話、あと好きな人に人生で初めて告白した話、あと祖父母が古道具屋をやっている話。
飼っているモモとミニィの、飼っている犬のモモが亡くなった話。
飼っている犬のミニィが13歳になった話。
父が70歳の誕生日を迎えた話。
生誕祭のチャンドラ・スーリヤで出会った人々の話。
結構盛りだくさんですね。

結構いろんな断片を、テキストの断片を繋ぎ合わせて、作った作品ですね。
ダークな内容も多いんですけど、私としては人生賛歌のつもりで書いた作品です。

——どれくらいの上演時間になりそうですか。

30分です。字数は7280字です、現段階で。タイトル込みで7280字です。
ストーリーは、一応ありますね。

この記事が公開されている段階では、私は台本を公開していると思うので、言ってしまうと。
前半と後半部分に分かれていて、前半はいろんなテキストを合わせたコラージュになっているんですけど、後半は私が演劇と出会ってからの現在に至るまでの話を短く書きました。
一応後半が物語っぽくなってるとは思います。

でも、前半を聞いた上じゃないと、後半はあまり楽しめないかもしれないです。

——現時点での、作品の完成度は?

今この作品に対しては、そうですね。
80%くらいは書ききったっていう感じです。結構高い割合で書ききったなって思ってます。

自分にこれからものすごい出来事が。縁起でもないですけど、父親が死ぬとか、犬が死んじゃうとか、そういうことが起こらない限りはこのままでいくかなと思います。

つらい出来事があると、その分文章が進むんですね。
つらい出来事を得て、その上で。

つらい出来事じゃなくてもいいんですけど、衝撃を何か受けて、そっからちょっと落ち着いて、冷静に自分を見つめ直した瞬間から文章が書けると思ってますね。

この間のB子さんの演劇も

この間のB子さんの演劇もそんな感じで。
B子さんの演劇を見たことはつらいことではないんですけど、もうやっぱり衝撃で。
その衝撃がびびっときたからこそ、今の作品が出来上がったかなと思ってます。

ほとんど内容は覚えてないんですけれども、宝くじ売り場にいる男の子が、上司を殺して、彼女と一緒に宝くじ売り場のコーナーに住んでるんですけど。
そこでの会話をB子さんが、自分の録音した音声と一緒に、音声と対話をして、1人芝居なんですけど、対話劇、会話劇みたいな感じで進んでる感じのお話でしたね。

——何が衝撃だったんでしょう?

なんでしょう。
やっぱり一つには、自分と同世代の女優の方が、1人でここまで、作・演出ご本人で、自分の個性を出した作品を打ち出しているんだっていうところで、まず衝撃を受けましたし、尊敬しますし。

そうですね。
とにかくB子さんっていう人は独特で、お芝居が終わった後だと、本当に礼儀正しいお嬢さんという感じの方なんです。でもお芝居中は本当につかみどころのないような人で、ちょっと衝撃を受けましたね。

——作品を見た影響から自分の作品を作ることは、多いんでしょうか?

前に私にハラスメントをした、嫌なことをした人の作品が好きだったので、その人の作品から影響を受けて作品を作るっていうようなことはありましたね。

あとは前に、以前話したかどうか忘れてしまったんですが、平原演劇祭という野外劇画をやっている高野竜さんという方がいらっしゃるんですけれども。その高野さんの書くセリフがすごく素敵で、自分で演じているうちにセリフのリズムが染み込んで、セリフをどう書けばいいかっていうのをそこから学んだっていうのはあったかもしれない。

あとは私は唐十郎の作品がすごく好きで、唐十郎の作品の劇の世界観だったり、セリフのリズムだったり、そういうものがとても好きなので。
こういったところからも、もしかしたら今回の作品は影響を受けてるかもしれないです。
実際に唐十郎っていう言葉がセリフの中でちょっと出てきたりもするので。
そのくらいには、刺激を受けています。

——ところで空風さんって、脚本も書かれますけれども、俳優以外にも演劇周りのことをされるんですか?

私は基本的に俳優しかできない人間だと自分のことを思ってるんですね。
だから劇を書いていても、劇作家として書いてるってつもりは全くなくて。自分が舞台上で言いたいセリフを書くっていうつもりで書いているので、まともな台本ではないんですね。だから脚本が書けているとは、ちょっと言えないかなと思っていたりもします。

でも、自分ができる限りのことはやろうと思っていて。演劇を継続的にやっていた時は、フライヤー作りだったり、音響だったり、あと制作のお手伝いだったり。とにかくいろんなことをやっていましたね。
演出も、1人芝居の時は高野竜さんからヒントを得て、自分で演出するっていうようなことをやったりはしていましたね。

——初めて自分一人で作、演出をしたのは、いつでした?

ENBUゼミナールという養成所に通っていまして、2017年に。
その時に、スクールの発表内で自分が書いたものを、その当時の養成所の同期の子と一緒にやるっていうことはやったんですけれども。その時が初めてで、その時以来だと思いますね、自分で作、演出、出演をやるというのは。

でも、今回の作品も、ちょっと戯曲ではないんですね。台本なんです、あくまで。
あくまでテキストを繋ぎ合わせただけの台本であって、これを例えば戯曲の賞に応募しようとかになると、まず通らないだろう。まず賞とかには出せないだろうというくらいには、自分のプライベートの情報を入れすぎているし。一つの会話になっていないし。あとは、ト書きもないし。
戯曲は、私は書けないなと思っていますね。私は劇作家ではないので、女優なので。女優として自分がやりたいことを台本に詰め込むっていう作業を、今回はしただけかなというふうに。

——『女優気取り』の台本でも、一人で行うという意味では、同じでした?

はい。
そうですね。新たに『女優気取り』を書いた時は、正直うまく演じなくちゃという気持ちがすごく強くて、とにかく演技を頑張らなくちゃと思っていたんですけども。

今回の『生む』に関しては、本当に自分の今考えていることだったり、実際に起こった本当のことしか詰めこんでいないので、本当に自分で自分を演じるっていうつもりで書いたので。自分が自分であることには変わりがないので、あんまり無理せずに演じられるような気がしていますね。

稽古をしていても、何でしょう、自分であって自分でないような感じといいますか。
演技するモードに入ってはいるんですけども、でも前に書いた『女優気取り』という作品に比べると、鮮度が高い言葉を自分が言えているっていうことへの満足感がすごくあります。

——すいません、「うむ」って、どの漢字ですか?

「うむ」の漢字はですね、生むの「う」が、生きるの生きるです。「む」がひらがなです。

自分を生むっていう意味です。
出産の「産」ていう字は使わなかったんですけど、生きる、これから生きてくって意味も込めて、この漢字で『生む』にしました。

——もう空風さんは、今ここにすでに生まれているじゃないですか?

自分が生まれるっていうのは何でしょう。
もうちょっとわかりやすく言うと、新たにリセットするっていうような感覚で、ちょっと一旦ここで一区切りして、また新たな人生を歩み出そうっていう感じなので、セリフにもちょっとあるんですけれども。
例えるなら、蝶の幼虫がサナギになって蝶になるじゃないですか、今はサナギの段階で、サナギから蝶に羽化する瞬間に、また新しく生まれ直すというような感じのイメージです。
全く別の生き物に変わるっていう感じのイメージで、『生む』っていうタイトルにしました。

——自分が自分を生むっていう意味ですか?

自分から自分が生まれるっていう理解で良いです。

——新しい自分が生まれてしまうと、元の自分はどうなるんですか?

元の自分。
元の自分は、もう過去に置いてきぼりですね。過去に置き去りです。元の自分はもうないですね。もう過去にしかないです。

——この『生む』というテーマは、『女優気取り』の頃からあったんですか?

そうですね。自分で自分を生むって言うのは、女優気取りの作品の中にも入ってますね。
生むっていう、自分で自分を生むっていうキーワードだけは、持っていたので。
そこは変えずにいきたいなと思っていて。
だからタイトルは悩まずに、すっと決まりましたね。

——『生む』というテーマが強調されるのは、今回、演じる機会が俳優活動の「復活」で、ご自身の「生誕祭」だからですかね?

それは大きいですね。『女優気取り』の時は、まだちょっとその、元の自分です。なんだろう。誰かの真似をして演じるような。
『女優気取り』の時は本当にもう、タイトルのまんまのような、ちょっとうまく演じなくちゃっていうがんじがらめにいってるような感じがあったので、そこから今の自分をさらけ出すっていうような作品になったっていうところで、良かったかなとは思いますね。

——「生誕祭」をいよいよ目前にして、精神状況は、どうですか?

精神状況は、ちょっと五分五分ですね。楽しみっていうのと苦しいっていうのと。
演じていて楽しいし、これをお客さんに見てもらえるんだっていうのが楽しみではあるんですけど、やっぱり苦しいし恥ずかしいし。ちょっと辞めたいかもなって思う時もありますね。

——すでに「生誕祭」イベントは満席なわけですが、今回は、顔と名前が一致される方が多いのでしょうか?

そういう人が多いです。おひと方だけ、私がお顔お名前を全く知らない方が、ご予約リストの中にいらっしゃって。それもすごく嬉しいことなんですけれども。

——空風さんが俳優を休業される以前を知っている方たちなのでしょうか?

知っている方もいますし、全く知らない方もいますね。復活途中で出会ったといいますか、復活するって決めてから出会った人もいますし、いろんな方がいますね。

——今回、チャンドラ・スーリヤという、空風さんにとっては一口では説明しきれない出来事が収束した場所で生誕祭を開催するわけですけれども。
シチュエーションとしては、どう感じていらっしゃいますか?

シチュエーションとしては、とても良いなと思っています。
知らない方に私を知っていただきたいという気持ちもありますし、元から応援してくれていた、ずっと見守ってくれていた方、新しく知り合った方に、私の元気な姿を見せたいとか、私が輝いてる姿を見せたいっていう経緯があるので。

あと単純に、私は、パンダさん、いきあたりばったりボーイズさん、のあんじーの栗栖のあさん、アンジーさん、猫道さんという、協力者と出演者の方々がとても好きなので、そういう方々を見せびらかしたいような気持ちもありますね。
見せびらかしたいというと、言い方が違うかもしれませんけれども、そういう方々の魅力を伝えたいっていう気持ちもありますね。

——ああそうか。公演の主催者でもありますものね。

そうですね。公演をやる者として、仲間たちの輝いてる姿も見て欲しいっていうのがありますね。あと、チャンドラ・スーリヤというお店もすごくとっても魅力的なお店なので。
そこのお店の魅力も知ってもらえたら、楽しんでもらえたらなっていう気持ちがすごくすごくありますね。

生きるべきか苦しむべきか

——『冬夏』を観ていなかったら、公演作品はやっぱり『女優気取り』のままだったのでしょうかね。

そうですね、わからないですね。
『女優気取り』のままで行ってた可能性ありますね。
ちょっとでも、ずっと何かモヤモヤしたものを抱えてはいたので、何かちょっとした衝撃があれば、台本を変えようとは、いずれなっていた可能性もありますね。

——良い作品を作ることができるのなら、苦しい人生でもいいですか?

そうですね、難しい質問ですね。
人生が苦しいと、良い、魅力的な文章が書きやすくなるかなと自分では思ってるんですけども。
でも人生が楽しい方が、良いですね。
人生が楽しいのを芸に消化できるようになったら、一人前になるかなって気もしますね。あと今、実際に私は人生が別に苦しいことばかりではないので。

普通に父親も生きていて、犬もおうちにいてとても恵まれた生活を送っているので、こういうことが作品に生きている部分もあるので。
そうですね、人生が苦しい。苦しい人生でも楽しい人生でも、作品には生きるかなとは思いますね。

——演じている時と、生活している時、どちらが楽しいですか?

楽しさ。
どっちも楽しいです。
ですけど、別次元の楽しさだなと思いますね。
作品を演じている時はもう、本当に特別な。特別な一瞬なので、それは、もう何とも比較しようがないような一瞬だと思って。
普通の日常生活は日常生活で、楽しい時は楽しいなと思いながら。
今日も友人と。友人のアイちゃんという子がいて、愛するの愛です。友人の愛ちゃんと今日はカレーを食べまして、それがすごく楽しかったです。
台本にも愛ちゃんのことは書いてます。

——日常と演劇との関係性って、なんなんでしょうかね。空風さんは、演劇の世界を辞めて、いったん日常だけの世界に戻った。
でもまた、演劇の世界に戻ってきたわけではないですか。

そうですね。
うーん。演劇も普通の生活も、健康的に両立できたら一番良いのではないかなとは思いますね。
演劇では、やっぱり日常生活では言えない言葉を言えたりとか、日常生活ではできないことをやっぱりできてしまうので。
そういった部分での、演じる上での楽しさだったり、中毒性というものはあるとは思っていて。
でもそこに依存しすぎるのではなくて、それを一種の楽しみとしながら、現実の生活も充実させていくっていうのが一番良いのかなとは思います。

——じゃあ、今回の「自分で自分を生む」ということは、日常の世界側でもできましたかね?

いや、日常ではできないと思いますね。
やっぱりちょっと、演劇という非日常を借りないと、ちょっと難しいかなと思います。

普段、普段の私だったら、絶対言えないようなことを。
怒りだったり悲しみだったり恥だったり、そういうものをさらしていくので、演劇という形態を借りなければ、これはできないというようなことをやっているので。
お客さんには、さっき私、台本には本当のことしか書いてないと言ったんですけれども、あれもちょっと半分くらい嘘で。
そうですね、お客さんには本当に、本当か嘘かどっちかわかんないなっていう感じで楽しんでいただけたら良いかなと思いますね。

私、自分では本当のことを全部さらけ出して書いているつもりなんですけども。
ちょっと自分で自分をやっぱり隠してる部分も結構あると思うので、全部を鵜呑みにするんじゃないよと、騙されるんじゃないよって思いながら、こう書いてますね。

私は、女優として書いてるので、女優はどんな嘘でも平気でつけるので。
女優はもう、悲しくなくても涙を流す人間なので。
そう思っていただければなと思います。

ありがとうございます。

——ありがとうございます。

『生む』台本は空風ナギさんのnoteアカウントで公開されています。

終わりに

人生というものが、いかに多面的か、いかに環境に左右されるか。その程度を表現するならば、「自分というものが特定できないくらいに自分というものはない」と思う。
自分を振り返ってみてもそうだし、他人をインタビューしてインタビューしてインタビューしてみても、そう思う。
一般的な商業的なインタビューではダメなのだ。
あのインタビューは、求められた役割を求められた通りに出力して売上を求める資本主義だから。
実験から記述される心理学でもダメなのだ。再現性なんかなくっていいのだ。
自分以外誰一人にもあてはまらず、その時その瞬間にしか出てこないあらあらしい「自分」で構いやしないのだ。暴力的な、乱暴な「自分」でいいのだ。
そういう不定形なものを捉えるのに文学は向いている。だからこのインタビューは文学でいいというか小説というか。もはや現実なんかどうでもよくて、このインタビュー中に感じた感覚だけが、それだけが真実でいい。

制作:qbc(無名人インタビュー主催・作家)

編集:なずなはな(ライター)

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