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自信を持つことはたぶん性格的に無理な人

みなさん、自信をお持ちですか? 私? 私qbcは自信ないですよほんとにほんとにほんとに。
ようやくですね、40を過ぎてから、そもそも自信という概念をなくそう、ということが実現できるようになりました。そもそも、自信がある、ない、って自分の頭の中の想像じゃないですか。
若い時は、これうまくいくかなとか、きらわれないかなとか、なんか、周囲の目とか、自分の実力なんかを気にしてきたわけですが、ねえ、なんていうかね、不思議と年をとると、そういうのが気にならなく、なってきました。
これたぶんね、経験を積んで自信がついたんじゃなくて、結局、年取って目も耳も感受性も鈍って、自信があるかないかとかも、あんまりセンシチブに感じなくなってきたんじゃないかと。
そうですね、だから自信喪失は若い世代の楽しみってわけで、そういうわけで40代の私qbcは、自信というものに頼らず、見向きもせず、ただやることをやるだけじゃい、と。もう、後ろは振りかえれない!!!!!
と思う2024年7月2日17時13分に書く無名人インタビュー821回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは Ryo さんです!

年齢:20代前半
性別:男性
職業:コンサル


現在:僕が一番嫌いな言葉を使って説明をすると「普通」の人間だなと思います。

さあや:
Ryoさんは今何をしてる人ですか。

Ryo:
はい。今はカナダで社会人をしている3年目の、24歳の男です。
なんて言えばいいんだろうな。仕事面ではITコンサルといったようなことをしていて、私生活ではいろんな趣味を持ちながらカナダのド田舎に住んでるんですね。それも1つ面白いポイントなのかなと思います。
皆さんカナダ、想像するとトロント、モントリオール、バンクーバーだったり都市が出てくると思うんですけど、ニューブランズウィック州っていう、誰も知らないような、来るまで自分も知らなかった州にいて、すごい小さい町で。反対に、手前味噌ではありますが、大企業で働いています。日本にも実は会社があって、世界190にオフィスを持つような大きな会社で働いている、その仕事と私生活のギャップみたいなのを感じながら生活をしています。

さあや:
今のカナダの生活はどうですか。気持ちとしてはどういうふうに感じてらっしゃいますか。

Ryo:
はい。カナダ7年目というのもあって、4年大学生、3年社会人ということもあって大学生の時には見えてこなかったもの、逆に大学生で見えていたものがより社会人になってもっと見えるようになった。っていうのもありますし、やっぱり一社会人として生活をしていくっていう面では大学生のときに考えなかったようなことを――例えば永住権を取るだったりとか、現地の人との文化交流を文化交流ではなくもうその文化に馴染んでいく――要は、カナダの文化にならなきゃいけないんだろうなっていう責任を少し感じながらも、日本の文化を失いたくないなっていう使命感を持って生活しているときはありますし、正直に言うと楽しいですと。
ただその代わり、楽しいっていうのはその、ここでしかできない――例えば釣りだったりとか、子供にサッカー教えたりとかメープルシロップを作るとかそういう。たぶん、トロントとかそういう都市に行っている日本人の方が体験できないようなことをすごい現地の方と体験しているっていうのは楽しさもありますし、逆に、自分に対する不満★っていうと、ここにいていいのかと。やっぱりそういう大きい都市とか、他の国でもう1回やり直すっていうようなところにも将来的な不安を今は感じている。24歳なので、そういう不安はどの世代、どの人にもあるのかな思いつつも、僕の悩みや結構特殊なので打ち明けられる人がそんなにいないなっていう部分でこう1人でこう、ふさぎ込むようなときもありますね。

さあや:
そうなんですね。
1日をどういうふうに過ごしてますか。起きてから寝るまで。

Ryo:
そうですね。時系列でちょっと行かせていただくと、基本的には朝5時から5時半の間に起きて、朝はストレッチしたりジムに行ったりして涼しい時間で体を動かして、朝7時半ぐらいから仕事をして。忙しいとき、仕事が忙しい、なんて言うんでしょう繁忙期、日本語で言うと繁忙期は夜10時まで働くこともありますけど、最近は夏なので午後4時とか5時に終わって、ゴルフの打ちっぱなしに行ったり釣りに行ったり、ちょっとビーフジャーキーを作ってみたりとか。そういう趣味に時間を空けたりとか。
Noteをやっている理由としてはやっぱり自分の人生を振り返るっていうよりかは、自分専用のアルバムを誰かと共有したいなと思い。その共有っていうのはなんでしょう。アルバムを見せるよりは僕の人生で特になんでしょう、すいませんちょっと言葉足らずなんですけど、日本人としてはユニークな、前例のないような生活をしているのでそういうことを知りたい人とかに情報提供できたらなっていう思いもありますし。
もし僕が、高校生のときにいろいろ考えていたんですけどそのときに「どんな日本人がいるんだろう」っていう意味でこう情報を知りたいな、思ってたのでそういうところに時間を割けるようなことをして、7時から9時の間に夜ご飯を食べて、9時から10時には寝てる感じです。

さあや:
うんうん、そうなんですね。

Ryo:
はい。

さあや:
最近楽しかったことって何ですか。

Ryo:
最近楽しかったことは、小学生の頃の友人がですね、サッカーをやっていたんですけど2つ楽しかったことがありまして。1つはJリーグっていったところで、J1J2その名前はちょっと伏せるんですけど、あのプロのサッカー選手になった人が1人いて、その人の試合のハイライトをYouTubeで見たりとか。もう1人小学校の子の友達が実はアメリカの大学に行って卒業して今東京にいるんですけど、その2人とアスリートスタディブロード.com(https://athletestudyabroad.com/)っていうウェブサイトを立ち上げて、サッカー留学をしたい高校生を応援しようってことでそこのウェブサイトの記事を作成したりっていうところで、結構こう、サッカーっていうところで人との繋がりができてるのでそこは楽しい部分であるのかなと思います。

さあや:
どの場面が一番楽しいんですか。その記事を作ったり、何か企画をしてミーティングとかあると思うんですけど、どういうところでぐっとくるんですか。

Ryo:
一番はこの情報が自分たち、今は持ってるけど、昔持ってなかったなっていう瞬間に気づける事が1つで。もう1つ目はやっぱ成長したなっていう喜び。と逆にこれを今知らない人たちに伝えていかないといけないっていう使命感は、を感じるので。自分にしかできない事、経験した自分にしかできないなっていう。うん。ところであのなんて言うんでしょうね。ちょっとかっこつけますが、あの格好をつけることになるんですけど、自分にしかできないっていう喜びはありますね。

さあや:
知らない人たちに伝えていかないといけないっていう使命感は、いつから持ってるんですか。

Ryo:
正直に言って持ってるっていうよりかは、持たないとやってられないっていうのがたぶん正直なところだと思っていて。別に僕が情報を開示しなくても誰かしらが最終的には持ってたりとか、別に僕は知らなくても経験できたことだったので逆にネタばらしをしない方がいいんじゃないかっていう意見もあると思うんです。
ただ自分が楽しいと感じるためにその、行動を起こすためのモチベーションとして、自分の使命があるんだって言い聞かせておくと、自己肯定感の一部になって行動に繋がるっていう感じで使命感を勝手に抱いている。もしくは行動に必要な条件なのかなと思っています。

さあや:
いつからそういうふうに考えてるんですか。自己肯定感の一部になるからこういうふうに思うっていう考え方っていうんですかね。

Ryo:
日本の大学ではなく海外の大学に、カナダの大学に行ったときに日本の文化を教えてくれと。別に僕じゃなくてもネットに日本人の人はいるし、日本人って1億人いるわけですよね。80人のうちの1人なんですよ。80億人、世界中に人口がいるとして、80分の1って結構多いんですよ。要は1年間、いろんな人に会っていけば、3日に1回ぐらいの確率では会えると。頑張れば。結構日本人って多いなと思うんですよ。なのにその場にいた、その経験をした、もしくは英語が喋れるっていろんな小さい「誰でもできるよね」っていうその「誰でも」が例えば100人ぐらいいても、それを全てできるのって僕しかいないって思って「ああ日本の歴史をこう伝えていかなきゃ」、「文化を伝えていかなきゃ」、「これを聞きたい人が目の前にいるんだったら僕が伝えていくべきだろうな」っていう。ただただ日本人というレッテルを貼られただけの質問に答えていくとその使命感が生まれましたね。そんな経験ないと思うんです。急に「なんで日本人は『いただきます』を言うんだ」、「日本には神はいるのか」と言われると「八百万っていう…」、「じゃあ800万の神がいるのか」って言ったら「いや八百万っていうのは無限大なんだよ…」、「なんで8を使うんだ」、「8っていうのは末広がりでいいんだ…」みたいな、すごい聞いてくるので、別にそんなこと日本人として知らなくてもいいことを調べたりとかしてるうちに、行動するための原石って使命感を勝手に自分で考えてることだなと思いました。

さあや:
人からはRyoさんは性格についてなんて言われますか。

Ryo:
「極端だね」とは言われますね。こういう強い意見を持ちながらいろんな行動をしつつの時には1週間家にこもって、有給を使ってずっとゲームをしてたりとか。誰とも話したくないタイミングがあったりとか。英語でよく言うsuper extrovert、super introvert、「introvert」っていうのは内向的なとか内気な性格って意味で、「extrovert」っていうのは社交的なとか外向的、陽キャですね。だから超陽キャかつ超陰キャみたいな性格ですねっていう意味で極端だねっていうことは言われますね。

さあや:
そうなんですね。自分では性格についてどう思ってますか。

Ryo:
僕が一番嫌いな言葉を使って説明をすると普通の人間だなと思います。っていうのはみんな落ち込むとか人と話したくないときもあれば、逆におしゃれして外でかけたいタイミングもあるよねとか、誰かと話したいタイミングも誰にでもあるよなっていう意味でいくと、逆にじゃあなんかどっか行ってみたいなと思ったときに、僕は国とか大陸を越えていくのが普通だと思っちゃってるんですよ。どっか行こうと思うとロンドンとかボストンにパーって行ったりとか。ドイツとかも。どこにも行きたくないなって言うと逆に今度は家の中のソファーの上から動きたくない、みたいな。
半径30センチのところから地球半分ぐらいの広さまでを自分の移動距離と考えているので、普通の人間だよねと思いつつも、人と比べると違うのかなっていう意味で、もしかしたら普通じゃない性格なのかもっていうのが一言に表すと自分の性格ですね。

さあや:
さっき前例がないような生活をしている、生き方をしておっしゃってたんですけど、前例がないっていうのはどういう生き方なんですか。

Ryo:
はい。数字で見える部分と自分の体感でお話させていただくと、まず数字で見える部分としてはやっぱ僕の大学、僕行ってた大学日本人3人しかいない。3600人の学生がいる中で3人しかいないって中で、僕はすごいボランティア活動とか生徒会とかいろいろやっていて、実はカナダの国内のNHKみたいなニュースにも載ったりとかしてたときに、「初めての日本人」みたいなこと言われると前例ないなとか、自分の会社でも、その本当に「純ジャパ」って言われるような両親どっちも日本人で、日本で生まれ育った人たちっていうのが、いないんですね。僕の会社確か1万4千人ぐらいいるのかな、カナダには。1万4千分の1とか2とか3だったりするわけですよ。3,600分の1だったりとか、当時は。
であと、その数字的に見たときには前例ないなって思うこともありますし、やっぱりこう生活してる中で、「初めて日本人に会った」とか「初めてアジア人に会ったよ」ってこういう言われた経験をしていくと、前例がないんだなっていう意味はありますね。だから全く日本を感じない生活をしていると、「ああ、前例がないのかもしれないな」っていう。思いますね。

さあや:
生活の中で逆に日本を感じる瞬間ってありますか。

Ryo:
ありますね。やっぱり特に食生活は大きくて。やっぱご飯を食べてるときにこれが美味しい、これが美味しくないって海外いると感じるんですけど、やっぱ美味しいものをたどっていくとちょっとしょっぱかったりと。醤油のイメージで。逆に、味の鮮度、要は日本の食事ってすごい難しいのは日本食を四季折々の中で暮らしている日本っていう中で、自然の材料の自然の味を生かしたっていうのが得意なのが日本料理だったりするんですけど、割とその自然の美味しさを生かしたものを好む傾向にあるなと。自分が。ってなったときに、日本人ぽいなと感じることはすごいありますね。
あとなんでしょうね。これはもう最後の1つといえば、ネットフリックスとかのアニメを見たときに海外のアニメを見たときと日本のアニメを見たときにやっぱ日本のアニメがいいなって思うのは日本人だからなのかなっていうのはあります。色彩だったりとか、音使いだったりとか行動だったりとか。こう、割と海外のアニメはすごい、なんでしょうね。言い方悪くするとすごい幼児向け、簡単な色使い、奥行きもないような。平べったいストーリーの簡単なアニメが多いんですけど、日本のアニメはすごいこう伏線があったりとか、アニメスタジオによって作れるアニメの種類が違ったりとかっていうその奥深さっていう深いアニメの文化を持っていて、その深さがないと物足りなさを感じてしまうのは、日本人っていう日本という。文化の複雑性っていうのが自分の中に存在してるのかなと思います。
やっぱ日本の文化は海外から見るとすごい特殊で複雑すぎるので。日本の文化を一言で言うと結構わざと曖昧性を残した文化なのかなと。僕はそういう認識をしているので、その曖昧性だったり複雑性っていうのが自分の生活の中で垣間見えると、日本人だと感じますね。

さあや:
カナダで一番好きな場所ってどこですか。

Ryo:
なんでしょう。どこどこってよりかは、キャンプファイヤーの周り。キャンプファイヤーが目の前にあって友達とその火を、キャンプファイヤー囲みながらビールを飲んでいるその空間、その場所が好きです。これは別にどこでもいいなって感じはしてます。ただやっぱ僕は人っていうところをすごい重視しているので、順序の中で重きを置いてるので。その自分の好きな人がいる場所です。

さあや:
それはじゃあ、カナダじゃなくてもいいですか。

Ryo:
そうですね。やっぱドイツに行った理由は高校のときの友達がいたからとか。今度イタリアの、高校の――日本人なんですけど――友達が就職したので会いに行ったりとか。あのボストンに中学校の友達が、これも日本人なんですけど会いに行ったりとか。トロントにいたので会いに行ったりとか。やっぱ自分の好きな人がいる場所が自分の好きな場所ですね。それは世界中どこでもいいと思ってます。

さあや:
どんな人が好きなんですか。

Ryo:
同族嫌悪なので、自分と全く違う人を好んでます。逆に自分と同じような考えとか、同じようなことをしている人は「俺の方がすごい」とか。まだ若いんでしょうね、トゲトゲしてるんでしょうね。「自分の方がすごいんだ」っていう顕示欲が出てきちゃうので、そういう自分が嫌いなので、同族嫌悪と言いつつも、結果的には自分が嫌いなので。そういう自分と全く違う人が好きです。逆に話が合わない方がわくわくしますね。合わないところから合っていく瞬間が、他人から友達になっていく瞬間がすごい好きです。

過去:「できる」の裏返しは「できてない」なんですよ。ってことはまだ自分は何もできてないんだなっていうのを感じているので、自信がないんだと思います。

さあや:
では、過去の質問に移ります。子供ときはRyoさんはどんな子でしたか、10代とかまだ20代だと思うんですけど、今よりも前を振り返ってみて。

Ryo:
3つかなと思います。Googleの検索ワードじゃないですけど3つにまとめられるかなっていうのが。ヒーロー気質を持っていました。要は目立ちたかったりとか、こうやってやれば目立つとか。頭ん中でどうやったら自分がみんなの前に、もしくは引っ張っていけるだろうみたいな。先頭切って。もしくはどうやったらみんな守れるだろうと。サッカーをやっていたのでゴールキーパーだったので、どうやったらみんなを守れるだろうか。彼女がいたときはどうやったらこの、今目の前に例えば通り魔が出たらどうやって守ろうとか。すごいヒーロー的なことを考えたりとか。中2病でしたね。
もう一つ言えるのは、何か常に不満を持っていました。っていうのは、ずっと自分の上には、自分よりサッカーが上手い人、勉強ができる人、英語ができる人っていうんで、どこかしらに僕よりもできる人がいると。自分は何事にも一番になれないと思っていたので、やっぱそこに自分に対する憤りってのはあったのかなと。だからこそ、誰も見たことのない未開拓の地に進んだのかなっていうのがあります。
最後にすごい人が好きな子供でした。これは今でもそうなのかなと思いますけど、昔は本当に小学生の頃は、毎回家から帰って来るたんびに1人は誰か知らない人と話して、親に
「今日誰々、みたいなおじさんって話したんだよ」って「どんな人なの。名前は? どこで」って言われると「わかんない。覚えてない」。こういう。だから僕はお母さんと街を歩いてると「あ!」みたいな。「誰」みたいな。「わかんないけど、学校帰りに話した」みたいな。そういう意味ですごい人と話すのが好きな人でした。

さあや:
今は昔持ってた憤りみたいなのはどういうふうに解消してるんですか。

Ryo:
はい。今は憤りというよりかは、憤りの解消方法としてはもう、思いついたら即行動だと思っていて。友達とウェブサイトを立ち上げたりとかnoteを始めたりとかもそうですし、釣りとか。昨日だったりとかは、友達のお母さんから捨てるようなゴルフバックとゴルフのやつをもらったので打ちっぱなしに行ってみようと思って行ったら、みんなと服装も違うんですけど。手袋とかもなかったので手もボロボロになったりっていう自分が怪我をしたりとか。よくないことが自分に起こることあるんですけど、とりあえず行動しようと。って感じで行動ができるような大人になったなとは思ってるので、憤りを感じる場面があったらなんで憤りを感じるのかっていうのを考えて行動に移すようにしてます。

さあや:
家族からはどんなふうに育てられた人ですか。

Ryo:
はい。兄弟もいなくて1人孫だったので、両親以外のおばあちゃんおじいちゃん、おじさんおばさんからはすごい甘やかして褒められて育てられたと思います。逆に両親はそれを知ってたのですごい厳しく育てられた。って意味ではすごい、なんでしょう、昭和の、社会全体で支えていくような、一人の子供を。っていう意味でいくと少し昭和的な育てられ方をしたのかなと。割と根性論だったりとかお父さんが。逆にお母さんからは理詰めですごい攻められるとか。
頭と心を両方育ててもらったって意味でいくと、昭和的な育てられ方をしたのかな、昭和と平成ががっちゃんこしたような育てられ方をしたのかなと思います。

さあや:
両親から厳しくされたときはどういうふうに思ってました。

Ryo:
敵ですね。どう負かしてやろうと。父にはこう、どう根性で勝ってやろう。母にはどうその理屈、母の持ってる理屈をこう、崩してやろうかっていう意味ですごいいいライバルとして認識していたのかなと、当時は。両親というよりは。思います。

さあや:
どういう経緯でここからカナダに来たんですか。

Ryo:
はい。2つ、大きな理由があるかなと思います。1つは中学校1年生2年生で、父の仕事の都合で上海に住んでいたんですね、中国の。そのときに日本語って使えないんだ。英語と中国語を喋れる人、それを母国語ではなく喋れる人、話者っていう意味で、数字的に見るとやっぱり13億人の中国人と2、30億人の英語を喋れる人たちがいるんですよ、世の中には。ってなったときに日本語喋れる人って1億人ちょっとってなったときに英語を喋らなきゃ駄目だ。
っていうのと2つ目に、アメリカのディズニーワールドに行ったときに働きたいと思ったんですよ、ディズニーワールドで。海外で仕事をするには言語じゃなくて、ビジネス文化だったりとか当時そこにいる人たちの文化を理解しなきゃいけないっていうのを父の姿を見て学んだので、文化を学ぶには生活から英語にしないとなってことで、カナダにした理由はちょっと別なんですけど海外に行こうと思いました。
カナダにした理由は母がイギリスの短大に留学してたときの、その話を聞いてて、同じ道を行きたくないと。オーストラリアはなんかサーフィンしてるサンタさんが気持ち悪かった。超個人的ですよ。なんかビキニ着たサンタさんってなんかあんま面白くないなっていうのと、アメリカの当時ドナルド・トランプ大統領がいたので学生ビザがあんまり下りないよって話だったので、あのカナダにしましたと。そういう理由ですね。

さあや:
カナダには最初どこに来たんですか。場所としては。

Ryo:
カナダのノバスコシアっていう、ノバスコシアのウルフビルっていう。町の人数が7000人しかいなくて、その半分は学生なんですよ、3500人ぐらいの。だから夏には3500人ぐらいのちっちゃい町。逆に学校のシーズンには7000人のちっちゃい町。だから町を歩くと誰でも会えます。ノバスコシア州が知られている理由は日本人の方に。『ハナミズキ』っていう昔映画があったんですけど、そこの最後のプロポーズかな、なんか灯台のそこの撮影シーンが実はあのノバスコシアだったりとか。例えば他には『赤毛のアン』の舞台が隣の州のPEIっていうプリンスエドワード島というところで赤毛のアンが有名なので、その隣の州として覚えられていることは多いなと思います。

さあや:
そこではまず大学に行かれた。

Ryo:
はい、大学だけですね。

さあや:
就職は今の会社ですか。

Ryo:
そうですね。就職は大学4年生のとき日本の内定を3つか4つぐらいいただいてて、実は入社式も出たんですよ。内定1つだけ承諾して。10月の1日ですね。皆さんの前で社長とか役員の前で抱負みたいなことを語ったんですけど、その2週間後に現地で、ーーBIG4のコンサルーー今カナダで現地就職できるのはこのタイミングしかないだろう。将来後悔するなと。しなかったら。っていうのを客観的ではなく、主観的にもう感情で感じてしまったのでクビになったら日本に帰ろうっていう覚悟はあります。そしたら内定承諾させていただいた会社に入ろうかなとは思いますけど。
そういった経緯で就職して。なんでしょう、内定と同時に辞令という形で「この州のこの町に移ってください」って言われたので「じゃあ引っ越します」って形で隣の州に移りました。

さあや:
カナダで就職できるタイミング、今しかないだろうっていうくらいカナダには居続けたかったんですか。

Ryo:
いえ、カナダに居続けたかったというよりは日本に帰ったら負けだなっていう感覚がありました。その理由としては日本で「海外留学をしてきました」っていうその海外留学をしてきただけのブランドを掲げてる人っていうのは多かったんですよ。今でも多いと思うんですけど。でもそれって別に僕からすると、なんでしょう、「東京ディズニーランド行ってきました」みたいな。何の意味もないっていう。ディズニーに行ってミッキーと会ってきて楽しかったとか。友達と行ってとか、なんか彼女と行ってプロポーズしてきたみたいな。特に海外にいるだけだと価値ないなって感じて、その価値を正しく測ってくれる人が今日本にいないなと正直感じてました。これはすごいなんでしょう、天狗な意見ではあるんですけど。まだ僕の本当の価値を日本では測ってくれる、もしくは測ってほしいように測ってくれる人がいないなと感じたので。そんなただ海外に行っただけでちやほやされるような甘やかされた人生っていうのは僕には欲しくなかったので、自分で厳しい方を選びました。

さあや:
いつも厳しい方を選んでるんですか。

Ryo:
はい。これは父の教えでもあるんですけど、何か迷ったら自分が今厳しい、もしくは行きたくない方を選んだ方が成長に繋がるよっていうのを言われていたので、そうするように今はしてます。

さあや:
成長したいんですか。

Ryo:
成長したい。ちょっと成長とは言い方が違うのかなっていうのはすごい申し訳ないんですけど、成長したいって言うよりは、自分に自信が欲しいです。自分にやっぱ自信がないので、そのちやほやされたら、そこに甘んじて何もしないなっていう自分がいるんですよ。やっぱり日本に帰ると。自分を甘やかさないようにしてるだけです。成長をしたいっていうよりかは自分に自信を持ちたいっていうだけですね。

さあや:
どうして今自信が持ててないんですか。

Ryo:
わかりません。それをこう、探すのが人生なのかなと思いつつも。
自信がない理由は2つあるのかな。1つ目は、やっぱ自分の同世代を見ていると起業をした時価総額何億円とかの会社を持ってる人とか、プロのサッカー選手、要は自分がサッカーの道は無理だなって小学生のときに感じて。それでも高校生までやってたりとかしたんですけどやっぱ違うなと意味で。「何々と言ったら、Ryo」って言われることがないんですね。まだ。だから、自分に対する自分だけの社会での、社会における自分だけの固有名詞っていうのがまだないなと。
2つ目に、まだできるんじゃないかと。まだもっと何か自分にはできるんじゃないかっていう子供の頃からの憤りみたいなのをまだ感じているので。「できる」の裏返しは「できてない」なんですよ。ってことはまだ自分は何もできてないんだなっていうのを感じているので、自信がないんだと思います。

さあや:
仮に固有名詞みたいなのが付けられるとしたら、どういう候補があるんですか。

Ryo:
候補か……。だからこう、めちゃめちゃ長くはなっちゃうんですけどキャッチコピーとしては。「カナダのド田舎でキラキラしてない社会人3年目の日本人」みたいなっていうと、たぶん僕ぐらいしか当てはまらないのかなと。今カナダにいる人では。
もしくは、なんだろうな……。日本が大好きで大嫌いな日本人も、たぶん僕ぐらいだと思います。すごい日本は好きだけど、こう嫌いで日本から出たっていう留学生も知ってますし、逆に日本のことが大好きで日本に行きたいっていう留学生の人も知ってるんですよ。外国人の人で。ただ僕ぐらい日本のことが大好きで、逆に大っ嫌いな日本人ってあんまりいないなと思います。
よく共感できるのは、あのホリエモンさんのお話は、うん。共感できますけどあの人のやってることにはあまり共感ができないので。すごい、そこら辺もなんかホリエモンみたいな日本人ってのもなんか違うなと思いますし。って感じですね。

さあや:
共感できることっていうのは、抽象化するとどんなことなんですか。

Ryo:
抽象化すると、堀江さんがおっしゃっている日本の政治とか社会に対する不満だったりとか良くないことっていうのはすごい共感できるとともに、堀江さんは日本を好きな理由がご飯だったりとか、日本人が気付けてない良さっていうのは、社会を見て知っている方なので、そういう良さみたいなところと逆に日本の社会とか文化に対する不満っていうのはすごい共感できるなと思います。

さあや:
Ryoさんの価値観とか人生に影響があった出来事ってどんなことですか。

Ryo:
2つ、父と母のそれぞれの経験があるんですけど。母からこう、習い事をやめる、習い事に行ってないときに「そんなに好きじゃないならやめれば」っていうことで。要は、「そこまで気持ちがないから行動に出てないんでしょ」、要は「人間の行動って自分の気持ち次第だよ」っていう意味で。自分がうまくいってなかったりとか努力できてないものって、自分が悪いとか向いてないとかではなく、ただそれに対する愛情だったりとか、モチベーションがないんだ。だったら自分のモチベーションがあるものを探そうっていうところでいろんなことをやって、続かなかったらこれには自分は向いてない、自分の感情とやってることは一致してないんだなってことで諦めるようにはしてるのと。
逆に父から言われるのは「お前は俺の息子だ」と。「だからやらなきゃいけない」と。っていうのは5歳ぐらいのときからなんですけど、うちの父が営業マンで。営業の飲み会とかについて行くと父の後ろを回って冷たい瓶のビールの入った瓶を持って歩かされるともう手がキンキンに冷えて嫌なんですよ。嫌な顔をしたりとか。周りの5歳とか小学生とかの人をやってないんですよ。そこに理由を求めるんです。なんでやらなきゃいけないのか、子供からすると。でもそこに理由はなくて「お前は俺の息子だから、そういうことをしなきゃいけないんだ」と。やるときに、なぜかすんと落ちたんですよ。
要は価値観としては、人と違うことをやらなければいけない家庭に生まれてしまったのかなっていう意味ではやっぱり人と同じことをするのが悪、ではなく。人と違うことをしている方が、もしかしたら自分らしいのかなっていうのを感じているので、人と違うことをいろいろ試していって挑戦していって、続かなかったら母の教え。何か悩んだことがあったらまた父の教え。難しいことを選ぶ。なぜなら僕はその父の息子だから、っていう意味で2つの価値観が両立しているのかなと思います。

さあや:
今一番大事な人は誰ですか。

Ryo:
おばあちゃん。と、自分です。っていうのはおばあちゃんの理由としてはもう簡単で僕しか孫がいないので。おばあちゃんの旦那さん、僕のおじいちゃんももう僕が14歳のとき亡くなっちゃっているので。たぶん今生きる楽しみが僕しかない。っていうのはよくおばあちゃんがってなったときに僕が「いろんなことやって楽しかったよ」とかLINEとか写真とか送るとすごい喜んでくれるので、そのおばあちゃんの生きる意味、生きがいってのはすごい僕が体現してるなと思うので、おばあちゃんですし。
逆にその体験できるような自分は、その一瞬一瞬を楽しめるような自分でないといけないなと思うので。やっぱり自分が自分であるための努力ってのはするようにはしています。だから嫌なことは続けないとか。そういった意味で、自分じゃないなって思うようなことはやめるようにしていて。ってことで。僕も同時に自分をちゃんとこう、なんでしょう、マネジメントではないですけどなんて言うんだろうな、自分に優しくできないと僕は人に優しくできないと思っているので、自分をどう扱うかはちゃんとご飯を食べるとか自分で掃除をするとか綺麗にするとかっていうのは、そのまま人に行くのかなと。自分でちゃんとご飯食べなければ相手がお腹空いたかどうかっていう気も遣えないですし、自分に気を遣ってあげることが人に気を遣うことになるのかなと思ってるので、おばあちゃんと自分を大切にしてます。

さあや:
そういう自分とか他人とかの取り扱い方については、すごく考えてらっしゃるのかなって思うんですけど、何か勉強とか、こういう考えを取り入れようとしてるとかっていうご自身で工夫されてるんです?

Ryo:
工夫はないと思ってます。ただ、僕が普通だと思っていてこの年になって「あっ普通じゃないな」って感じたのは、異文化を取り入れるっていうのは無意識にやっていて。
いろんな国の人と喋ってるときに、「あ、中国の人はすごい、自分が喋ってることを相手が理解してるか不安なんだな」って思うので結構お喋りなんですよ。だから聞いてあげる姿勢を持つと。逆にカナダの人は、フレンドリーだからこそ自分がどれだけ心を大きく全開にしたか、心を開いたかによって向こうもどれぐらい開いてくれるっていうのが変わるから自分が先に話さなきゃいけないな。っていう意味でいろんな文化で、どういう人がこう文化のモデルになるのか。って意味でそういうところをすごい意識して生活しているので、そこを異文化を学びながら自分がその文化を体現できるようにしていく。っていうのは意識していますし。
逆に日本の文化って漢字とかっていう言語は中国から、箸っていう文化も中国。逆に、なんでしょうね、考え方的なのは「すごい八百万っていういろんな神様いるよね、世の中には」っていうのはキリスト教っていう、イエス様っていう教会もありますしイスラム教っていう他の、神っていうのは1人で、最終的な神はイスラム教に教えを教え込んだからキリスト教は古い考えでイスラム教は新しい考えだって思ってるイスラム教の考えって別にそれは神様2人いてもいいんじゃないの、もしくは神様1人なのっていう教えとかいろいろあると思うんですけど、そういう部分日本の文化っていうのは僕の中では海外の文化をめっちゃごちゃまぜにしたビュッフェなようなもんだと思っているので。逆に僕が人の文化を取り入れて体現するってのは逆に日本の文化だ。結果的に。と思っているのでそういうところは意識して、勉強ではないですけど、この文化わかんないなと思ったらその人と。Googleを使うのではなく、生きた文化、目の前にいる人と接するようにはしてるので、そこら辺はある一種インプットとしては勉強になるのかなと思います。

さあや:
このインタビューはこの後未来パートに行こうかなと思うんですけど、これまでインタビューを受けてみて、どうですかね。喋りにくいとか、ありました。

Ryo:
喋りにくいはないですね。ただ、僕の回答は皆さんの興味をそそるものかっていう不安はあります。やっぱりせっかく記事にしていただける。僕のNoteのアカウントのフォロワーも増えるかもしれないっていうところで、興味をそそいでいただける内容を話せているのかなっていうのはすごい不安です。

さあや:
それはどうしたら不安は解消されますかね。

Ryo:
自分に自信を持つことかなとは思いますけど。
逆に皆さんのインタビュー記事を読ませていただいてると、あんまり感想っていうよりかは皆さん読んでスキを押すっていうイメージなんですよ。
読んでてこの人面白いからちょっと見に行ってみよう、そのNoteのアカウントを持っている方は見に行ってみようと思うこともありますし、逆に僕の記事をこう、なんでかわからないんですけど、あのスキにしてくれたんですよ。無名人インタビューの方が。だからもしかしたらスキを回してるだけなのかもしれないんですけど。ってなったときに……。
すいません、質問もう一回いいですか。

さあや:
興味をそそいでもらえるか不安ですっておっしゃってたので、どうしたら解消されますかねって。

Ryo:
記事が出てスキがたくさん来て僕のフォロワーが増えればっていうのはありますし(笑)、同時にやっぱ僕は自分のことを普通の人間だと思っているっていうのはさっきお話させていただいたと思うんですけど、普通の人間が普通のことを喋ってるんだと思ってるんですよ。僕は。カラスが勝手に鳴いているのと、僕が質問に答えているのっていうのは同意義だと思っているので。そうなるとカラスが鳴いてても誰も気にしないと。だから僕が喋っても誰も気にしないんだろうなっていうのが根幹にあるので、そこを皆さんには裏返してほしいなっていう期待はあります。

未来:自信を持つことはたぶん僕は性格的に無理なので人と比べずに夢中になれることだと思っていて。

さあや:
未来について聞いていきますね。
5年後とか10年後あるいは死ぬときまで想像していただいて、未来についてはどういったイメージを持ってらっしゃいます?

Ryo:
未来は希望2割、不安8割ですね。これはもう本当に死ぬときにっていうか将来後悔しない人生を、今後歩んでいけるのかっていう不安もありつつ、いや、その人生を歩むのは自分だから自分の行動次第でどうにでもなるんだろうなと思っているので。自分に期待を希望を抱いているっていうので、2割8割ぐらいだと思います。

さあや:
どういう気持ちでいたいとかってあります。

Ryo:
人と比べなくても、自分に自信を持てるような気持ちでありたいと思います。

さあや:
自信を持つって具体的にどんな精神状態を想像してるんですか。

Ryo:
自信を持つことはたぶん僕は性格的に無理なので、人と比べずに夢中になれることだと思っていて。例えば子供の頃には誰とも比べずにゲームをしていたりとか、誰とも比べずにサッカーをしていたりとか、みんな人と比べることなく夢中になれることってあると思うんですよ。ちょっとこれはインタビューから外れますけどさあやさんが、この例えば今インタビューをしていただいてるさあやさんが夢中になることもあると思うんです。
例えばメイクとかってあるじゃないですか、女性の。みんな何か人と比べてメイクが上手い下手って言いつつも、今日めっちゃ盛れてるって、別に誰とも気にせず自分が盛れてるかどうかにすごい集中してる女性の方見ると、「ああ、いいな」と思っていて。要は自分が何かに夢中になれば、人と比べることはなく、自信を持つ持たないっていうのは関係ないのかなと思っているので何かに夢中になって行動をしているというのが僕は自信を持っている状態かなと思います。

さあや:
うんうん、そうなんですね。

Ryo:
すいません。ちょっと辻褄が合うのかどうかわかんないんですけど。

さあや:
辻褄って合ってないといけないんですか。

Ryo:
合ってると、なんでしょう仕事の、もう本当に職業病ではありますけど、ロジカルでないっていけないのかなとは思います。コンサルでは。あと、やっぱり理詰めで育てられたので。

さあや:
これするまで死にたくないなとか、死ぬまでにはこれはやってみたいなっていうものありますか。

Ryo:
老人ホームを作ることです。これは、ただ老人ホームをつくるのではなく、すごい大金持ちになって友達だけを集めた老人ホームを作って。老人ホームってやっぱ運営にすごいお金がかかるんですね。このお客さんっていうご老人の方、お金を持ってない人たちっていうのがお客さん。でもご飯とか介護士の方を雇うっていうのはすごいお金がかかるんですね。ていう意味でいくとやっぱすごいお金を持ってないといけないと。老人ホームを作るには。
ただ、好きな人に囲まれて、やっぱ好きな人がいる場所が僕が一番好きな場所なので、好きな人に囲まれて死んでいきたい、もしくは好きな人が死んでいくのをちゃんと看取ってあげたいと思っているので死ぬまでには、「自分の好きな友達だけを集めた老人ホーム」を作りたいです。

さあや:
それはみんなで住んでるイメージなんですか。

Ryo:
そうですね。なんか1人1部屋あって、朝起きてきて一緒にご飯食べて午前中寝る人もいるでしょう。老人なので。とか。
あともう1つは、こういうお話をさせていただいて情報を発信している中で、その人の価値観は、変わらなくてもいいですけど行動する、なんでしょう、原因、理由になってその人の人生が豊かになれば、自分の経験を伝えることっていう今、これ誰が聞きたいんだろうって不安に思ってることが1個解消されるので、そこは1つあるのかな。その2つだと思います。

さあや:
もしもの未来の質問なんですけど、もしも、そうですね……。もしもカナダに配属されなくて、日本で社会人生活をスタートしてたら、今どういう人生になってると思いますか。

Ryo:
はい。「今をすごい後悔をしている人生」だと思います。
理由は2つありまして。1つ目はすごい甘やかされるというか、ちやほやされるんだろうなと。海外から来て英語も喋れて、手前味噌ではありますけどたぶん日本の学生の大半の方よりは、平均よりは仕事ができるんであろうと思うんですね。となるとすごいちやほやされたんだろうなと。ただ同時にその、褒められて、自分ってすごいんだって思いつつも心の中では、海外で就職できたらもっと違う経験できたんだろうなっていう。
僕にとって日本っていうのは、ふるさと我が家でありつつ、いつでも何でもできる場所なんですね。だからこそ今じゃないな、帰るのはと思っていますと、なので海外、今日本でできない経験をできなかった自分に後悔はするんだろうなと。その2つの意味で思います。
やっぱり褒められて伸ばされて、っていうのは僕はないと思っていて。褒められて、僕は天狗になってしまうと思う。伸びる余地はないと、成長余地はないと思っていて。なので、お前はもっとできるぞ、まだ駄目だろうって叱咤激励されてる自分になれてないというところで後悔はしてるんだろうなと思います。

さあや:
最後に読者向けでも、自分に対する独り言とか感想でもいいんですが、これは言っておきたいとか、言い残したことありますか。

Ryo:
自分に対しての一言は、「10年後お前どうしてる? あんときnoteやってて後悔してない?」とか「あんときなんかあんなことやって後悔してない?」っていう。「今やってることが将来繋がってる?」って聞きたい。でもありますし「過去の自分頑張ってくれてありがとう」っていう一言と。
皆さんに伝えたいのは、もしよかったらnoteを読んで何かここをもっと聞きたいとか、僕は情報発信をしようと思っている中で、「忘れてることあるぞお前、もっとこういうとこ教えてくれよ」っていう部分が皆さんあったとしたらご指摘いただければありがたいな。新しい記事にも繋がるので、読んでくれてる人がいるっていうモチベーションにもなるので、皆さんもしよければ、読んでいただければっていうのが、皆さんに対する一言かなと思います。

https://note.com/ryo_ryugaku

さあや:
わかりました。ありがとうございます。

あとがき

RYOさん、インタビューありがとうございました!
家族や慣れ親しんだ言語の環境から離れて、就学、就職するって、なかなかハードルが高いなと思っているんです。ところが、RYOさんのお話を聞いていると「なんだか難しくなさそう」な印象に思えてきたので不思議です。

カナダインタビューも、もう5人以上させていただきました。カナダという日本人に比較的メジャーな国で、自分も実際に住みながら、この土地に住む方の生き様を聞くのは興味深いです。

カナダインタビュー、まだまだ募集してます!

【インタビュー・あとがき:さあや】

【編集:守宮泉】

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