見出し画像

24歳で入院して何もしていないんだけどいろんな人がケアしてくれてそこで初めて自分には人権があるんだなって思った解離性障害の人

ぶるぶる震えてる。怖くて? そう怖くて。何が何でも知りたいと思ってるのに、なのにわからない。ということで、みなさんは旅はお好きですか?
いろいろありますよね。お伊勢参り、善光寺参り、熊野詣。旅って人間の本能じゃないのか、と思いますね。三大欲求と言えば、食欲性欲睡眠欲ですが、たぶん、旅も人間の根源的欲求の一つじゃないかと。生きるのに必須ってわけではないですが、いろんなところに旅して知識を吸収したり居場所を開拓したりっていう活動自体が、生存の基盤を強くすることにつながっていそうです。
はい。
私自身も、旅は嫌いってわけでもないし好きってわけでもないですがまあ、でもあんまり自分から行くほうではないかな。誘われたらついていくって感じで。なんていうかな、自分で旅先を考えるほどの手間はかけられない。もちろん旅自体は嫌いじゃない。旅の計画立てるのも嫌いではないが時間がない、て感じです。ああまあ、ではつまり、強制的にサイコロの旅でもしたらいいのかも。
ということで、週末旅すると決めて行動を仕組み化している今回の参加者さんは、クレバーなのかも。
今回の無名人インタビューもお楽しみくださいね。(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは しをつ さんです!



現在:旅行は、ちっちゃいもの入れると、ほぼ毎週行ってるんじゃないかと。

qbc:今、何をされている人でしょうか?

しをつ:今は会社員ですね。
元々ちょっと精神疾患になって、入院したことがあって、その時に病院の中で親離れしたっていう、ちょっと変な体験をしたことがあるんですよね。

qbc:今の年齢をお伺いしてもよろしいですか?

しをつ:今30歳です。かなり遅かったんですけど、26歳で親離れ。

qbc:今やってて一番楽しいことってなんですかね?

しをつ:今やってて一番楽しいことは、週末に旅行へ行くことです。
元々、地図とか見るのが大好きで、やっぱいろんなところに行ってみたい願望があったんです。
ですが、両親には旅行を反対されていて、"旅行はただの逃げ"という両親の考え方を強いられました。

qbc:今一番今やりたいことってどんなことですか?

しをつ:全国いろんなところを見て回って、いい風景だなと思うところを切り取って、Instagramのリールで配信させていただいてます。
春夏秋冬いろいろ季節があるじゃないですか。その中で、いいなって思うところ、綺麗だなと思うところ、その風景を見て回ってっていうところを、今はやってるかなと思います。

qbc:Instagramを見ると、ほんといろんなところに行かれてますね。どれくらいのペースで旅行されてるんですか?

しをつ:旅行は、ちっちゃいもの入れると、ほぼ毎週行ってるんじゃないかと。
一泊二日の2日間で行った範囲で言うと、一番遠かったのが青森かなと思います。今は大体東京辺りに住んでます。

qbc:旅行行って写真撮るみたいなのは、いつ頃からされているんですか?

就職してから旅行に出始めて。写真自体は、三、四年ぐらい前かなと思います。
多分写真は一つの手段として見てて。カメラを真剣にやってるってよりは、単純に旅先での良かった風景を見せたい、みたいな。

過去:自分が自分のお金と、自分の時間を、自分の人生を、自由に使えるようになったっていう。

qbc:子どもの頃は、どんなお子さんだったんでしょうか?

しをつ:子どもの頃は、すごい真面目で。親孝行だったのかなと思っていて。
勉強も一生懸命やったし。実家が自営業だったんで、その手伝いとかも一生懸命やって。

qbc:子どものころは、家で遊ぶのがお好きでした?

しをつ:友達も少なかったし、勉強ぐらいしかやることなかったんで、あんまり思い出はないですね。いい思い出はあんまりないかな。

qbc:悪い思い出は?

しをつ:悪い思い出はいっぱいあります。
いじめがすごいいっぱいあって、6回7回ぐらいあるんですよ。一番印象に残ってるのは、中学生の時に普通に部活動をやってて。バレーボールやってたんですけど、先輩からボールめちゃくちゃ投げつけられて。それが多分一生残ってる時ですね。
あとは目の前でオナニーをしろって言われたことがあったりとか。屈辱的なことが沢山ありました。

qbc:高校生の頃は?

しをつ:親には感謝してたのかなと思うんですけど。
仕事をしていない自分は駄目だと思ってて。仕事をしていない人は食べてはいけないっていう教育をずっと受けてきて。
両親が仕事をしているから自分は食べていけてる、みたいな考え方で生活してたんです。

qbc:引け目を感じていたということですか?

しをつ:引け目はありましたね。仕事をせずに、自分は学校に通っているだけだから、みたいな。
それで高校の時から、家事だったりそういうのも手伝うようになって、経済的に結構苦しくなったことがあって。
お昼ご飯を300円で食べないといけなかったんですよ、いつも。
弁当は母が作ってくれたんでよかったんですけど、休みの日とか、土日の部活動とか、出かけるときはパンを食べて生活していて。
パンを食べると200円だから、残り100円が浮いて、それで自分の好きなものが買えるみたいな。

qbc:大学生の頃は?

しをつ:大学は、家から通える学校にしてくれって言われて、あと国公立にしろって言われましたね。
あとは、奨学金を借りて自費で行けって言われたんですよね。
親からは働いてほしいと言われたんですけど、大学に行くんだったら奨学金借りなさいっていう風に言われました。実家の家業が順調にいけば、学費の返済は親が負担するよ、という約束を高校生の時にして。それで、国公立の大学に入って、実家から通ってたっていう感じです。

qbc:大学生活自体は、どうでした?

しをつ:大学生活は楽しかったんですけど、一人暮らしで下宿してる人と比べちゃうと、自由が無かったです。
実は家が狭くて、自分の部屋が24歳の時までなかったんですよ。
だから、10歳下の弟と同じ部屋で、基本的には2人でいなきゃいけなかったんで。家で勉強するっていうのが難しくて、弟はもう小学生で22時とかに寝ちゃうんで。だから、もうほぼ家にいなくてマクドナルドで生活してたみたいな感じなんですよ。寝る以外はマクドナルドにいたみたいな。

qbc:大学時代のエピソードはありますか?

しをつ:奨学金って基本的に自分が借りてるものじゃないですか。
口座を全部親が管理してて、基本的にその口座から自動的に学費が払われる形になっていました。自分名義の奨学金の口座の通帳を、親から見せてもらえなかったんです。
自分が借りてるお金なんですけど、差額が60万円ぐらいあったんですよ。卒業する時に。

qbc:なるほど。

しをつ:口座に60万円残ってるはずだから、大学卒業前に海外へ行きたいって話しました。
その時、このお金は将来のためにとっておけと言われて、反対されたんですよ。で、そこでお金がないっていう理由で海外に行くのを諦めたんですよね。
そこで、改めて両親が返すから両親が管理しているものだと確認したんですが、自分で借りたものだし、自分の勉強代だから自分で返せっていう風になって。
話がおかしいと思って、それからお父さんのことが特に信頼できなくなった。

qbc:それから、就職ですか?

しをつ:そうですね。仕事は好きだったんですけど、入社する前から、職場で長期的にデータ改ざんがあって。その時に、自分が改ざんしたデータを保存するサーバーを管理する仕事になっちゃったんですよ。発覚する前と発覚し始めたとき。
そういう悩みって、親にだって話せないですよね。

qbc:しをつさんが、改ざんに気づいたって意味ですか?

しをつ:いやもう自分も気づいてたし、周りも会社の人みんな分かってる状態で。

qbc:改ざんって何のデータですか?

しをつ:試験データです。
で、その事件が、ちょっと表向きにまだなってない頃に、自分がデータを管理する仕事になっちゃったんですよ。
それがすごく嫌で、負い目を感じてたんですよ。だけど、仕事辞めたいって親に伝えても、その理由って話せないじゃないですか。内容がシビアすぎて。
だから、話せないんですけど、奨学金が余ったぶんの60万円があるから、それを使ってしばらく生活して、ちょっともう転職したいっていう話とかをしたんだけど、3年は働けって言われて。
多分自分が辞めたいっていう理由とかも、しっかり話せないから。それで結局そのお金をまた使えなくなっちゃうんですよ。

qbc:はい。

しをつ:当時働き始めてまだ1年ぐらいで、貯金もまだそんなになかったんで、そのときに仕事を辞めるっていう選択ができなくて。
仕事も辞められないし、実家に帰ってもちょっと親も信頼できない状態で。
それで精神的に駄目になっちゃって、倒れちゃったんですよね。
病名は解離性運動障害っていうものになるんですけど。

qbc:すぐに入院だったんですか?

しをつ:2回目の休職で4ヶ月間入院になりました。

qbc:なるほど。4ヶ月の間に親離れっていうのは、どういうことが起きたんですか? 絶縁したという意味ですか?

しをつ:絶縁っていうよりは、24歳まで自分の部屋がなくて、その自分のお金のことも親が管理していて、要するにその自分の生き方を管理されてたわけです。
24歳で就職して一人暮らしを始めて、すごく楽しかったんですけど、職場のデータ改ざんの話って、すごく普通に辞めたいじゃないですか。
ただ辞めたい理由は職場以外の人には言えない。それで、今まで親に管理されてきたけど、自分のことは自分で決めないと、っていうのを入院して気づきました。
そこから、自分が自分のお金と、自分の時間を、自分の人生を、自由に使えるようになったっていう。

未来:今、何かやり直してる感じなんですよね。それが多分一番だと思います。

qbc:未来について。5年後10年後こうしたいですとか、死ぬ時にこう思われていたいとか、未来っていうとどういうイメージを持たれてますかね?

しをつ:未来ですか。そうですね、
今は、何て言うんですかね。その、ちょっとまだあんまり分かんないんですけど、どっかで家庭を持ちたいのかなとは思っていて。
家庭を持ってなくても、子供と関わる。
例えばその地域の活動だったりとか、そういうのはしていきたいなっていうのは思ってて。
あとは、近所に大学生と仲良くさせてもらってるんですけど。人に言えない悩みを抱えてる人がいたら、とりあえずご飯連れてったりとかするとか、、、

qbc:自分に近い状況の人をサポート、ケアしたい、ということですかね?

しをつ:そうですね。自分が欲しかったものを与えたいんですかね。

qbc:自分が欲しかったものって、何だったんですか?

しをつ:人権じゃないですか。

qbc:なるほど。人権を病院でもらえた。

しをつ:そう、そんな感じです。なんか初めて、自分には人権があるんだなって思ったんですよ。
それまでは、仕事をしていない人は駄目で。やっぱ、働かない人は食うべからずみたいな。

qbc:そういうマインドセットがあったんですね。

しをつ:そうです、マインドセットを植え付けられてたのかなって。
だから、自分は働いていないから、自分のお小遣いについて、親が決めるのは当たり前だと思いこんでたんですよ。
就職してからは、自分で稼いだお金だから、自分で使っていいよねっていうところで自分で考え方を変えて。自分で使っていいよねっていうところから初めて。
あれ、じゃ、今までなんでだったんだろうってなって。
逆に今度はそうすると、職場の管理下になっちゃうじゃないですか。そうするとなんだろう、自分は職場の一部であって、みたいなそういう感覚が出てきて。
その、自分の権利を保障してるのが親から職場になっただけなんですよ、感覚的には。
初めて病院に入って、何も仕事をしていないんだけど、そのいろんな人がケアしてくれたんですよ。そこで初めて、自分には人権があるんだなっていうことを思うようになって、それから何だろう、なんか悩んでる後輩の話を聞いて飯をおごったりとか。

qbc:会社は以前と同じ会社ですか?

しをつ:会社は、同じ会社に戻りました。データの改ざんの話は、自分が入院してるぐらいのころに、公にばれて。是正がかかったんで、仕事はしやすくなりました。

qbc:人生、いつから上向いた感じがしますか?

しをつ:上向いたっていうか、やっと普通になったっていう感じですね。20歳ぐらいから。
アルバイトをして、自分で稼げるようになって、何か人らしい生活ができるようになった感じ。

qbc:しをつさんは、何が好きな人ですか?
旅行好きな人なら、新しい風景に出会うのが好きとか。エンジニアの人なら、秩序が好きとか?

しをつ:あんまり考えたことはないかもしれないですね。
あんまり自分の意思で生きてはないんで、よくわかんないですね。

qbc:人に言えない悩みを抱えた人をサポートしたいということでしたが、それはいつ頃から考えるようになりましたか?

しをつ:高校生の時に、「SCHOOL OF LOCK!」ってラジオ番組があって、その掲示板とかで悩み相談に乗る書き込みをしていました。そういう気持ちは昔からあったと思います。

qbc:なるほど。自分の未来について、もうちょっと聞きたいのですが。結婚して住むならこういう場所とか、趣味の幅を広げたいとか。

しをつ:うん。いやもうなんか、あんまり良い言い方じゃないかもしれないんすけど、とりあえず平和で、それなりにお金があって、ある程度の食事が取れて、ってできればいいなって思うんです。

qbc:高いと思って聞くんですけど、職場での評価は高いですか?

しをつ:自分ですか。どうなんですかね。

qbc:違いますか?

しをつ:そうなのかもしれないですね。自分に自信ないんですよ。

qbc:なるほど。もしもの未来という質問をしていまして。
もしも抑圧的なご両親でなかったら、どういう生き方をしていたかと思います?

しをつ:そうですね。最近、大学生の人と触れ合うことが多くて、RuralLaboさんっていう団体とここ半年ぐらい関わってて、その人たちの姿が、多分そうなのかなって。そういう姿になっていたのかなって。

qbc:RuralLaboの人たちはめっちゃキラキラしてるけど、その中にいて、嫌になったりはしないですか?

しをつ:RuralLaboと関わる人の中でも、本当は抱えている闇の部分を出せてない人は多分いるはずで。
マイナスな事はあまり人に見せたくないから、なるべく良いことを言おうとする。RuralLaboのような前向きな集団にいると、いい意味でポジティブな考え方にはなれるけど、ネガティブな部分は言えない風潮ができてしまうのかな。自分はそういう話を聞ける存在でありたいなと思います。

qbc:そうですね。

しをつ:自分も正直言うと、ちょっとキラキラし損ねてるんですよ。だから、今の方が大学生っぽいことしてて。
今、何か大学生活をやり直してる感じなんです。それが多分一番だと思います。

qbc:人生の楽しさのピークを教えてもらってもいいですか?
今がピークなのかって質問ですけど。

しをつ:今はかなりピークに近いんじゃないですか。

qbc:過去一ですか?

しをつ:はい。普通にお金があって困らないってすごいですよね。とりあえず、あとは少し余ったお金で旅行に行けて、好きな人とご飯に行けて、なんかもうそれだけで多分幸せです。

qbc:最後に言い残したことがあればお願いします。

しをつ:今回お伝えしたかったことは、やっぱり絶対に、平均より下の家庭は必ずあると思うんですよ。
誰かと何か活動をしたいけど、自分は違うからできない。そういうモヤモヤを抱えてる人が必ずいると思っていて。
今できなくても、ちゃんと自立すればできるようになるから、そこはしばらく時間をかけてもいい。
30歳になったから、遊んじゃいけないとか、旅人みたいなことをしちゃいけないわけじゃないから。とにかく何事もタイミングがある。それを伝えたいです。

qbc:ちなみに病気の状態はいかがですか? 通院中?

しをつ:今のところ、そんなにすごい悪くなってないですね。薬は飲んでます。服薬はちょっとしてて。
お酒は絶対に飲まないとか、コーヒーは1日いっぱいまでとか制限はあります。まあ、治るものじゃないんで気長に服薬を続けています。

qbc:寛解ですね。

しをつ:そうですね。

qbc:はい。ありがとうございました。

しをつ:ありがとうございます。

追加質問:地域の活性化とはなんだと思うか?

地域活性化コミュニティRural Laboに参加しているしをつさんに、↑の質問を記述で答えてもらいました!

<パターン1>
その地域に来た人・住む人の人生が豊かになることです!
<パターン2>
地域に来た人&住む人が「この場所が好きだ」と思えること。地域で1日を過ごして楽しかった、充実していた、と思えれば、それが"活性化"だと考えます。
<パターン3>
地域に来た人&住む人が充実した1日を過ごすことが"活性化"だと思います。
私の住む山梨県には3つの国公立大学があります。望んで山梨に進学する人も当然いますが、「第一志望に受からなかった」「私立に行けるお金がない」など、望まない理由で山梨に引っ越す方も多くいます。
最近では「コロナ禍で海外旅行を諦めて、近場の山梨に来た」など、不本意な動機の観光客もいます。
そうした"山梨に来るつもりがなかった人"に、少しでも「山梨にきて良かった」と思って頂き、次は自発的に足を運んでいただく。それが"地域活性化"だと考えています。

あとがき

出発だ、これは出発なんだ。後先考えない、不退転の決意で挑むデパーチャーなんだボンボヤージュ。
空を見ろ、星を見ろ。戦いじゃない、たたき合いじゃない、呂布さんも言ってた、たたえ合いだって。イエスの数を数えよう、ノーの数を減らしていこう。そういうこと。
というわけで、ウソのない人生を送りたいと考えてはいるqbcです。イージーですか? いいえイージーではないです。総スカン喰らって退屈しのぎしてればいいんですけれども。
インタビューをこれまで続けてきて思うのは、人間は他人に自分の何かを伝えたがる(これまた)根源的欲求があるんだろうな、ということ。まえがきで書いた旅する本能があったとして、必須ではないけれども生存を補助する欲求として、自分の会得したものを他人に伝えたい欲求、あるんじゃないのかと。これは、年取った人が年取ってない人に教える社会的な上下関係がなかったとしても起きてると思います。子供だって、自分の知ったことを他人に伝えようとするからねえ。
なんだか人間としての根源的行動について話す回になりましたが、ひとまずなにより次回もお楽しみにね!!!!!

インタビュー担当:qbc

編集協力:のの

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介   #解離性障害   #親離れ

マガジンで過去インタビューも読めますよ!

インタビュー参加募集!



この記事が参加している募集

自己紹介

いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!