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Mac – その後 – そして –

ずっとMacとともにあった

前回の内容「Mac」は、2015年に書いたものです。文章内で1996年にMacをはじめて買ったと記載がありましたから、今年は2024年ですので、約30年程度、様々な機種を乗り換えながら、ずっとMacを使用して生きてきました。

── そしてこの文章は2021年に書いたものです。

文書も映像もWebもその他いろいろとやりましたが、そのMacで最も使用した仕事内容は結論、グラフィックデザインでした。そして、それも身体の不調により公の職業人としては2017年頃に引退を決定して、2020年2月に最後のオーダーを終了いたしました。

そして、すぐに新型コロナウイルス感染症の蔓延という非常事態に世界は突入していきました。

結局、クライアントや関係者に廃業のお伝えしてから約3年ほど、実際の引退までかかってしまったのですが、平成も終わる頃にはほぼ98%くらいの仕事は終えていました。その3年間に覚えた出来事はとても感慨深いものも多く、また気が向いたら後に触れることでしょう。

実は引退したかったのはもっともっと以前からなんですが、やっとの思いで「引退」という言葉を公言した時点から、どんどん「最後」のご依頼が増して、ありがたい一面、もう半面は、人間の恐ろしさのようなものも同時に学ぶ期間でした。

いや、確かに人間ということでもありますが、なんというか需要という呼び名の欲望とでもいいましょうか、もっと焦点を絞るならばそれは、現代までの商業社会の恐ろしさなんだと思います。なにせ「このままでは失明する」とまで説明した上で、最後だからと大量にご依頼をいただくのですから、正直なところ、恐ろしさを感じました。

しかし、まぁ、コロナ禍時代とスレスレですれ違うかのように、ある意味で社会から離れられたとも感じて、対面での打ち合わせなども避けられたこともあり、内心「間に合った」と、実は感じていました。

そして、私は、あくまでも個人的にですが、こう感じています。時代が変わったんだなって。あのまま仕事を続けていたら私はきっとある意味で、そのまま取り残されてしまっていただろうなと感じています。


さよなら Macintosh

ずっとMacと生きてきました。そして2021年の現在、私が思っているのは、私にとってはMacはここまでだなということです。最終はMojaveまでで、Catalina以降はもう別の時代だと感じています。

個人的には、すでにLionかMountain Lionあたりを最後に、Appleは変わり始め、そしてCatalinaでもう戻れない領域まで入ったという感覚を感じています。

あくまでも現在はそう感じているということで、もしもまたあのAppleが蘇ったのなら、すぐMacやAppleのプロダクトを相棒に選ぶと思います。つまりは現在のMacは、名前や形はMacですが、明らかに別のPCだと、私は思っているのです。

後期から晩年のスティーブ・ジョブズは、あのスケルトンのiMacを皮切りに、iPodからiPhone、iPadというハード面のクリエイションに沿って、MacOSX、iTunes、TimeMachine、iCloud、iOS、AppStoreなど、まさに時代を変える、謂わば現在の地球文明を変えるほどのイノベーションを常に提供して、スティーブは地球を去りました。

現在のMacに感じるのは、たぶんSierraあたりまでにスティーブが残した予定やアイデアはほぼ尽くされたのではないかと感じていて、もちろんApple Watchや、車両や総合家電などその他についての、あくまで絵図や夢などのスケッチは他にも多々あるのは確かでしょうけれど、具体的なMacのプロダクトプランに関しては、正直なところ私が思うに、スティーブ・ジョブズ以降は、あれから一切、イノベーションが無くなったと思っています。

つまりは言い換えるなら、創業以前のガレージ時代からあった「Appleである理由」が、あれからのプロダクトには存在しないのです。

もちろん、現在においても、これほどに美しいパーソナルコンピュータは、MacことAppleにしか存在しません。このような発言は多くの方からは否定や嘲笑われてしまうことでしょうけれど、見た目だけの話ではなくて内部やソフト部分までをもその一貫した美の宇宙観があるのです。たぶん一部の方は激しく理解してくれる話だと思います。


会社は続くが製品は一代に限る

しかし、それも現在ではほぼ失いつつあるのを感じます。たぶんですが、現在のCEOであるティム・クック氏はとても優秀な経営者であることは間違いないのですが、簡単に言うときっとクリエイターではないのではないかと思えます。

スティーブの奥底にあった哲学や美と創造の観念も含む芯のクリエイティビティーとも言える部分。きっと、なぜMacやAppleのプロダクトが他と全く異なるApple製品にしかない価値を持っているのかということ自体を、きっと理解できていないのではないかと感じています。

よく『Macはパソコンであってパソコンではなく、MacはMacなんだ」ということを世界中で言われていました。時には「ビジネスやオフィスワークはWindowsで、クリエイトはMac」という概念的な印象が常識ともよべるほど普及していた時期もあったほどです。

まるで陶器の美しさを、表面上だけそっくりに似せて量産して、一部の人から「やっぱり違うね。心がない。」とか言われたりとか、なんていうか、まるでそういう部分なんです。こればかりは、わかるかたにしかわからない。

経営やセールス面でのプロモーションとしては眼に見えるでしょうけれど、なぜMacだけが特別視されて愛されているのかを、深い部分では、きっと現在のAppleでは理解そのものを失っているのかもしれないと思えてしまう。

旧式のiPhoneなどが重くなるようにOSのバージョンアップをした話は世界的に有名になりましたが、スティーブだったら、絶対にやらなかったことでしょう。彼が言っていた製品への愛、やはりソニーでもパナソニックでも同じですが、経営は法人として引き継げても、代表の人間そのものは一代に限るのだと、しみじみと思わせてくれる事柄です。

私としては、職業人としてMacやその他の環境を、周囲に合わせたり、最新を把握するというプロとしての義務(私はそう思っています)を遂行する必要が引退したことにより無くなり、解放されてあらためて世界を見てみたら、もうMacである必要が、残念なのですが現在のAppleのプロダクトからは、必要性がなくなったのです。


I love Mac.

無論、現在でもAppleのプロダクトはどうみてもダントツでトップだと判断しています。また、そのデザイン性や製品自体の美しさもユーザビリティーに関しても、人間的であり自然的であり、その品質へのブランド力のプライドは、WindowsやChromebookにしても、まったく追いつきはしません。

だからこそ、先日もiPadを購入しました。タブレットPCとしては、もうiPad一択です。とてもよい製品ですし、そこには個人的にもすごく思い入れがあるので、それはまた別の機会に掲載するつもりです。それほどに、もちろんAppleブランドは現在も健在であるのは間違いまりません。

しかし、その「品質」つまりは「価値基準」自体が、前述した『時代が変わったんだな』という、私の個人的感覚にとても重要な意味を持っているのです。

今日もまた長くなってしまったので、この辺で終わろうと思っています。今日書いたことは、自分としてはかなり前から書き出したい内容でした。正直、文章としてはとてもひどい完成度だと、書きながらにして感じているのですが、まぁ、これは本当に「書き出したい」内容だったので、品質よりも書き出すことが重要なんです。

本当にですね。Macってすごいんですよ。私のこれまでの期間の中の半生は、まさにMacとともに人生をクリエイトしてきたと思っています。

私もクリエイターで、しかも結構変な人でもあったのですが、“モノ”って生きているんです。性質があって個性があって人格があって、存在として意志や使命や命がある。そのような製品を創れるかどうかって、すごく大切なことなんです。少なくとも私の観念の中では、それが最も大切なんです。

正直、Macはそれができていたんです。宇宙に存在するデザインとして、それができていた稀な貴重なひとつの結晶のようなもの。そしてスティーブ・ジョブズの感性。そういう時代だったんです。

それで、いまの私はとても感じているんです。残念ながら、もう、時代は変わって、もう戻ることはないって。

そして、今後はiPadはもちろんですが、私が今後に選ぶのは… それはまた別のお話にします。


Think different.

あの頃はこのCMにどれほど救われたものだろう。

日本語版です。YouTubeなのでいつまで表示できるかわからないですが、ていうか、もちろん様々な権利上で難しいのかもしれませんが、Appleの公式YouTubeにはかつてのこのCMをはじめあの頃までの時代のは一切あがってないということが、とても印象的でした。

そして、改めてこのCMを見て思うのは、スティーブがいまも居たなら、真っ先に「違う!」これからはもっと違うんだ。もっと先へ進もうって、行ってAppleは、現状とは全く違うプロダクトに進んでいたと思います。

私もあの頃は「反逆者」のつもりでいた。だけど、もういい歳になったのだ。次の時代のために踏み出そう。今の子供達のためにも。

Macとともに生きてきて、I love Mac. とても愛しています。
ありがとう。多くのことを感じさせてくれたし、生かせていただいた。
もちろんまだまだ! 最後の寿命まで一緒にいます。

20210305





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