見出し画像

【小説】弥勒奇譚 第六話

翌日も早くから朝市の呼び声で大賑わいの街を抜け、少し奥まった大御輪寺まで来ると人もまばらになり先ほどまでの雑踏が嘘のようであった。
すでに朝の勤めは終わったらしくすぐに本堂に通された。誰も居なくなり底冷えのする本堂を内陣まで進むと、巨大な本堂には似つかわしくない小ぶりの厨子が奉られていた。
案内の僧が灯明を点けると厨子の見事な装飾の中に本尊が照らし出された。
本尊は天平の十一面観音菩薩立像で脇侍に地蔵菩薩と不動明王が配されたとても珍しい三尊となっていた。噂ではここの十一面観音像は普賢寺大御堂の観音像にとても良く似ていると言われていてそれも足を運んだ理由の一つであった。
灯明に浮かんだお姿を見ると確かに法量や衣文の流れなどは普賢寺像と瓜二つと言えそうだが、全躯から受ける印象は全く違っていた。明るく溌剌とした普賢寺像と比べて大御輪寺像は陰鬱かつ重厚な印象でやはり神の山に相応しい存在感がある。
そのお顔やお姿は仏像と言うより、何事も見通し過ちを一切許さない威厳と崇高さまで兼ね備えた神の化身のようであった。
弥勒にとっては今回の仕事の手本になるとすれば大御輪寺像の方がしっくり来るように感じていた。手本とすべく許しを請うてお姿を描き写した。

大神神社の参道を抜けまた山の辺の道を南に下る。
少し遠回りとなるが風もなく暖かな陽気にも誘われ飛鳥の山田寺に寄ることにした。加波多寺、薬師寺と来たからにはやはり山田寺に寄ってこの二躯の先駆けとなった薬師如来像を拝観したくなったのである。
左に行けば伊勢松坂への道だが真っ直ぐ飛鳥の方へ進み、右手に天香久山を眺めつつしばらくすると山田寺の五重塔が見えてきた。
中門をくぐるといきなり正面に五重塔が聳えていて金堂は塔の裏にある。
金堂内陣の薬師三尊は薬師寺と全く同じ形式で中尊は坐像で脇侍は立像である。
加波多寺像、薬師寺像、山田寺像とも金銅で鋳造した坐像で法量もほぼ同じだ。その中でも山田寺像が一番古い時代に造像されている。にもかかわらず山田寺像が最も若々しく溌剌としたお顔をされていた。
赤子のようなはちきれんばかりの頬とは対照的に、高僧のように知性までも感じさせる涼しげな目元や眉弓が違和感なく表現されているのに弥勒は驚きを隠せなかった。でもやはり明るいのだ、弥勒が見たかったのは威厳と重みがあり見ていて息の詰まるような存在感のある表現なのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?