【学習心理学】子どもが勉強しない理由とその向き合い方
皆様こんにちは。
幼いころから勉強がめんどくさくて仕方ない…
モミでございます(´・ω・`)
皆様は勉強しない子どもには何と言ってしつけていますか?
「勉強しないと将来大変なことになるぞ」と脅してみたり、「勉強は楽しい」といってみたり、「いい学校・いい会社に入るために勉強しなさい」と現実を見せたり、ご家庭の教育方針は様々かと思います
ですが、たいていの子どもは勉強しません
何故なのでしょうか?
今回はそんなお話です
どうせできない
皆様が幼い頃を思い浮かべてみてください
何かボタンがあったら押してみたくなりませんでしたか?
そして押してみたら大惨事… 両親にこっぴどく怒られた…
そんな事があったのではないでしょうか
そんな経験をすると子どもは学習するのです
「ボタンを押したらどうせ大変なことになるから押さないでおこう」と。
勉強をしない子ども達も同様の心理を抱えています
「ボタンを押したら失敗するからやめとこう」と思うように、「勉強したってどうせできないのだからやらない方がいい」と考えているのです
心理学では学習性無力感と言います。
いくら頑張っても、いくら興味があっても、勉強したって何にもいいことがない。むしろわからないことだらけでムズムズとした不愉快さを感じる
そんな思いをするくらいなら、勉強なんてしたくない。したって意味がないと感じているのが、勉強しない子ども達の心理ではないでしょうか?
嫌なことから逃れたい
「どうせできない」という理由以外に、「勉強すると嫌なことが起きるからやらない」というのも考えられます
ここでは条件性恐怖という心理学の理論をご紹介します
条件性恐怖とは、もともと行動を起こす効力がない中性刺激を、嫌悪刺激と連合させると、中性刺激が条件刺激となり行動を起こす要因になるというものです。
このことを証明した実験があります
ネズミに対して、電撃に先立って音や光を呈示(条件刺激)させておくと、この条件刺激を停止させる行動が学習される。電撃と対呈示された環境刺激(音や光)が、本来は電撃で誘発されるすくみ反応(身構えること)を誘発するようになるのです
これは、何でもないはずの音や光という刺激を、ネズミが「電撃が来る!」と身構えたり、音や光が出ないように試行錯誤しだすという事です
勉強をしない子どもに話を戻します
勉強という中性刺激と、「怒られる」「馬鹿にされる」という嫌悪刺激があり、この「怒られる」「馬鹿にされる」という刺激を避けるため、勉強をしなくなるというのが考えられています
これは回避反応とよばれており、「どうせできない」という学習性無力感とは少し違います
「どうせできないからやらない」というより、「嫌なことが起きるからやらない」なので、いくら勉強しろと言ってもやらないのです
勉強しない子どもと向き合う
多くの親御さんは、子どもにはぜひとも勉強してもらいたいですよね
ということで、勉強しない子どもに対してどのように向き合えばいいか、私なりに考えてみました。
ご参考になればと思います
➀勉強しても「嫌なことはない」と教える
先ほど、「勉強したら嫌なことが起きるからやらない」ってお話をしました
多くの場合、「勉強して起きる嫌なこと」というのは教える立場である親や教師には理解しがたいものです
「ガチってる姿はダサい」「勉強してるとみんなと遊べない」など様々です
そんなところで「いいから勉強しろ」とか「将来どうするんだ」なんて言われても、子どもとしては「いや知らねぇよ」ってなるんじゃないでしょうか?
大切なのは、「勉強を頑張る姿はカッコいい」「勉強した方がむしろいろんな人と出会い、遊べる」という、国数英理社ではない勉強を教えるべきだと思います
➁勉強したら楽しいことが待ってるとわからせる
これは私自身、家庭教師のバイトで取り入れている方法です
勉強は大嫌いでしょうし、言って聞かせても「どうせできない」の壁にぶち当たるのは目に見えています
なので、「勉強したらこんなことができるよ」と教えるようにしてます
具体的には「雑談」と「脱線話」です
国語の読解問題は、問題になってる文章をあらかじめ読んでおいて、その内容と関連する豆知識を教えています
数学の方程式は、「これ考えた人ってすごくない?」と言いつつ歴史の勉強も含めて豆知識程度に話します(割と興味を持ってくれました)
英語に関しては、語源をたどって意味を解説して一緒に盛り上がっています
漢字の勉強に至っては、漢字の部首の問題→漢字の成り立ち→自分たちで漢字を創作するということもやってます
こんなかんじで、「勉強=遊び」「教科書=おもちゃ」として家庭教師をしております
継続的に実践するには毎日の勉強が必要ですが、新しいユニークな発見もあるので教える側も楽しくやれます
勉強できない子どもや、勉強せず遊んでる子どもを叱るばかりではなく、教科書をおもちゃのように扱って一緒に勉強していれば、子どもはいつか一緒に遊んで(勉強して)くれます