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心に残ったゲーム 厳選記事集

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2020年11月6日~12月4日にかけて、noteとUnity Japanで実施したお題企画「#心に残ったゲーム」において、選者であるUnity Japanが厳選した記事集です。…
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#ゲーム

ゼノブレイドで再構築

今までたくさんのゲームを楽しんできたし思い出に残るゲームだってたくさんあるけれど、多分これからも一番心に残り続けるゲームは「ゼノブレイド」だとおもう。 まだ小さかった子が寝た後、21時~25時くらいまでの自由時間をゲームの時間にしていた時期にずーっとやっていたゼノブレイド。見えている場所にはどこでも行けるし、崖からだって飛び降りられる(ただし生きてはいない)死んでもすぐにその場からやり直せるのでストレスフリー。ゼルダの伝説(ブレワイ)がまだ出ていなかった時期なので、ものすご

僕の師匠はナポレオン。ポトリス

僕が初めてやったオンライン対戦ゲームには、師匠がいた。 巧みな戦略と、豊富な知識。おまけにチャットでの落ち着いた振る舞い。 僕は彼を、尊敬の念を込めて『師匠』と呼んでいた。 大学生の頃に、初めてインターネットに触れた。当時、使っていたOSはWindows Millennium。20世紀最後の記念にとつけられた名前だ。 その時に、オンラインゲームを知り、ネット上で見知らぬ方と対戦が出来るというものが流行っているという話を聞いて、僕もやりたくなった。しかし、数ある中で、どの

フリーキックは言語の壁を超えた

たまにはお題に挑戦ということで、「#心に残ったゲーム」についてお話します。 ホームステイした時の話です。 ホームステイと不安僕の高校は、少し変わっていて修学旅行がオーストラリアへのホームステイだった。 僕は高校に入ってから英語の成績が3で全然喋れなかったので、不安しかなくて行きたくなかったけどついにその日が来てしまった。 最悪なスタートと洗礼成田からシドニーへはもちろん飛行機。 飛び立つやいなや、最悪なことに乗り物酔いをしてしまい地獄の10時間を過ごした。 なんとか

ワンダと巨像

コロナが始まり、10年ぶり位にゲームをしました。 『ワンダと巨像』というゲームです。 それを語る前に私のゲーマー人生を記しておきます。人生で一番のめり込んだゲームはゼルダの伝説シリーズ五作目、『時のオカリナ』。元来裕福な家庭では無かったので一つのゲームを兎に角遊び倒す、というのが常になっていました。最初は回復縛り、武器縛り、利き手縛りとドMプレイを楽しんでいたのですが、最後にはノートとストップウォッチを手に最速クリアを目標に周回プレイに勤しみました(今ではそれをRTAと言う

鳳凰鏡をPS4にセットするために

弟は、私の質問に「知らん」としか答えない。 ある日学校から帰ってくると、一足先に保育園から帰宅していた弟が、ソファに寝そべりながら見慣れないコントローラーを握っていた。 テレビゲームだ。我が家に初めてゲーム機が来た。びっくりした。 聞きたいことが山ほどある。何から聞いたら良いだろう。興奮冷めやらぬ私は、ランドセルを背負ったまま「ぬーそーがや(何してんの)?」と弟に聞いた。しかし返ってきた答えは「知らん」だった。 「知らん」はないだろう。今ゲームを操作しているアンタが1

ずっと心にセーブしてある、大切なゲームとの出会い

僕がこのゲームに出会ったのは、8歳の時だった。 従兄弟がやっているのを隣で見てて、これ面白そう!やってみたい!と思い、親にねだって買ってもらったのを覚えてる。 ワクワクしながら始めてみると、 個性的で魅力あふれるキャラクターたち、 ゆったりとした魔法世界の雰囲気ながらも、どこか切なさを感じられるフィールドや街のBGM、 16種類(多!)の属性による精霊コンボバトル、 等、気づけば僕はこのゲームの虜になっていた。 「心に残ったゲーム」ということで、僕はゲーム内の「

ゲーム運営の対応の違いは、モチベーションに大きく関係すると思った出来事

どんなことでも気持ちの良い対応をしてもらえたら、モチベーションが上がるというか頑張ろうという気持ちになるもの。 その中でも、今回伝えたいのはゲーム運営の対応の違いについて。 ゲームには不具合や改善がつきもの私は、毎日スマホのゲームを4つぐらい継続してやっているスマホ廃ゲーマーなので、思ったことがあります。(スタミナを消費するのに必死です。) ゲームをしていると、ゲーム内の不具合や改善してほしいところって、ちょいちょい出てくるんですよ。 カクカク動くとか、ゲーム内の文字

ヴァナ・ディールの思い出 続く世界の旅の終わりに

2003年、夏。 その年は記録的な冷夏で、やけに涼しかったことを今でもよく覚えている。中学3年生だった僕はその日、中学校の最後の部活の大会で負けた。3年生だったから、引退して高校受験の勉強に向かうことが決まった日だった。正直部活ばかりやっていたから、その日から学校が終わったら帰っていいと言われても何をして良いかわからず、手持ち無沙汰で母親に怒られながら毎日テレビばかり見ていた。そんなある日ふと目に映ったのが、ファイナルファンタジー11のCMである。 思い出した。 ゲーム

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父とプレイステーションとドクターマリオ

料理を作りまくったら、ゲームの苦手意識が減った話

私はボタンをたくさん使うゲームが苦手だ。 ボタンがどこにあるのか、コントローラーを見ないと分からない。見ないままプレイすると混乱し、キャラクターを無駄死にさせてしまう。ごめん…。 一方、夫はゲームが得意。ゲーム歴はかれこれ30年近い。 コントローラーで親指だけじゃなくて、人差し指も中指も使うなんてウソやん…え?…ウソやん…と思いながらゲームプレイを見ている。 夫とゲームする日は何度もあったが、使用するボタンが多すぎて私には難しい。使うのは方向キー、ボタン2〜3つで精一

僕は新大陸で狩友を失った

僕にはモンスターハンター:クロスの頃から馴染み深い狩友が3人いた。  狩友、そう狩友だ。モンスターハンターシリーズの公式が、モンスターハンターを一緒にプレイして遊ぶ友達のことをそう呼んだのが一般的に広まった言葉だ。  別に僕たち4人で狩猟の速さ(タイムアタック)に挑むような高度な狩猟をしていたわけじゃない。それどころか、2017年3月下旬に発売された続編(モンスターハンター:ダブルクロス)のやりこみコンテンツである『二つ名モンスター』の狩猟を4ヶ月経っても完遂していないよ

満点を取るまで絶対に次に進まない~ヨッシーアイランド~

年上の従兄弟の家にはファミコンがあった。 私がまだ幼稚園の頃、従兄弟の家に遊びに行く時は姉や従兄弟と共にファミコンをやっていた。 クニオくんと風雲たけし城だったと思う。 多分マリオのソフトもあったけど 私はクニオくんや風雲たけし城が好きで マリオをやった記憶はあまりない。     だから私が初めてしっかりとマリオを意識したのは スーパーマリオワールドである。 私が小学校に入学した頃、スーパーファミコンという画期的なハードが発売された。 CMで見る限り、映像は非常に鮮明で

僕らを繋ぎ合わせたもの

 二十世紀最後の十二月二十四日、当時小学生だった僕がクリスマスプレゼントとして両親にねだったもの。それは「RPGツクール4」であった。  RPGツクール4とは平成十二年十二月七日にエンターブレインから発売された、ツクールシリーズの四作目に当たる作品であり、その名のとおりロールプレイングゲームを作ることをコンセプトとした初代プレステ用ソフトである。  ゲーム雑誌 (おそらくファミ通であろう) でこの作品の存在を知った僕は、ページに穴が空くのではないかというくらい特集記事を凝

14歳と巡った18年間の旅〜裏路地が気になる心に残ったゲーム〜

※若干のネタバレを含みますので、ご注意ください。 「心に残ったゲーム」というお題が出ていたので、へたくそだけどゲーム好きな僕からすれば、 「これは書かなきゃ!」というテーマだった。 僕がこれまでに最も心に残ったゲームは【キングダムハーツ】シリーズ。 僕をゲームの世界へと導いてくれた、そしてリアルな世界の中で旅行好き、1人旅好きへの入り口となったのが、このキングダムハーツというゲームだ。 親戚がキングダムハーツをやっていたのがきっかけで、7歳の時にプレイステー