論理と書いてメンドクサイと読む
こんにちは、ハムアンです!🐨
さて、今日も「論理」について考えてみたいと思います。
結論は前向きに「論理ってやっぱり面倒くさい奴」に行き着くので、もしご関心ありましたら、ぜひお付き合いくださいませ!
一応、前回の記事の続きものという体裁ですので、よろしければこちらもᓷᴑ᷄ᴥᴑ᷅ᓸ
ʕ ·ᴥ·ʔ 13個のリンゴを3人で公平に分ける
今日のテーマは、たまにSNSのショート動画なんかで「これが●秒で解けたらあなたも天才!」のようなサムネで流れてくる「13個の🍎を3人で公平に分けるには」を題材に考えてみたいと思います。
実は、私はこの手の問題が苦手というか…好きではありません。
なぜなら、私は、頭ガチガチの理屈人間だからです…( ; ; )
この性質は、仕事上ではギリギリ利することも多いですが、理屈が過ぎると自分の首を絞めることも少なくなく…。
だからこそ、私の武器で有り、呪いである「論理」について理解を深めて、もう少し仲良くなりたく、こうした記事を書いている次第です。
さて、話を逸らしてしまいましたが、今一度問いに戻ってみると、これはいわゆる「ラテラルシンキング(Lateral Thinking)」の導入に使用されるもので、「ロジカルシンキング(Logical Thinking)」と相対するものとして扱われることが多いものです。
■ラテラルシンキング(Lateral Thinking):水平思考
既存の枠組みや常識にとらわれず、新しい視点やアプローチを探る発散的思考法。思考の入り口を広げるイメージ。
■ロジカルシンキング(Logical Thinking:論理的思考
問題を論理的に分解し、体系的に解決策を導き出すことを目指す思考法。思考を鋭く尖らせていくイメージ。
ʕ ·ᴥ·ʔ で、その答えは?
先にネタばれしてしまうと、この「13個のリンゴを3人で分ける」問題は、そもそも答えなんてありません。
自由に発想したものが「答え」で良い、という性質のものです。
なので、
といった具合で色々な回答が出てくるわけですが、そういうトレーニングをするための問いです。そのため、トンチクイズ的に扱われて、「ジュースにするという発想が出てくるなんて、天才肌!」のように、(インプ稼ぎ的に)紹介している方もいらっしゃったりしますね。
ʕ ·ᴥ·ʔ 論理の天敵
前回、「論理」は、環境や前提条件(常識やトレンド)によって、変わり得るものである、と書きました。
では、この問題の環境や条件はどうだろう…と考え始めてみると、………。。。
「公平に」ということしか条件が与えられていません。
りんごの各々のサイズは? 分けるための手段は?
これがもしどこかの入社試験の問題であったならば、その企業の企業理念やビジネスモデルに沿って考える、あるいは、社内研修であったら、自分の仕事領域内で考えてみる…など、ある程度根拠のある推論で意思をもって進めることもできます。
しかし、出題背景不明、出題者に確認することもできない状況では、そのまま「論理」的に思考を進めることはできません。
これは、まさに「論理」の天敵。変わるも何も、そもそも条件設定がなく、分析もできない中では、どんな思考も後付けで条件を自分で設定してしまえば、ほぼなんでも「論理的」になってしまいます。
ちなみに、かくいう頭が超合金の私は、上記の回答例の中の「4個ずつ3人で分けて、残り1個を3等分して分ける」でした…。「公平に」をどう捉えるかですが、現実的に3者にとって納得性の高い範疇で、かつ、工数が少ない(リンゴへのダメージも少ない)方法として考えた回答です。
この場合、まずもって3者が素直な方々で、「りんごは不均一で、ある程度個体差があるもの」という流通概念を、そのまま許容してくれる前提条件を勝手に付しております。
別の方の回答をみると、最後の1個をカットする人は、3者でじゃんけんで選定するや、3者で選んだ別の人にカットしてもらって文句を言わない誓約をする…などと、さらに細かく条件設定されている方もいらっしゃいます。
また、天才肌のお手本回答「ジュースにする」も、「りんご」の状態変化が許容されているという条件を勝手に付してしまえば、「確かに、なるほど」と思います。
共通の前提や条件設定がない場合、回答手法の粒度の差はあれ、どれも間違いではありません。
ʕ´•ᴥ•`ʔ 論理ってやっぱり面倒くさい奴
この流れでみていくと、また一つ「論理」というものの性質がわかる気がします。
共通する前提や条件が設定されておらず、それ以上分析して特定することができない場合は、「論理」にとっては無法地帯であり、主観や感情が根拠になって、すべて大体「論理」として押し通すことができてしまいます。
(逆に、仮にもう少し前提条件がついていれば、それらの一部は「詭弁」となります。)
ビジネスの場においては、ここまで前提や条件(課題の原因となる要因)がない状態での「議論」は、そうそう無いとは思います。ビジネスの場、という時点でそれも一つの暗黙の前提条件なので、「自由に発想して良い」という打ち消す条件がついてない限り、通常は社内の自分の立場・役割で答えることが暗に期待される訳ですから。
つまり、「論理」は、提示する問題・課題に対して、前提や条件をできる限り明確にしておく必要があるということですね。
ビジネスにおいては、その前提や条件をより客観的・現実的に捉えれるために、やはり「数値」(胡散臭い言葉で言えば「エビデンス」)は一定必要不可欠です。
うん、論理は、本当、面倒な奴です。
この子が登場したら、覚悟しましょう。手間のかかる子なんです。
このあたり、言われれば当たり前なことではあるのですが、「論理的思考」やら「ロジカルシンキング」やら…という言葉が先行して一人歩きしてしまっていて、大事な前提条件を理解せぬまま、いきなり型式の思考プロセスに入り、「論理的な人」を演じている方が社内外に意外と多い気が…しなくもありません。(私もその演者の一人なので偉そうなことは言えませんが)
ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございます!
コメントや質問があれば、ぜひぜひお寄せください!励みになります。
それでは、また次回!🐨
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