おともともこ

わたしとわたしのまわりの話を書いています。 勢ではじめてしまったので、読みづらいです。…

おともともこ

わたしとわたしのまわりの話を書いています。 勢ではじめてしまったので、読みづらいです。 文才ないので、まー読みづらいです。 昔の口癖は「なにかいいことないかな」でした。 今は「推し、最高だな」です。 めまいがでるので2000文字以下しかうてません。 よろしくおねがいします。

最近の記事

父からのごれんらく。(父の話。)

数日前に妹から連絡がきまして。 「あたし、今すっごく機嫌が悪くて声ひっくいけど別におねんのことを怒ってるとかそういうわけじゃないから!」 とだいぶのお怒りでした。もう怒ってる。怒ってらっしゃる。 「おとんから電話があってさ。」 なに!? もしかしたらもうこの世にはいないかも!って毎日思っていたおとんから電話ですって? あ。こちらの内容詳しくはこちらにかいてありますので、よろしければ。 「なんかさ。もうそんなに離せないみたいでさ。最初はオトンが話をしてたんだけど、途

    • 病院。(かあかの認知症のはなし。)

      前回のオムライス事件のことがきっかけで、かあかを病院へ連れて行こうという 話になりました。 まずは、病院探し。近所からせめていったけれどなし。 そもそもどこに行けばいいかわからない。 総合病院へ電話をして聞いてみても、 「脳神経外来へ」 「いや、心療内科があるところに。」 とたらい回し。 仕方がないので、地元はあきらめ都内で探すと逆にたくさん でてきました。 わたしたちが選んだのは、評判がよい「物忘れ外来」です。 さて。ここからが大変。 この時点の母はまだ半分くら

      • 実家がなくなった日のはなし。

        みなさん、ご実家ありますか? わたしはそもそも田舎というものがありませんでした。 いや。厳密にお伝えすると多分ある。母の実家が茨城県だったので、 きっとそこが田舎でしょう。しかし、わたしの理想の田舎というものはありませんでした。わたしが中学生のころ、母の母、わたしのおばあちゃんが亡くなったため、それ以来お墓参りでは茨城に行くけれど、それ以外で行くことはなくなりました。 同級生の夏休み恒例「田舎に行って〜」「おばあちゃんとおじいちゃんにおこづかいもらった〜」は耳に入ることさせ

        • オムライス。(かあかの認知症のはなし)

          自分が認知症だってことに母はいつ頃気がついたのかな。 とふと思ったついさっき。 わたしたちがこれはもうちょっとやばいかもしれぬ。と思ったのは 「オムライス」でした。 かあかのつくってくれるご飯はどれも美味しかった。 料理が嫌いと言いながら、ご飯とても美味しかったんです。 手のこんだご飯とかよくつくってくれたし、仕事をしていたわたしにしたら とても助かっていました。 高校へ行っていた長女のお弁当もほとんどかあかが作ってくれていて。 わたしは働いていればよかった。 母子

        父からのごれんらく。(父の話。)

          離婚しない。

          うちは離婚家系です。 みんなことごとく離婚をしているわけですが。 父の方の親戚関係は会ったこともなければ、教えてもらったこともないので 正直どうなのかはわかりません。 ただ、母の家系はほとんど離婚しています。 長女:離婚 次女:死別 かあか:離婚 4番目:離婚 5番目:離婚 6番目:離婚 7番目:消息不明 って多いな兄弟。 そしてわたしも妹もめでたく離婚しております。 「わたしは絶対に離婚しないわ!」 とここで大きな目標をたてた我が家の長女。 歴代の因縁のよう

          離婚しない。

          そろそろ、おもいだそうかな。

          noteを始めてから、朝起きて白湯を飲むことが習慣になりました。 今までも、白湯チャレンジは勝手にしてきたけれど、なぜか毎回 途中で止まる。いや、忘れる?とにもかくにも毎日ではなく どうしてもときたまになっておりました。 ここ数日はちゃんと毎日白湯飲めてます。 ありがとうnote。 さて。 昨日、スマホの写真をみていました。 わたしは推しがおりますので、毎日のようにスマホの壁紙を変えるんです。 ちょっと前までは、スマホの壁紙ってホーム画面1枚、ロック画面1枚、 計2枚

          そろそろ、おもいだそうかな。

          おもえばむかしから。

          おもえば昔から。 自分の髪の毛のために都内へまででかけるということは なかったかもしれません。 中学生の時は自分だったり、母の行きつけの小さなマルチーズがいつも出迎えてくれる(これ聞くとほっこりな美容室をご想像されるかもしれませんが、決して違います。このマルチーズくんは毎回すごい剣幕でわたしに噛みついてきていました。ずっとどうにかしてくれよ飼い主さんと思っていました。)そんな美容室へ行っていたし、高校生の時は都内某有名な(今も若い子は結構行ってるんじゃないかな)ところからこ

          おもえばむかしから。

          おそろ。

          髪の色が金色です。 細かく言いますと、白に近い金。 そう。金髪。 今までのnoteを一回でも読んでいただけた方はお分かりになると思いますが、 おばさんという年齢です。ちなみに頭の中は10代くらいです。アホです。 髪の毛を初めて染めたのは、たぶん中学生の頃。 「ホットロード」が流行っていた頃。 周りの女子がほとんど「春山はわたしの彼氏だ」と言っていた頃。 和希になりたいと母の行きつけの美容院へ連れて行ってもらい、 どんぐりみたいな髪型になったことが今では良い思い出。悲

          おこづかい。

          おこづかいはありましたか? わたしの家はおこづかいというものはありませんでした。 何かを買いたい時、母へ直接プレゼンをして案が通れば お金をゲットできる仕組み。 子どもの頃はほしいものがたくさんあった。 今もそうだけど、なんだか昔ほしかったものは今よりたくさんあったような気がする。 まずはキン消し。知っている人は知っている、キャラクターの形をした なんならほとんど消しゴムとして機能していなかった(たぶん)物体です。 キャラクターがたくさんあったのでとにかく全てほしかった。

          おこづかい。

          似ているか否か。

          昨夜、子どたちが自分の顔のパーツについて話をしていた。 誰に似たのかどうか。 わたしの目は誰だ、口は誰?といった感じで。 わたしはそれぞれに正直に答えていた。 離婚はしているけれど、別にだんなさんだった人の話は我が家ではタブーではない。 むしろ頻繁にでてくる。いい話ででてくるわけではないが、悪い話ででてくるわけでもない。普通にぬるっとでてくる。 「次女の目はぱぱの妹に似てるから、ぱぱの方かな。」 「そっか、ぱぱ妹美人だもんね。」 「長女の目はわたしの妹に似てるからマ

          似ているか否か。

          忘れてた。わたしの話。

          父と母の話は一部だけふれてnoteを書きましたが、 最初って自己紹介しなくちゃいけなかったのかな。 勢いで書いていますので、いろんなところへ話がぶっ飛んでしまっていると思います。これからも。ごめんなさいませ。 わたし。 個性的な顔面になりたかったけど、瓜に似ている母親と欽ちゃんに似た父から生まれてしまったため、美人でもなく、かわいくもなく、なぜか20代までは一重だったのに歳をとったらくっきり二重になってしまった人間です。 青春時代に二重になりたかったです。神様のいじわる

          忘れてた。わたしの話。

          母親の話。

          母は今施設にいます。 数年前に認知症になりました。 60代後半で発症したので若年性にはいるそう。 母の人生とは一体なんだったのかとよく考えました。 母からしたら余計なお世話です。 人生がよかったか悪かったかなんて自分以外の人間に決めてほしくないだろう。 わかってはいますがやっぱり何度か考えてしまいました。 というわけで数年、介護というものを経験したのですが なんだろう。 介護だけなのかな。 子育てもそうかもしれないけれど。 辛いからと周りに相談しても、どうしても笑い話にな

          誕生日のはなし。

          むかしの記憶にある自分の誕生日の思い出は、 ピンクのラジカセ。だった。 あとはもう何も覚えておらず。 親には大変申し訳ないのだけれど(特に母)本当にごめんなさい。 覚えていません。 ラジカセって単語だけで年齢バレるけどいたしかたない。 わたしが小学校何年生の時だったか、父がラジカセをプレゼントしてくれた。 ずっとほしいとねだっていたのだと思う。きっとそう。ねだっていた記憶はないのだけれど。 それはかなりコンパクトで、でもとてもかわいかった。 わたしはたいそう喜んでまんべん

          誕生日のはなし。

          わたしとわたしのまわりの話。

          noteをはじめるにあたり。 わたしは文章を書くことが苦手ですが好きです。 何年か前。なんなら結構前に「ブログ」なるものがこの世にあらわれたとき、 やってみたい!と思いすぐに挑戦。すぐに挫折。書きたいことはあるけれど まず綺麗に書けない。周りの人のようにおもしろくも書けない。イコール才能なし。と自分で勝手に思い、悩み、でもきっとそんなにもがんばらず今日まで生きてきてしまいました。 昨年の12月末日。 もうすぐ死んでしまうと実の父から直接長野に住む妹に電話がきました。 肺

          わたしとわたしのまわりの話。