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悲劇のヒロイン症候群の毒母は不幸な人妻で居続ける

悲劇のヒロイン症候群の毒母は子どもを常に『可哀想な子』として育てる

その子が
『私は可哀想じゃない』と主張すると
『可哀想な子』にならない我が子を
頭の悪い子扱いする

この毒母の処世術は悲劇のヒロイン症候群なので
・他者の同情心を煽って
・他者に寄生して生きる
そして、それが賢い生き方で
その考えは正しいと思い込んでいる
その賢い生き方が理解できない我が子は愚か者扱いする。
自立する我が子を良しとせず、依存する我が子を良しとする。
そもそも自立を知らない、自立したことがない人生を歩んできてる人に多い。
この毒母は、世の中で賢く生きるためには、弱者や被害者を演じて周りの優しさを利用し、生きるのが賢さだと教える。
他にも人間関係さえよくしておけばいい等、人に媚びて生きていくことを正解だと教える母もいる。そのような母は往々にして夫に寄生しながら生きてる人が多い。その自分の生き方が正解だと子どもに教える。

悲劇のヒロイン症候群は悲劇のヒロインでいるために不義の夫を必要とする。悲劇から救ってくれる正義の夫ではなく、悲劇の設定を創り出してくれる悪い夫を必要とする。
悪い夫がいてくれることで、悲劇であったとしてもヒロインでいられる。
この人の切り抜きワードは『ヒロインかヒロイン以外か』である。
健全な関係性で話題性のない普通の自分より、不健全であっても話題性十分な注目を集める自分で居続けたいのだ。
そのためには、自分を不幸にする悪い夫が必要なのだ。
不幸な人妻の心の闇なのだ。
引き寄せの法則は何も幸福だけに存在する法則ではない。
不幸も引き寄せる法則があり、それはその人の心に存在するのだ。

人は自分の価値観で人と関わる
『夫に殴られる』と聞けば
・可哀想と思う人もいれば
・大変そうと思う人もいる
・自分はそうじゃないからよかったと思う人もいる
でも、この悲劇のヒロイン症候群の人自身は
夫に殴られる可哀想な私を見て。と、思ってる。
殴られたという状況や状態ではなく、殴られた私を見てと思ってる。
このとんでもない状況を解決しようとか、助けを求めようとか、逃げよう等思うのではなく、この劇的でショッキングな話題性ある『殴られた私』を見てと思っているのである。

悲劇のヒロイン症候群の人が期待している相手の反応は
『頑張ってるね。』とか『辛くない?』とかである。
決して
『その酷くない?』など自分以外の人の話題ではない。
あくまでも、『私』が主語の声掛けを期待しているのである。

自分の話題に他人の過剰な関心・注目・興味・反応を欲して、それを得られる快感がやめられず、また不幸な毎日を送り続けるのが悲劇のヒロイン症候群だ。不幸を止められないのだ。

幼少期に愛情を得られなかった人にいます。
推察するに、自分が理想とする『特別な何か』があれば自分を見てもらえると思い込んでる。
若い時には、特別な何かを追い求めたが、年を重ね、特別な何かを得られないことを知る。でもヒロインを諦められず、可哀想を演じて、話題性のある自分(ヒロイン)で居続けようとする。どんな手段でもよいから目立ちたくて、注目と関心を集めたくて、自分の存在意義を感じたくて、存在価値を知らしめたくて、その欲求が自分を駆り立てるので手段を選ばない思考になってるのだと思われる。
自分の存在を貶めてまでも『人に見てほしい』という願望を成就しようとする。
程度の差はあれど、人妻に多いです。奥底の心理に触れないと見えない闇なので、表面上の関わりではわからないと思います。感がいい人だと会話しただけで気づくかも。
心の闇が深いので慢性的な体調不良を抱えてたりします。

悲劇のヒロインという被害者設定が手放せないので、被害者になってもその立場に居続けますし、トラブルを解決しようとしません。
問題が解決してしまったら、悲劇のヒロインでいられなくなるので。

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