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インドの物乞いについて考える



絶世の美女


インド映画を観ていると「インドの女性はえらい美人だなぁ」と思う。ところがこれはインドに限ったことではないが、女優だから美人なのだ。実際のインドであのような美人が道を歩いていることはない――。
そう思っていた。だからだろうか、それとも若いころ水商売で培ってきた美人レーダーが錆びついてきたのだろうか、前から歩いてくる女性に「なんだこの美女は……インドにこんな美女がいるのか……」と思わず見入ったが、それが女優だとは気がつかなかった。ふと前を見ると撮影クルーのような集団がいる。……納得、どうりですごい美人なわけだ! 少し前を歩いていた友人と合流すると「すごい美人だったね」と友人は当然同じ感想を口にした。本当に映画の中でしか見たことのないほどの美女だった。改めてインドの血の優秀さを知った。


物乞いについて考える

インドは物乞いの数も尋常じゃない。道端に座って手を出しているもの。器を持って歩き回るもの。子供を抱いて食べもの代やミルク代をせがむもの……。子供が「10ルピース」とお金をせびる。足のない人が路上を這う。
施しの文化があるようなことを昔聞いた気もするが、現実はあまりにもこういう人が多いせいか、よその国より物乞いの人に対して厳しいように見える。地元の人も旅行者も、あまりお金を置いていく人を見かけない。数が多すぎるからだろうか、そう見えるのは。
わたしも滅多にお金を置いていくことはない。物乞いの人たちはよく、口に手をやり「食べるものがないんだ」というようなジェスチャーをする。それを見ると、お金ではなく何か食べものをあげたほうがいいのではないかと思う。しかし、実際一食分を出そうと思ったらもっとまとまったお金を出す必要がある。お金を置くことに抵抗があって食事を提供しようと思ってもそれはそれで……ということになる。
インドに限らず子供の物乞いもたくさんいる。子供に関してはお金をあげる気にはなれない。以前どこかの国で、その得たお金で薬物を買うと聞いたことがあるからだ。食べものを与えるつもりでお金を出しても薬物に使われては堪らない。また、子供が物乞いしていても実はその元締めがいて、大人が子供に物乞いをさせているという話を聞いたこともある。だから子供にお金は渡せない。それなら食べものをあげたいと思うだろう。
わたしが初めてインドに来たとき、そういう子供がたくさんいて、わたしは最初飴玉をたくさん買って子供たちにあげていた。しかしこれも底がないと言うか、ひとりにあげると鳩のように次から次へとやってくる。一度、足りなくなったことがあって、その途中であげられなくなった。するとそのお兄ちゃんらしき子供が出てきて「なんで妹にはあげないんだ!」と怒った。そんなこと言われてもないのだからあげられないわけだが、子供はそんなんじゃ納得してくれない。その場を去るのに苦労したことを憶えている。以降わたしはお菓子もあげていない。しかし、本当は子供たちに対してどうあるべきなのか、それは未だに分かっていない。

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