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みなさんこんにちは!あなたをモチベートと申します。

最初に一つだけみなさんにお願いがあります。今回お伝えする言葉は盛りだくさんになるんですが、その中で「一つだけ」、たった「一つだけ」でいいのでみなさんの今後に役立つような内容を持って帰っていただきたいんです。あなたが重要だと思ったこと、胸に響いた言葉、その一つのエッセンスがあなた自身の人生を良くするカギになってくれるはずです。

この記事は、以前書いた記事の中で最も重要な部分だけを抜き出したものです。

アドラー心理学の「目的論」

アドラー心理学の『嫌われる勇気』
という本の中では、

自分の人生に対して諦めてしまっている人や
色々なことが上手く行かないと言っている人に
対して、

「上手くいっていないのは自分がそう決めているから」

という素直には受け入れられないようなことが書かれています。

つまり、アドラー心理学の中では
「原因論」ではなく「目的論」で人が動いている
という説明の仕方が採用されていて、

水をこぼしたウェイターの人に
大きな声で怒鳴りつけるのは、
水をこぼされたから怒って声が出たのではなく
ウェイターを威嚇したいから大きな声を出すんだ

という目的論の理屈を使って説明するわけです。

言い換えると、
時間軸の過去側にある原因に私たちが突き動かされるのではなく
自分自身が主体的に作り出した先の目的に対して
みずから足を踏み出して向かっていくのが人間
であるという人間観を持っているんですね。

古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、
(自然観として)
物事には複数の原因があるという説を唱えており、
それは四原因説と呼ばれていたりします。

その中で、「作用因」というのは
ある物が今の状態になった理由について
「目的因」というのは
ある物が目指している最終的な姿、目的について

それぞれを物事の原因と見なしていたようです。
この「作用因」と「目的因」というのは、
コインに裏表が必ずあるように、
物事にも原因としての理由と目的としての理由が
少なからず存在している
ということを教えてくれています。

私たちの一般的な認識では、
例えば「嬉しいから笑った」が普通ですが、
「笑って周りの人を明るくしたかった」とは
あまり考えられないと思います。

そのようにして、ある意味直感では考えにくい
ものなんですが、アドラー心理学のような「目的論
を生活の中に少しずつ組み込んでみるだけで、
世界の見方がちょっとずつ「自分事」に変わって、
他の人のことも考えて行動できるようになっていきます。

アドラー心理学の「貢献感」

まず先に言うと、アドラー心理学の中での
究極目標は「共同体感覚」
と言って、
私とあなたと他の人たち、もっと広く色々なことが
調和した状態を理想的だと考えます。

例えば、人が「自分一人だけの世界」にいたとして
何の喜びも、何の生きがいも持つことはできないと
思います。

かつてアリストテレスが言ったように、
人間は社会的(ポリス的)な動物である」ので、
人間関係の中で幸せを感じる生き物なんですね。

しかも、悩みについても人間関係の中でのものがほとんど。
到達点には「目の前にいる人との調和」
があるとして、私と目の前にいる人が
一緒にポジティブな感覚を持てるならそれは共同体感覚だということにしましょう。

そして、そのように目の前にいる人と
一緒にポジティブな感覚を持つためには、
私がその人に対して何かをしてあげること
が必要となります。

そうすると、私はその人に何かしてあげて、
(例えば素直に褒める言葉を言うとか)
とても温かな、満足した気持ちになれて、
そして目の前の人もとても嬉しく思って喜んでくれるはずです。

これが、「私」が持つ「貢献感」なんですが、
アドラー心理学ではこれこそが「幸せ」である
と主張するわけです。


少しだけアドラー心理学の「目的論」に話を戻すと、
人間が生きていく上で
今までの人生があまり自分にとって
良いイメージのものではなかったとして、

アドラー心理学においては
そんなの関係ないから目的(未来)に向かっていこうよ
「だって原因論じゃなくて目的論なんだから」
という考え方をすると言いましたね。

後ろに理由があるんじゃなくて、
前に理由があって、ただただ今までとか関係なく
先に据えた目的に向かって歩いていけばいい
主張するのがアドラー心理学。

これと似ているものに、
選択理論心理学というものがあります。

話を分かりやすくするために、
一般的な心理学の「心」の仕組みに
ふれておきたいのですが、

ABCモデルと呼ばれるモデルにおいては、
出来事(A)→ 信念(B)→ 結果(C)
という流れで「心」を説明していて、

例えば
失恋(A)→ 受け取り方(B)→ 悲しい(C)

というようにして出来事から感情が生み出される
までの間、それか行動が起こるまでの過程を
説明しています。認知行動療法などで用いられるとても役に立つものなのですが、

これって選択理論心理学と比較してみると
少しばかり受動的で、自動反応的なモデルなんですよね。

選択理論心理学においては、

まず人が行動や思考を選択し実行します。
そして、それに随伴して何かしらの感情
それか自動的な反応(反射的行動なども)
後からついてきます。

という感じで、人が能動的に、
意図を持って何かをした後に
感情や反応が遅れて生まれるという構図なんです。

これは、何かの目的を先に見据えて
人が行動しているのであって、
過去の原因に突き動かされて行動するのではない
というアドラー心理学
にも通ずるところがあると思います。

しかしながら、選択理論心理学やアドラー心理学だけが正しいというわけでも、ABC理論だけが正しいというわけでもなくて、コインの裏表のようにどちらも正しいし、どちらも、人間の活動の一部を切り取ったものに過ぎないという部分があります。

7つの習慣の「主体的であること」

この2つの考え方を統合することができたら
良いのになと考えているときに、
「7つの習慣」という本に出会いました。

著者のスティーブン・R・コヴィーさんは
アドラー心理学の影響も受けているらしいのですが、

「7つの習慣」を一言で表すなら
何かと考えたときに、
これは確実に第一の習慣「主体的であること
で決まりだと思っています。

これはつまり、
刺激に対して間髪入れずに反応を返すのではなく、
自分の自動的な反応に一時停止ボタンを押して
自分の「選択」の余地を残す
ということです。

「主体的であること」の
逆の概念である、「反応的であること」を
考えてみるとわかりやすいんですが、

例えば目の前に食べきれないくらいの
ステーキとサラダとパンと白米とラーメン
とパスタとピザと鮭のソテーとコンソメスープ
があるときに、自分がどれくらいの量を
食べるか考えずに、
摩擦がない中で慣性の法則で動き続ける
ミニカーのように、
とにかく身体が拒否反応を起こすまで
本能の赴くまま食べ続ける人が居たとしたら、

これは「反応的な人」ということになります。

何かのプロジェクトを行なっているときに、
誰かがミスをしたとします。

このとき、その人の責任を追求し、
大声を出して責めたい感情が湧いてきたとして、

その自動的な反応にストップボタンを押せずに
そのまま攻撃してしまうとき
は、その人は「反応的」になってしまっています。

それと比較して、
その人がミスをして現状がこうなっているから、
「じゃあこれからこうしていかなきゃいけない」
ということで、原因論から目的論に視点を
移して、「主体的」に考えることができる人
がいたならば、その人は「主体的な人」ということになります。

ここまでの話を先程のABCモデルなどと
同じようなモデルで考えてみたいと思うんですが、

人の活動するメカニズムは、
まず

外部環境に対する知覚(外部刺激)

があって、それに対して
自動的な反応を起こしたり、
反応的に感情が生まれたりします。

例えば、
視覚を通して綺麗な夕焼けを見て、
とても気持ち安らぐ感情を得たり、

熱いやかんに素手で触れてしまって、
触覚から熱さが脳に伝わって
すぐに手を引っ込めるように「反射」の
行動が行なわれたり。

というようにして、
外部からの刺激(入力)から、
間髪入れずに感情や反射的行動(出力)
が生まれるという身体活動がまずあります。

そして、人の活動するメカニズムとして、

外部環境に対する知覚(外部刺激)

があるんだけれども、
五感を通して身の回りの状況を
知った上で、自動反応的に動くのではなく

【外部環境からの刺激】 → 反応(感情)

意図を挟む(思考や行動)→ 反応(感情)
 ↓
【外部環境への作用】

というようにして、
私たち一人ひとりと外部環境の
相互作用が行なわれ、

その中で刺激に対してただ自動的に反応する
のではなく、自分の判断する時間を挟んで
「主体的」に活動を行なっていく
ことも
できたなら、

周りとの関係性も含めて
より良好な状況を作り出すことができるのではないでしょうか。


7つの習慣の「終わりを思い描くことから始める」

また、
大事なこと(優先したい価値観、人生の目的)
を踏まえておくということが最重要です。

これは『7つの習慣』の中で出てくる
第二の習慣「終わりを思い描くことから始める」
というものと密接に関わるものです。

ということで、

一番わかり易い「終わりを思い描くことから始める
を説明します。

端的に言うと「最期のときを思い浮かべる」
ことで、人生悔いないように過ごすことができるという話です。

例え話ですが、
もし明日が人生最後の日になるなら
今日から明日にかけてやり残していた
最後にやりたいことは
何かと考えると、

私であれば、親に今まで育ててきてくれたことを
心の底からちゃんと感謝を伝えることができて
いなかったと思うので、

手紙に書くでも、直接言葉をかけるでも、
自分のやり残したこととして明日までに
絶対やろうと考えると思います。

これを抽象化してみると
普段から家族を大事にする
という意識が生まれるでしょうし、

他にも、
『やりたいことの見つけ方』の
八木仁平さんの本やYouTubeで
色々なワークの質問に答えながら、

社会・外に向いた自分の価値観
を見つけるということも大事になってきます。

この「価値観」「大事なこと」
については、自分に矢印が向くものと、
社会や他の人に対して矢印が向くものがありますが、

前者だと自分の人生を豊かに、幸せにするために必要なものだと考えられますし、

後者だと社会や他人に価値を提供し、その対価を得たり貢献感を得たりすることができるものになります。

生きていく上で、生きる理由を考えたときに
その「人生の目的」は人生に一本軸を通し、
充実して生きていく指針
になります。

あなたの人生の目的はなんですか?という問いに
「幸せになること」と答えてもいいんですが、

生命・自由・幸福については
日本国憲法の中でとりあえず保証されていて、

その一歩手前にある、自分が思うなりたい状態
少し具体的な幸せというのはどんなものなのか

その、自分が人生をかけて在りたい状態を探していく(仮決めしていく)のが私たちに求められることだと思います。

究極的な到達点の
一歩手前にある、
少し具体的な「人生の目的」
というものが私たちにとって
とても有益なものなんです。

それを、例えば私の場合ですと

健康的な食事や生活リズムを維持し、
心身ともに健やかな自他の状態を作る

家族や大切な人たちを大事にして
精神的な豊かさを感じられるという社会に貢献

・響く、影響力のあるスピーカーであること
・ポジティブで前向きな考え方を普及して、自信が満ち充実した人生を送る人を増やすこと
・バランス感覚を保って、自己管理・スケジュール管理をしっかりできる人を増やすこと

背筋を伸ばしてちゃんと挨拶するように
なったよと言われるような、
背中を押すブースターのような存在として
人に影響を及ぼすこと

というような
「大事なこと(優先順位の高い価値観)」
すなわち人生の目的、行動指針を持って
生きていくようにする
ということを考えています。

八木仁平さんのYouTubeやUtsuさんの動画、
『7つの習慣』について調べると、
質問などに答えるワークを行なうことで
自己理解を深められると思うので、ぜひやってみてくださいね。

ここまで書いてきた内容が最も私が重要だと思っていることです。

ぜひ何か一つのポイントだけでいいので、印象に残していっていただけたら嬉しいです!!

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