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バイトはなぜ辛いのか

ファーストフード店でバイトを始めた。
生活費はずっと続けている予備校のバイトで賄えてはいるがお客様が高校生でありハタチそこそこの人間が「先生」と呼ばれることに変な思い上がりを持たないかまた感覚が麻痺しないか心配であったことと、来るべき就職の際に精神的に何の摩擦のない予備校のバイトでは働き始めの精神的な緊張が過度の負担にならないか心配であったためである。よって就職前にもう一度同年代に囲まれての下っ端労働者として働いてみることにした。

さて実際に働いてみると確かに辛い。予想どうりだ。バイトは責任がないから楽だと言う言説も世間ではよく聞くがそうは言ってもそれぞれ皆始めは何らかのストレスを感じていることだと思う。自分は大変なことは大変だ、辛いものは辛いと臆面もなく言える社会を望んでいるので自分からどんどん言っていこうと思う。また以下の自分の心情の吐露は私側の一方的なものであり、あちら側にはあちら側のストーリーがあると思う。雇う側はよりによってこんな使えないやつと思っているかもしれないしそれにはただすみませんとしか言えない。以下はただの時間単位で雇われている一アルバイトの愚痴である。

人が感じるストレスのほとんどは人間関係によるものであろう。暑い寒い、鳥がうるさい、花が散るなどでひきずるほどの精神的ダメージを食らう人は少ないと思う。その人のストレスの中でも個人的に気にするのは「本当にそれって言う必要があるの?」と「本当にその言い方をする必要があるの?」である。「おせーよクソ」「何やってんだよバカ」「教えられなくてもだいたいわかんだろ」「俺には簡単だよ、何でできねーんだよ」が自分が気にかかった言葉である。

そのようなバイトでのピリつき、胸のざわめきを感じた時には人それぞれの対処法があると思い、是非それらを教えて欲しいのだが自分がまずやったのは「内部生命に逃げる」である(最低という誹りは甘んじて受け入れる)。自分の目の前で起きていることはただの“現象”であり、それは自分とは一切の関係がないというものである。目の前のムカつく存在もただの物体の運動であり怒鳴り声は振動にすぎないと思う」と思う。そしてその自分の外で起こっていることはリアルであるかもわからず、認識している自分しか信じないということ。ただこれは効果があるが何の解決にもならず独りよがりな認識に陥るためできるだけ使わないようにしたいと思った。これからの人生で自殺するかもしれないという追い込まれたときにのみ使おうと思う。

自分が一番最適だと思ったのは「嫌なことを言われたら反対に他者に対して優しくすることに応用する」というものだ。言い換えれば自分が嫌だと思ったことを後輩にせず、こうして欲しかったという扱いを後輩にするようにすると思うことだ。自分が受けた嫌な経験は他者に思いやりを持つための良い糧になったと思い込むことが今できる最低限のことかもしれない。


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