子は親を選べず。親もまた子を選べず。

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もう親孝行できない娘の備忘録 1

断り書き この備忘録はノンフィクションですが、文中出てくる固有名詞は全て仮名です。また、特定を避けるため多少ぼかして書いている部分もあります。あらかじめご了承ください。 はじめに今年はコロナ禍の影響で特別な夏、忘れられない一年になる人も多いと思う。私と私の家族にとっても、2020年という年は特別な夏であり、忘れたくても忘れられない、忘れてはならない一年になりそうだ。 迎え盆、祖父母の墓前で2020年8月13日午後4時20分頃、エアコンの効いた自室でうとうとしていた私を起こ

    • 一周忌―もう親孝行できない娘の備忘録

      先日、家族だけで父の一周忌の法要を営みました。 そして、祥月命日の今日。 一年があっという間だったのか長かったのか分からず、ふわふわとした心持ちのまま今日に至ります。 父が脳挫傷で植物状態となり一年一ヶ月、他界して一年、この二年一ヶ月の間、母とはよく父の話をしました。 私が父の話題をこれほど挙げたのは、人生で初めてでした。 父とはもう会話をすることができなから、その穴埋めをするように父のことを話していたと思います。 思い出話から、あの時腹立たしかったという愚痴まで、たくさん話

      • ご報告――もう親孝行できない娘の備忘録

        母が入院してから慌ただしい日々が続いていますが、一つご報告させて下さい。 先日、父が息を引き取りました。 転倒事故で脳挫傷、そして遷延性意識障害となり自分の意思を発することができない植物状態となってから一年と少し。 父は、あっけなく逝ってしまいました。 母の退院予定日でした。 その日の深夜、私の携帯に電話があり、容態が急変したと告げられて駆けつけましたが、すでに父は呼吸も止まり心臓も止まっている状態でした。 その二日前に病院へ洗濯物を届けた際には「穏やかに過ごされてますよ

        • もう親孝行できない娘の備忘録・二乗

          ※この記事はもう親孝行できない娘の備忘録の一つの分岐点にあたるものですが、単体でも読めるものとなっております。 本来ならば父が倒れてから一年経過した更新をするはずでしたが、予想外の出来事が勃発したため、書きかけの記事を放り出して急遽新しい記事を投稿させていただきます。 父は母より年上かつ男性なので、おそらく父が先に逝き、次に母が逝くのだろうなと漠然と考えていました。 一年前の父の入院により、予想よりも十年くらい早くその時がくるかもしれないとおそれながらすごしていた気がしま

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        もう親孝行できない娘の備忘録 1

        • 一周忌―もう親孝行できない娘の備忘録

        • ご報告――もう親孝行できない娘の備忘録

        • もう親孝行できない娘の備忘録・二乗

          半年――もう親孝行できない娘の備忘録

          ※この記事は「もう親孝行できない娘の備忘録7」と「もう親孝行できない娘の備忘録8(予定)」の間に書かれた記事です。 7での時間軸は2020年9月中旬ですが、ここでは2021年2月現在のことに触れております。ご了承ください。 ご無沙汰しておりました記事7をアップしたのが11月22日ということで、もう三ヶ月近く前なんですね。この空白期間ですが、私自身の喉風邪が長引いてしまったり、精神的な落ち込みが酷かったり、夫ロスの母のサンドバッグ状態になっておりました。 最近ようやく落ち着い

          半年――もう親孝行できない娘の備忘録

          もう親孝行できない娘の備忘録 7

          母と私のルーティン私「携帯持った?」 母「持った」 私「お財布持った?」 母「持った」 私「お茶持った?」 母「持った」 私「塩タブレット持った?」 母「持った」 私「PASMOは?」 母「バッグに入れっぱなし」 私「入館許可証」 母「これも入れっぱなし」 私「マスクは?」 母「新しいの出した」 私「横断歩道のない道路は?」 母「渡りません」 私「んじゃ、行ってらっしゃい。くれぐれも気をつけて」 母「行ってきます」 母が一人で病院へ出かける前、こんなやり取りをするようになっ

          もう親孝行できない娘の備忘録 7

          身内の入院中に娯楽はどこまで許されるか――もう親孝行できない娘の備忘録・番外編

          ※これは「もう親孝行できない娘の備忘録」に付随する記事です。 ※この記事単体だけでも分かる内容にしてあります。 兄弟の場合2020年8月13日に父が脳挫傷で救急搬送され、植物状態になってからしばらく経った9月のある日のこと。兄弟のヒロキが週末に東京に行くと言い出した。何を言っているのだこいつは自分の父親が意識不明で入院していてまだバイタルも安定していない時に以前から予定していたとはいえ遊びに行くとはどういう了見なんだしかも行き先が毎日新型コロナの感染者数が3桁超えている東京

          身内の入院中に娯楽はどこまで許されるか――もう親孝行できない娘の備忘録・番外編

          もう親孝行できない娘の備忘録 6

          その体はあたたかい世間では連日コロナ禍のニュースが報じられていたが、その中で物議を醸していた事件がある。京都在住のALS患者がSNSを通じて知り合った医師に己を殺すことを依頼し、実行されたというものだった。 本件に関して深く語るのは本筋から離れるので行わない。けれど私が当事者の立場になったら、完全に閉じ込められた世界に放り出されたら、やはり自死を願うかもしれないとぼんやりと思った。 私は臓器提供ドナーカードを所持している。骨髄バンクにも登録している。私は献血ができないので、

          もう親孝行できない娘の備忘録 6

          もう親孝行できない娘の備忘録 5

          病院選びは慎重に地域連携室の医療ソーシャルワーカーSさんと面談する。C病院は急性期患者の病院なので、一ヶ月で退院して別の病院に転院しなければならない。 うちからそれほど遠くないいくつかの病院のパンフレットを持ってきてもらい、説明を受ける。 ものすごく高いというわけでなければ費用に糸目をつけるつもりはない。問題は、その病院で己の意思を発せられない患者がどういう扱いを受けるかだ。 一度だけ、話に聞いたことがある。 ある病院(それとも入所施設か)に入院していた人のお見舞いに行った

          もう親孝行できない娘の備忘録 5

          もう親孝行できない娘の備忘録 4

          落下N病院は「頭の病気だったら何でもござれ」という脳に特化した病院で、以前父がゴルフ場の風呂場で転倒して頭を打った時に、念のため診てもらったことがある。だから当時のカルテがあるのだ。 私はすぐさまセカンドオピニオンの旨をC病院に伝え、CT等の画像データを用意してもらい、母と二人で指定された日にN病院へ向かった。 その日はとても晴れていて、残暑というにはあまりにも日差しが強く、熱中症情報も厳重警戒レベルだった。 標高が高いので、待合室から遠く海も見えた。 時間的に午前の診察が

          もう親孝行できない娘の備忘録 4

          もう親孝行できない娘の備忘録 3

          日頃の管理が大事土日のうちに週明けにやることを書き出す。 その中の一つに貸金庫の中身を確かめるというのがあった。 おそらく保険証書やその関係が入っていると思われるので、母と二人で開けに行こうということになった。 だがしかし、貸金庫の鍵がない。見つからない。 銀行へ行ってからその事実に気づき、慌てて帰宅して父の部屋を大捜索。 元来父は整理整頓をきっちりしている人だったので助かったが、とりあえず何かあった時のために情報の共有は大事だとつくづく感じた。 父が以前から探していたという

          もう親孝行できない娘の備忘録 3

          もう親孝行できない娘の備忘録 2

          私と父の関係私と父は仲良し親子というわけではない。 私が子供の頃は父が猛烈サラリーマンでいてもいなくても同じような存在だったし、長じてからはどのような会話をすればいいのか分らず、元々双方ともに口数も多くなかったので、顔を合わせても挨拶する程度で、我ながらよそよそしかったと思う。 私の父に対する感情は複雑だ。 過保護で過干渉。両親ともにそうなのだが、これが幾つになっても子供扱いなので、いつまでも大人になりきれていないようで辟易していた。 親にとって子供とは幾つになっても子供にし

          もう親孝行できない娘の備忘録 2