半年――もう親孝行できない娘の備忘録

※この記事は「もう親孝行できない娘の備忘録7」と「もう親孝行できない娘の備忘録8(予定)」の間に書かれた記事です。
7での時間軸は2020年9月中旬ですが、ここでは2021年2月現在のことに触れております。ご了承ください。

ご無沙汰しておりました

記事7をアップしたのが11月22日ということで、もう三ヶ月近く前なんですね。この空白期間ですが、私自身の喉風邪が長引いてしまったり、精神的な落ち込みが酷かったり、夫ロスの母のサンドバッグ状態になっておりました。
最近ようやく落ち着いてきたかなという感じです。今は初めての確定申告に奔走しております。お役所の説明書きはなぜあんなに難解なのでしょうか。

記事8のアップが大幅に遅れております。12月以降になるとあまり書くこともなくなってくるのですが、そこに辿り着くまでが大変ですね。
スマホで父の様子を動画を少し撮ってあるので、それを編集してアップできたらとも考えております。でもとりあえずは記事を書くことを最優先させますので、もうしばらくお待ちいただければと思います。
この備忘録はあまり人に読まれることを意識して書いていないのですが、それでも複数の友人・知人が読んでいてくれていることが判明し、ありがたく思っております。もちろん、それ以外でも読んでいて下さる方には「ありがとう」とお伝えしたいです。コメントしづらい記事なのは重々承知しているので、どれくらいの方が読んで下さっているのか判らないのですが、それでも、ありがとうございます。

節目と穴

本日2021年2月13日で、父が怪我を負ってから六ヶ月経ちました。あっという間の六ヶ月でした。正直なところ、去年の8月13日から時計が止まってしまっている感じです。別のところでは時の流れもきちんと感じてはいるはずなのですが、やはりどこかで止まったままの自分がいます。
その日その日を自分なりに懸命に、最善を尽くして生きてきたつもりですが、あまりちゃんとした記憶がないんですよね。
これが全力疾走だったら完全燃焼で燃え尽き症候群とでも呼べるのでしょうが、ゴールの見えない不完全燃焼状態のまま体に大きな穴が開いてしまったような、そんな虚無感にとらわれています。先月が一番酷くて、終日布団にこもっている日が多かった気がします。

ただ、父のことで泣くことはほとんどなくなりました。冬のはじめくらいまでは毎日何かしらべそべそしていましたが、これも時間の流れのなのでしょうか。父が家にいないことに、私も母も慣れてきたのかもしれません。たまに夜中に物音がすると「お父さんまたおしっこか~」…なんて寝ぼけて思ってしまうことも、あるのですが。

どの先生が仰っていたのか忘れてしまったのですが、だいたい脳の損傷は半年ぐらいが目安なのだそうです。つまり、損傷を受けてから半年間の回復具合が、だいたいその後も続くケースが多い。父は劇的な回復をしたわけではないので、ああいう状態が今後も続いていくのでしょう。
コロナ禍でさえなければ、親戚からお友達までたくさんの方にお見舞いにきてもらって、たくさんの刺激を与えてあげられたのに。そうしたらもう少し回復具合も違ったかもしれない…今でもそんな風に考えてしまいます。

現在の父は

とある病院に入院中ですが、入院した日から一度も会っておりません。というのもその病院の方針で、当分は週に一度洗濯物の受け渡しのみ病院の玄関口で行うのみで、家族の誰も病院内にすら入れない状態なのです。県庁所在地ですらない田舎の市ですが、それでも新型コロナのクラスターが発生したりしていたので、この方針はありがたいです。
外来とは建物自体が別棟だし、そもそも山の中だし、交通は不便ですが、あれくらい隔絶されていれば、誰かが持ち込まない限りは大丈夫でしょう。

次に父に会えるのはいつになるのか、全く予想がつかない世の中ですが、この記事を読んで下さっている皆様が健やかでありますように。

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