もう親孝行できない娘の備忘録 6

その体はあたたかい

世間では連日コロナ禍のニュースが報じられていたが、その中で物議を醸していた事件がある。京都在住のALS患者がSNSを通じて知り合った医師に己を殺すことを依頼し、実行されたというものだった。
本件に関して深く語るのは本筋から離れるので行わない。けれど私が当事者の立場になったら、完全に閉じ込められた世界に放り出されたら、やはり自死を願うかもしれないとぼんやりと思った。

私は臓器提供ドナーカードを所持している。骨髄バンクにも登録している。私は献血ができないので、せめてもしもの時は使える物はじゃんじゃん使ってくれというスタンスで、運転免許証の裏にも記してあるし、家族にも伝えている。

ただ、もしも今の父が植物状態ではなく脳死状態だったら、そしてもし臓器提供を迫られた時、私は、家族はそれを承諾するだろうか。
私は脳死状態の人間には接したことがない。死後数十分の遺体との対面はあるけれども、あれはまだあたたかくてもやはり亡くなった人の体だった。
父の腕に触れると、あたたかい。発熱しているとなおさらで、生きているのだなと実感する。たまに泣きそうになる。
そして初めて思いを馳せることができたのだ。
ALSの女性を「殺され」たご家族の気持ち、臓器提供を拒むご家族の気持ち。そして、父に人工呼吸器を付けるかどうか思い悩む母の気持ち。
だってきっと、その体はあたたかい。生きているにおいがするのだ。
脳死の場合はまた少し違うかもしれないが、けれど心臓死でない限り血液は体中を循環しているのだから、例え多くの機械に繋がれていても、きっと体はあたたかい。
手を握って、握り返してくれなくても、声をかけて返事をしてくれなくても、「生きている」と思ったらもう、無下にはできない。
できる限りのことをしてやりたいし、寄り添いたいと思う。

父は植物状態になっても、私に思いもよらなかった考え方を提示してくれた。
父には敵わないと思った。

助けてください

今の居住地は父の実家のようなものであり、周辺には父の親戚が山ほど済んでいる。
横の繋がり、親戚同士のあの微妙な空気感、閉鎖的な感じ、アポなしで訪ねてくる等々田舎に住んでいてうんざりするところもたくさんあるのだが、利用できるものはなんでも利用しようと思った。
私達はこの地に十年も住んでない。父だって本籍はここだが、育ったのは祖父の勤務地だった東北地方であって、ここで育ったわけではない。盆暮れに祖父母に連れられてきていた程度で、この土地独特の訛りもないのだ。
父は趣味を通じてそこそこ友人を作っていったが、母は祖母の介護でそれどころではなかったし、私は元いた県やその近辺にいる友人だけで十分だったので、あえて友人を作ろうとはしなかった。結果、いない。
未だに市内の位置関係が判然としないし、地名もたまに戸惑うことがある。
だから、数少ない知り合いであるご近所の人達と、父の親戚だけが命綱だった。

そしてやはり、一番の頼りとしたのは大叔父だった。
大叔父は市役所や商工会議所の幹部を務め、病院経営の建て直しなどを行った大人物である。白寿を超えてなお講演会などしていたようである。見た目はとても優しいおじいさんといった風情の人で、本当に優しかったし、祖父の他界後一人になってしまった祖母をよく夫婦で訪ねてきてくれていた。祖母の通夜や葬式、一周忌の法要にも車椅子や杖を使ってきてくれていた。残念ながら今年の二月に鬼籍に入られてしまったが、通夜にもお葬式にも大勢の参列者がいて、改めてその人柄が偲ばれた。
そんな大叔父が晩年事務長を務めていたS病院、ここが一番いいのではないかというのが訊いて回った人達の多くの意見だった。

ソーシャルワーカーSさんの持ってきた資料にもS病院の名前は挙がっていたが、包括ケア病院なので期限が60日と切られているので候補から外されていた。だが第一候補のH病院は現在家族すら面会できない状態であり、病棟見学もできないので、それだったら例え60日でもS病院にお世話になった方がいいのではないかということで、「M氏の甥」である旨付け加えてくださいとSさんに念押ししてS病院をお願いした。

周りに話したことで、ささやかでも良いことがあった。
C病院へはバスを乗り継いで通っているのだが、ある日、ご近所のMさんがバス停で見かけた母を病院まで送ってくれたそうだ。こうやって気にかけてくださるのは本当にありがたいことである。

看護師さんたちに感謝

現在父は経鼻経養チューブから食事を摂っている。あのチューブは私も経験があるのだが、結構な頻度でえずいてしまうのでしんどかった。父は痰も出るので余計に苦しそうに見えた。
このチューブは一ヶ月に一度交換するのだそうだが、M医師から胃ろうの増設を提案された。
メリットとしてはチューブが取れることにより呼吸がしやすくなること、誤嚥性肺炎のリスクが減ること、衛生面でも良いことで、交換は半年に一度でいいらしい。デメリットは感染症や腹膜炎などだった。あと胃と腹壁の間に他臓器があると増設できないそうで、こればかりは実際に内視鏡で見てみないと判らないのだそうだ。

その手術の説明を担当の外科医からしてもらうために母と病院で待っていたのだが、その担当医が急患が入ったとかなかなか来ない。
待っている間父を見ていられるのでそれほど気にならなかったが、看護師さんたちがとても気を遣ってくれていた。
その日父は発熱していて暑そうだったのだが、ある男性看護師がしょっちゅう病室に来てくれて、「少しでもクーリングしましょうね」と枕を替えてくれたり、腋窩に小さなアイスノンを置いてくれたりと甲斐甲斐しくお世話してくれた。
急性期の病棟は大忙しで、看護師さんたちも忙しなく働いている。大勢いる患者の中で、父を気にかけてくれたことはとても嬉しい。外科医には約束の時間から三時間以上待たされたが、看護師さん達の奮闘ぶりが見られたのでよかったと思う。
バイタルチェックや体位交換、オムツの交換とやってくるが、誰一人父を「意識のない患者」ではなく、「N村さーん!聞こえるー?」「これから体動かしますよー!」などと声かけをしてくれている。意識のある人間扱いしてくれる。当たり前のことかもしれないが、当たり前に扱ってくれることがとても嬉しい。父から応えがないのだけが、悲しい。
看護師さん達にとっては大勢いる患者の中の一人だけど、私達にとってはかけがえのない家族なのです。
いつもありがとうございます。


――7へ続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?