もう親孝行できない娘の備忘録 5

病院選びは慎重に

地域連携室の医療ソーシャルワーカーSさんと面談する。C病院は急性期患者の病院なので、一ヶ月で退院して別の病院に転院しなければならない。
うちからそれほど遠くないいくつかの病院のパンフレットを持ってきてもらい、説明を受ける。
ものすごく高いというわけでなければ費用に糸目をつけるつもりはない。問題は、その病院で己の意思を発せられない患者がどういう扱いを受けるかだ。

一度だけ、話に聞いたことがある。
ある病院(それとも入所施設か)に入院していた人のお見舞いに行った時、隣のベッドの患者さんのご家族が賢明に床上の患者さんに話しかけているのを見て、看護師だか介護士だかが一言。
「そんなに一所懸命話しかけたって、どうせ聞こえやしませんよ」
その方は認知症患者だったらしいのだが、いくらなんでも医療従事者・介護従事者がその発言はありえない。酷すぎる。
人伝に聞いただけなので、話が誇大化や歪曲している可能性もある。
けれども、入院患者や入所者への虐待は全国的にある話だ。
もちろん、多くの医療従事者や介護従事者の方々は懸命にお世話してくださっているのを知っている。解っている。
でも、割合でいえばほんの1%にも満たないかもしれないその者が父の担当にならないとは限らないのだ。

今の父は一人では何もできない。
食事も、経鼻チューブから栄養食を流してもらわねばならない。二・三時間おきに体位変換してもらわねば背部や仙骨部、踵部などに褥瘡ができてしまう。清拭や陰部洗浄・口腔ケアをしてもらわねばたちまち細菌が繁殖して父の体は蝕まれてしまう。バイタルチェックもしてもらわねばならない。
これがもし赤ちゃんだったら泣いたり喃語を使ったり体を駆使してなにがしかの意思を表示できるだろう。しかし父は言葉も発しなければ体もほとんど動かさない。図体が並の大人より大きい分、赤ちゃんよりも手がかかるのだ。

ただ、入院と入院の間に空白ができるのは父の体に負担になるだろうと思い、とりあえず一つだけ候補を出し、Sさんにお願いすることにした。

片付けと切り替え

この頃、私はあることで悩んでいた。
涙が止まらないのだ。
何を見ても目の奥がツンとしてしまい、日常生活に支障をきたしていた。
父の部屋の、ベッドを見ればこのベッドでもう父が眠ることはないんだなと涙し、きっちり揃えられた筆記具を見れば父は机で何かの作業をすることはもうないんだなと涙し、庭に駐められた車を見れば父はもう車を運転することはないんだなと涙する。父は運転が大好きな人だった。高齢者教習に通って、まだ運転する気満々だった。座学で多少苦戦していたようだが、父の運転はスムーズで安心感があって、悔しいけれど父より上手い運転をする人にお目にかかったことがない。

父の愛用品をは見て父を思い出し泣いてしまう私を、母は「アキは優しいね」と言ったが、私は優しいわけではない。
たぶんこれは私の感傷なのだ。

「何でも泣いたら解決すると思っているのか」

叱られて泣く私に父はよくそう言っていた。
違うのだ。
感情が昂ぶった時に、それが悲しみで怒りでも、自然と涙がこぼれてしまう。
子供の頃から寄ると触ると泣く子供だったのでよくいじめられたし、泣き虫な自分が嫌で嫌で仕方なかった。

父のことで必要以上に泣いている自分が嫌で、更に個人的に嫌なことが重なって、私の中のスイッチが変な方向に切り替わった。

動力源は、怒り

なんで私はこんなしんどい状態にならなければいけないんだろう。
なんで父がこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。
なんで母はやっとゆっくり父と余生を過ごせることになったのに、こんなことになっちゃったんだろう。

私と兄弟はまあまあヤンチャなことをしてきたが、父と母はものすごく真面目な人達だ。
その真面目さゆえに私や兄弟は反発することも多々あって、一般的に良い両親が育てたとしても"良い子"が育つわけではない典型例になってしまったのだが、どんなに過保護・過干渉だろうが何だろうが、私がこうなってしまったのは"私"の責任だ。それを両親のせいにはしない。大人になってまで「親の育て方が悪かった」なんて言うつもりはない。そこまで未熟なつもりはない。

世の中は不条理なことだらけだ。
善良な人が割を食ったりすることも多々ある。
そして思う。
一体有史以来、どれほどの人間が「満足な死」を迎えられたのだろうと。
特に今年はコロナ禍で、多くの死が報道されている。
2020年は死の臭いに満ちている。
世界中の人々が生まれては死んでいくその繰り返しの中で、充分だった、悔いは無いという心持ちで死んでいった人は、きっと多くはないだろう。

父の身の上に、私たち家族に起こった出来事は、それほどセンセーショナルではなく、誰の身の上にもいつ降りかかってもおかしくないことなのだ。
私とて、夏の始めにはそんなことが起こるなんて思ってもみなかった。
その証拠に、私は父と最後に交わした会話を憶えていない。
その頃父と私とでは生活時間帯が違い、同じ家の中にいても顔を合わせるということがほとんどなかったのだ。だから私はとても悔しい。

誰かが出かける時、玄関先で「行ってらっしゃい」と声をかけて、その背中を見送るなんて、子供の時以来していなかった。
でも今は見送っている。「無事で帰ってきて」と念じながら見送っている。

見送ったその人が無事に帰ってこないこともあると、今は知ってしまったから。

「お母さん」
帰宅した母に提案する。
最近父は大きく目を開けることもあるそうだ。見えているのか、その像を映し出す機能が脳に残存しているのかは判らない。
そんなことも調べてもらえない。どこなら調べてもらえるかも判らない。
私たちは何も知らない。何の力もない。
とても微力で、ちっぽけな人間だ。
そのことがとても悔しくて、そして腹立たしい。
私はとても怒っていた。

「知ってる人みんなに話して、力を貸してもらおう」

迷惑かけるかもしれないとか、そんなこと知るものか。自己防衛能力ぐらいあるだろう。
父はたぶん、闘っているのだ。
だったら私ら家族も闘わねば。
力が足りないなら、色んな人の力を借りて。

これまで人のために尽くしてきたような人生を送ってきた父が、誰にも助けられないまま朽ちていくなんて、許さない。
絶対に、させない。


――6に続く

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