もう親孝行できない娘の備忘録 3

日頃の管理が大事

土日のうちに週明けにやることを書き出す。
その中の一つに貸金庫の中身を確かめるというのがあった。
おそらく保険証書やその関係が入っていると思われるので、母と二人で開けに行こうということになった。
だがしかし、貸金庫の鍵がない。見つからない。
銀行へ行ってからその事実に気づき、慌てて帰宅して父の部屋を大捜索。
元来父は整理整頓をきっちりしている人だったので助かったが、とりあえず何かあった時のために情報の共有は大事だとつくづく感じた。
父が以前から探していたという車の保険証書こそなかったものの、生命保険の証書などは見つかったので、今必要なものだけ持ち帰る。

これは父の悪癖だなと思ったのは、古い物まできちんとファイリングされていたことだった。契約更新してもう必要のないものは処分しておいてほしかった。祖父名義だの祖母名義だの故人名義のものは取っておいても仕方ない。◯メリ◯◯フ◯ミ◯ーとかもう会社の名称違うし契約年月日が昭和だし。
どの保険が生きていてどの保険がもう無効なのか、最新の書類を探しながら入院特約がついているものに関して電話で問い合わせていく。健康保険組合にも問い合わせて限度額適用認定証の申請書類を作成する。
その他にも通帳の確認だの証券だのなんだのと父が色々やっていたことは判ったが、母と出した結論は一つ。

「どこに何があるのかまとめ書きぐらいしておいて!」

神様の意味

じりじりと焼ける午後の日差しの中、水分補給をしながら私はゆっくりと病院への道筋を歩いていた。
溶ける思考の中で私はぼんやりとお百度参りについて考えていた。
あれはたしか、大願成就のために神仏に百回お参りするやつだ。百回もお参りするのは大変で、だからこそ一心に祈ることに意味があるのだと。
日本人固有の考えなのか万国共通なのかは判らないが、あえて辛いことをすることで願いを叶えようという思考。
もし父が元気になるのなら、水分なしで何キロでも歩いてやろうと思う。
けれどそれで父が元気になるわけではない。
神様とはそんなに都合良い存在ではない。
私は無神論者だが、それくらいは解る。
それでも心が弱った時、どうしようもない絶望の淵に立たされた時、人は無意識のうちに己の幻想が作り上げた架空の絶対者にすがらずにはいられないのだろう。
「たすけて、神さま」と。

泣きたくない

通院で少し脱水気味になってしまったのか、体調を崩してしまう。通院先で上の血圧が160という普段ならあり得ないとんでもない数字を出してしまったので、体調不良は明らかだった。体調を崩すと精神的にも弱くなってしまうので本当は避けたかったのだが、案の定思考がマイナスのことばかり考えてしまうようになる。
父は、一向に目を開かない。
C病院には母が毎日通っている。原則一患者につき見舞いに来られるのは一人だけなので、私は留守番役なのだ。
だから、私よりバスを乗り継いで病院に通っている母の方がよほど疲れている。毎日目を覚まさず、声をかけても手を握っても反応しない連れ合いの姿を見て、彼女が何を思っているのか、想像もできない。
なのに、私が先に崩れてしまった。精神が惰弱だ。
父の状態は変わらず、目を覚まさない。なぜ起きないのか、どうして起きないのかという幼稚な問いが頭の中をぐるぐると巡る。
いつまでこの状態が続くのか、他のことも何も手につかず、父を責めたいような気持ちがある。もちろん心配もしているが、一日中何も出来ない。本当は大声で泣き喚きたいような気もするのだけど、涙と鼻水がただぼたぼた落ちるだけ。
泣きたくないのに、涙を全力で止めようとするのに、止まらないのはなぜなんだろうか。

闘うということ

M医師から話があるというので、母と二人で病院へ向かう。
事故から約一週間。父の現状は、これからは。
意気込んで行ったものの、言われたのは「あと二週間様子を見ましょう」というひどくあっさりしたもので、正直落胆した。
CTを見るに、然程変化は起きていないようだ。
悪化はしてないが、良くもなっていない。
「何か積極的な治療方法はないんですか? 電気ショックとかそういう……」
なんとか意識を取り戻して欲しい一心でM医師に詰め寄るが、まだ脳を休ませる時期だ、本人の回復力しかないと言われて、暗澹たる気持ちになる。
意識の回復が遅れれば遅れるほど、全体的な脳の回復レベルも下がるわけで、それに対して何の治療もしない。発熱だの高血圧だのといった対症療法しかできないなんて、何のための脳外科医なんだと叫びたくなった。
一週間ですら気が遠くなりそうだったのに、二週間待てというのか。
二週間待ったら父の目が醒めるのか? 違うだろう。

もやもやした気持ちを抱えながらも日々は流れる。
父のことを少しずつ交流のある親戚やご近所さんに告げる。
私は相変わらず心の落ち着きは来ず、具合の悪い時は寝込んでいた。
父はたまに薄目を開けるようになったと聞いていたが、ただそれも母が見舞いに行っている時のほんの数分なので、「今日は目を開けた」「今日は目を開けてくれなかった」と報告に一喜一憂するのも疲れてしまっていた。

ただ、その日は少し違っていたようで、父がぽかっと目を大きく開いていたので母は慌てて看護師を呼んだそうだ。
駆けつけた看護師が「N村さんジャンケンしましょー!グー出してくださいグー!」と大きな声で明るく言うと、父はちょっと右手の拳を握ったそうだ。看護師が「じゃあ次はチョキ!」と言うと父はゆっくり二本指を立てた。看護師が「そしたらパーは?」というと、父は手を開いたそうだ。
そんなやり取りをもう一度した後、父は目を閉じたらしい。
もちろん明確なグーチョキパーの仕草ではなく、たどたどしい動きだったそうだ。けれどこれは、看護師の声が聞こえていて、その声に応えたということだ。
正直、驚いた。
父の脳が、少しずつ回復している?
ニューロンが、新しく繋がってきている…?

このことを友人に報告すると、「お父様も闘っているんだね」と言われた。
そうか、父は静かに闘っていたのか。
事故に遭った日から、ずっと。
ならば、私も闘うしかないではないか。

友人からのメッセージを受けた後、私は母に提案した。

「お母さん、N病院にセカンドオピニオンを頼もう」


――4に続く

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