ご報告――もう親孝行できない娘の備忘録

母が入院してから慌ただしい日々が続いていますが、一つご報告させて下さい。

先日、父が息を引き取りました。

転倒事故で脳挫傷、そして遷延性意識障害となり自分の意思を発することができない植物状態となってから一年と少し。
父は、あっけなく逝ってしまいました。
母の退院予定日でした。
その日の深夜、私の携帯に電話があり、容態が急変したと告げられて駆けつけましたが、すでに父は呼吸も止まり心臓も止まっている状態でした。
その二日前に病院へ洗濯物を届けた際には「穏やかに過ごされてますよ」と言われていました。
本当に、急転直下の出来事でした。

通夜と告別式が終わり、一週間経ちますが、まだ実感がわきません。
まだ病院に行ったら父が入院しているような、そんな気がしています。

先日、ご近所の方にお会いして世間話をしていた時のことです。
その方はお店をやっていて、自宅は別の場所にあります。
店主さんは父の死も母が入院したこともすでに知っていました。
「わたしあの日、N村さんが歩いているのを見たのよ」
そう仰ったので、私は思わず店主さんのお顔をじっと見つめました。
「ちょっとこう、背中を少し丸めてゆっくり歩いているから、ああ、退院したけどまだ調子が悪いんだなーって、娘と見ていたのね」
ただ、と付け加えて
「娘さんが『回復の見込みはない』って言っていたからあれ? とも思ったのよね」
そして、
「それから20分も経たないうちに救急車のサイレンが鳴って、どうしたのかと思ったらN村さんの奥さんが運ばれたって聞いて、わたし娘と二人でびっくりしちゃって!」
私は呆然としていました。
あの日、父があの道を歩いていた…?
「N村さん、とてもお優しかったから、救急隊員の方にお母さんの病状を伝えたんじゃないかしらって」
店主さんはやわらかい声音で仰いました。
私は深く頷きながら、言いました。
「普通は脳梗塞起こしたら何かしらの後遺症があると覚悟していたんです。けれど母、手足の麻痺も構音障害もなくて。ちょっと本人もまだ自分おかしいところあるなって自覚はあるんですけど、重い症状はなくて。母が退院の日に父が逝ったのは、もしかしたら父が母の分を持っていったんじゃないかって……」
あの日、父がそこを歩いていたのなら。
もしかしたら、そういうこともあるのかもしれない。

「なんでお母さんが退院するまで待ってくれなかったの」
私は父の亡骸に向かって声を押し殺してそう叫んだけれど、父は父で母を守ってくれたのかもしれない。

植物状態から意識を回復するという奇跡は起きませんでした。
奇跡は滅多に起きないから奇跡という。そんな言葉を思い出しました。
けれど、父のことだから、母の病気を引き受けて逝ったのかもしれない。
誰にも証明できないけれど、このいくつかの符合の一致を奇跡と呼ぶのかもしれないと思いました。

9月21日。母は一つ年を取りました。
元気で長生きして欲しい。そう切に願います。

「『あのばあさんまだ生きている』って言われるまで生きてるかもよ?」

望むところです。


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父は永眠しましたが、「もう親孝行できない娘の備忘録」はまだ続きます。
おそらく一周忌までは役所関係や名義変更など色々慌ただしい日が続き、更新頻度は遅いと思いますが、お読みいただけましたら幸いです。

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