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優しいとは・・・

私は最近、優しいと言われなくなったかもしれない。

いわゆる優しさを仕事とプライベートで使い分けていて、このことが今、自分の中できちんと確立したからだと思う。

話が混乱してしまうので、今日は仕事の話に特化してみる。

福祉における優しさ

私の仕事は福祉の仕事。

優しさが必要とされている職種である。

優しさをもっと具体的にいうと、共感力親切心だと思っている。

例えば、目の見えない人に声をかけるには、その人前側から部署と自分の名前を先に伝え、「ご用件は何ですか?」と声をかける。

これは、後ろ側だとびっくりしたり、自分に話しかけられているかが分からないからだと教えられた。この配慮は、共感力のひとつだと思う。

福祉における傾聴

福祉には、傾聴という言葉がある。

相手の話を否定せず、適切な相づちして、受容すること。

以前、ある知的障害の人の話を1時間以上聞いていたことがあった。

その人は、知的障害の人が働く事務所で仕事をしていた。

その事務所での人間関係に悩んでいる話をずっとしていた。(本来の私たちの業務とは無関係)

同じことの繰り返しではなく、聞いている私への気遣いもあったので、この時は、長時間話した割には疲労感はなかった。

私が対応を終えた後、ベテランの先輩がその知的障害の人は、前にも来たことがあり、いつも○○さんが長時間対応していたと教えてくれた。

2~3か月後、また同じ人がやってきて、また私が対応した。その日は他の仕事も忙しく、話をきいて10分くらいで、自分の仕事状況を説明し、やんわりと話を終えるように仕向けた。

そうすると、その人は、豹変したとまでは言わないけれど、話を止めずになんとか引き延ばそうとした。納得しなかった。それでも、何とか説明し話を打ち切って席を立った。

最後に「優しい人だと思ったのに今回の対応は冷たかった」という感想をいただいた。

2回目の対応について、納得してもらえなかったれど、私はこれでよかったと思っている。

2回目に1回目と同じ時間かけて傾聴していたら、その人はまた3回目も4回目も私のところへ来ただろう。

要は依存だ。

優しいの境界線

優しいは無限じゃない!そして、仕事は傾聴する以外にやるべきことはたくさんある。

プロだからこそ、優しさを使うところに優先順位をつけて、効率よく仕事をする。そうしないと心も体も時間も疲弊する。長く働いてやっとそこが分かってきた。

賛否両論あるかもしれない。特に障害を持つ方に優先順位の考え方を伝えると差別と受け取られる恐れもある。

けれども、どこかで区切り、境界線を引かないといけない人間関係であることもまた事実だと思う。

過度に優しさを求める人は、そこに気が付いていないのではないかと感じることがある。

優しさを考える時、人と人の距離の取り方を深く考えるのだなと改めて思った。




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