見出し画像

ここに住みたいと思った場所が、川端康成の最期の場所だった

大学卒業後に地元に帰った友人が、年明けに東京に遊びに来ることになった。
彼女は葉山美術館に行きたいとのこと。
逗子葉山にある県立美術館らしく、都内からは少々遠いが一緒に行くことになった。

Me time

年が明けて、今年の目標とかやりたいこととかいろいろ考えた。

自分の今目指しているものといえば「昇給」なのだが、久々にポジティブな感情でやりたいことを考えたので、関連でこちらの本も読んでみた。

本の内容については触れないが、自分のやりたいことが本当にポジティブなモチベーションから来ているものなのか、それともネガティブなモチベーションなのか考えると、結果、大半がネガティブというか、マイナス要因から発生しているものだった。
「昇給したい」というのも、今の給与額がこの先もずっと続いたら嫌だな、という気持ちからだし、「痩せたい」というのも、太っていると思いたくないからだ。

ただ、唯一ポジティブな気持ちで書いた願いは、この前行った「逗子葉山に住んでみたい」ということ。

住む場所にこだわりはない

東京には地元から逃げるようにやってきた。というか地元から逃げるために東京に来た。

最初に住んだ下北沢は大学から一番近い学生寮だ。少し遠いところだと寮費が安くなるのでそちらに住もうと思っていたが、父親に「近いほうがいいでしょ」と言われ、それ一択になった。

次に住んだ場所(現住所)は、前職の職場から乗り換え1回以内で新卒の給料でもやっていけそうな地域に絞り、不動産屋に勧められるがままに決めた。
めちゃくちゃ壁が薄くて隣の人の話し声が聞こえてくるが、別に気にならなかったし、役所の対応もいいので大変ありがたい。
ただ、今の職場はフルリモート。もうここに住み続ける必要はない。
もう少し家賃が安い郊外に引っ越してもいいかもしれない。
なんなら地方移住すれば補助金が出るので、引っ越し代もタダ同然になる。ギリギリ車がなくても暮らせる地域に引っ越すのもありかな…なんて考えていたが、特に決定打もなく、ここに住み続ける理由もなければ他に引っ越す大きな理由もないため、なんとなく賃貸契約を更新してしまった。

森戸海岸

逗子葉山の海岸はとても綺麗だった。
友人たちと森戸海岸で日の入りを見て楽しんだが圧巻だった。
海に浮かぶ森戸神社の赤い鳥居と、江の島、富士山を一望できる。

海の向こうにうっすら見える富士山


夕日と鳥居


犬を散歩させる近隣住民がたくさんいたが、その誰もが日の入りの瞬間は足を止めるほどだった。

海岸沿いにはマンションが立ち並ぶ。
海沿いの家は嫌いだ。地震が来た時に怖いから。なんだかんだで地盤の悪いところには住みたくないなと思ってしまう。


…それなのに、逗子葉山に住みたいと思ってしまった。
1972年4月16日、森戸海岸沿いのマンションの一室で、川端康成がガス自殺したことを知ったから。

美しい景観があっても、人は死を選んでしまう

これについてはネットで調べ物をしていてたまたま知った。そして、悲しくなった。
あの日、私は美しい景色を目の当たりにした。楽園のような土地だったが、彼はそこで死んだのだ。
あんなに美しいものが目の前にあっても、人は死を選んでしまうのか。

私はたぶん、普通の人よりも死に近いところにいる。
学生の頃から精神疾患で苦しんで、何度も死にたくなった。経験したことのある人ならその状態を想像できるかもしれないが、どうやら精神疾患を知らない人は死を意識することが無いようだ。そして、健康な人との差に何度も傷ついている。
もっとこうだったら、お金があったら、容姿が良かったら、死にたいなんて思わないのかもしれない。そう妬ましく思うこともあったけれど、案外そういうことじゃないのかもしれない。
もちろん病気だからそれは当然のことかもしれないけれど、その「もしも」に希望を抱くことさえできないのかもしれない。

人の生命とは、生死とはなんなのか、そこに行けばまだ知らないことを理解できるような気がする。
そんなこともあって、逗子葉山に住んでみたいという思いがずっと心に残り続けている。

この記事が参加している募集

スキしてみて

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?