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レッスンと最後のチャンスとクラシック音楽

数日前からメンタル持病で異様な疎外感に苛まれちゃっていて
とはいえちゃんと会社に行けば周りと話して真人間のふりをするしピアノのレッスンも・・初めにある長い雑談の時間が今回いつもの半分しかなかったのはなんでかななんてふと思いかけてももう引きずらないくらいレッスンに集中できたとうことで

先日一度生で聴いておかないと一生後悔すると思って行ったデュトワのコンサート、とてもよかったんだけどその直後彼は急病でスイスへ帰ってしまったらしく・・どうかお大事に。回復を願ってます。
これ一生もんだなんてその論法だとそういうのこなしていくと死ぬ準備が完了していくみたいじゃないね。でも全然死にたくはなくて秋にもあるらしいデュトワのこの曲なら行かなきゃなコンサートの発売日が今日だった。
開始の瞬間にアタックしたらよくある混雑していてつながりませんみたいな画面が出て、焦ってるから間違えて全然違う演奏会押さえちゃったりしながら結局自分的にかなりいいと思う席が取れて
今書きながらこんな話は誰も読まないよと思うんだけど勝手に続けて

中学でクラシック音楽に目覚めた私にいろんな音楽を教えてくれたのはテレビで土曜にやってたN響アワーとラジオで日曜朝にNHKホールのオルガン演奏を聴かせてくれるオルガンの調べという番組だった。
ので、思春期からしばらくの間NHKホールと言えば聖地みたいなもんだった。
そのN響で最初に聴いたのは多分ホルスト・シュタインだけどおなじころ微差でデュトワも聴いたしカセットテープやビデオに撮った彼の演奏を毎晩聴いて・・
なのにNHKホールには行ったことがなく、一度行こうと思ったときは座席表を見てこんなでかいホールで聴いてもしらけそうだなと思った記憶と・・・
あれね、たぶん思春期の大事な思い出とその後おかしくなっちゃった自分のギャップだかなんだかでN響を聴きに行けないとかなんとか変なこと考えてたと思う。

なんでもいいけどあそこも建て替えるらしいので今行っとかないと・・デュトワだし・・年齢的に・・お互い
私まだ50だけど

あの時近くの赤坂氷川神社に行ったんですけどね、場所柄外国人観光客の他周囲で働いてるスーツに首から身分証ぶら下げてみたいな若い人が結構いて、みんな一人縁結びの願掛けかなんかやってるのね。ああそうかいいご縁があるといいねなんて思った私はもう年寄りだよね。最近QRコードで注文な店に良く入るんだけど気付かず若い店員さんに直接頼んじゃったりして、その若い子が馬鹿にした顔もしないで丁寧に応対してくれるんだけど後で考えると私もうあの場面訳のわかんない年寄りだったのかなとか

それで、毎度のことなんだろうけど弾き始めた瞬間うちの鍵盤と全然違うじゃねーかと思って始まったレッスン。
何か所か真っ白になりかけながら一度通した後いろいろ細かく・・左手はもっと落とす・・強弱のつけ方流れ方・・もっとレガートに・・運指が違うところを直され・・スフォルツァンドそんなにしない!・・自分の音をもっと聞くように・・腕を使う・・パタパタしない・・もっとスタッカート切る!・・したの音を強調するように・あとなんだっけ、テンペストのおしまいのところ楽譜によって左右の手をどう持ってくるかは違うじゃないですか?こう書いてあるからこういう事かなと思ってたのも違うと言われる。そこ教えてもらいに行くのがレッスンだからそれでいいんだけど
みんな難しいしその場じゃ全然できないんだけど、ああレッスン受けてるなーという感じがする。
私子供の頃にピアノ習ってないのがどこかでコンプレックスになってるかもしれず、クラシックなんてやってるけどお前汚れだろみたいなのが・・それを払しょくしたくてというところもあるんだけど
私の先生、おっさんの趣味だしこれくらいでいいかみたいなことは見せずにちゃんと厳しく言ってくれるんだけどでも昭和の罵るような言葉は一切出さずにいてくれるので
せっかくそういう先生に出会えたんだから、余計なことは一切考えないで頑張りたい。

そういえば連弾どうするかの話は一切出なかった。
自分はそれどころじゃなかったし、先生はどうだったのかな?
初めて発表会の候補日らしきものが話の中で出てきた。
今日とったコンサートはその後になるの感じか、ご褒美みたいでいいじゃない


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