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休職日記 #10 本を読む

今日は結構、調子が良い。朝からきちんとコーヒー豆を挽いて、ハンドドリップして飲んだ。昨日と変わり、昼間は天気が良さそうなのでたまった洗濯物も片付ける。朝の諸事が一段落すると、先日購入した本を手に取った。

元来、読書は嫌いではなかった。
小学校の高学年から中学に入るころにかけて星新一のショートショートにハマり、そこから派生して、いわゆる名作文学にも手を出した。ただ、その頃は「こういう作品を読んだ」というステータスが欲しいがために読んでいた側面が強く司馬遼太郎「坂の上の雲」、ドストエフスキー「罪と罰」なども読んだはずなのだが、内容はほとんど記憶していない。中学か高校の頃、村上春樹「海辺のカフカ」を読んでからは、ステータス欲しさと言うよりは、シンプルに面白いからという理由で本を読むようになった。この頃に初めて読んだ森見登美彦「太陽の塔」は何度か読み返している。

一方、高校あたりからは「好きだから読む」というより「役立ちそうだから読む」という目的に変容しつつあった。文学作品よりかは新書や実用書などに手をつけることが多くなった。
さらに、大学に進学してからは「役立ちそう」視点と研究上の「読まなければ」が合わさり、どんどん読書が義務的なものに変化していった。手に取る本も手軽に読めるものというよりはきちんと机に向かって、なんなら横にノートとペンをもってメモを取りながら読まなければならない類いが多くなってきた。
社会人になっても、この傾向は続き、なまじ所得があるせいで「この本は役に立ちそうだから」「この先生の本は読んでおかなければ」という理由でアマゾンをポチポチしていた。

だが、実際に本を読むことはなかなかできなくなっていた。仕事で時間がないというのも理由だが、何よりも小難しい本を読むだけの気力が残されていなかった。しかも、どうしても読まなければと、いざ本を手に取ってみるとまったく長文が頭に入らない。こういう面でも限界が来ていたのだろう。

休職となり、時間ができた。いざ自分の本棚を眺め、いくつかの本を手に取り、パラパラと眺めるのだが、どうも興味が持てない。それもそうだ。「読まなければ」視点で購入した本ばかりで「自分が好きだから」という視点で買った本がほとんどなかったからだ。それにやはり長文が頭に入らない。

このように疎遠になってしまった私と本の関係だが冒頭に述べたように、ここ最近は関係の改善が見られる。
最近、よく手に取るのはエッセー・随筆である。最初は休職前に若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(文春文庫)を読んだのだが、内容が面白いし、1編1編が短いので頭に入ってくる。これでエッセー・随筆の味をしめた。

星野源『いのちの車窓から』(角川文庫)もくも膜下出血から復帰した作者の視点から書かれており、いろいろと疲れている身にはちょうど良かった。

休職後は鉄道が好きなので内田百閒『第一阿房列車』(新潮文庫)を読みはじめた。百閒先生とお供の「ヒマラヤ山系」氏が織りなす、勝手気ままで可笑しい旅路がいろいろな物にとらわれている自分を解きほぐしてくれる。

先日、たまたま手に取った小川糸『洋食 小川』(幻冬舎文庫)も面白く読んでいる。丁寧な暮らしの豊かさを感じさせてくれるうえに、文章がするすると頭に入っていく。どうやらシリーズものらしいので読み終わったら、最初から読もうかと思う。


今日、手に取ったのはエッセー・随筆ではなく『地域経済論入門』なる専門書だ。難しい部分はあるもののそれなりに頭に入ってくる。また、読書との関係が一歩改善しているようで少し嬉しい。

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