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休職日記 #17 つらい時はいつも右手に

平日の朝、起きたい時間より1時間早く目が覚める。昨晩も何度か途中で起きた気がする。もう少し眠っていたいが、どのみち眠れないことは分かっているので布団から出る。

昨日までの雨は止んだようで外は明るい。今日は動けそうだ。

いつものとおり今日も特に用事はないので、いつものとおりにミニキッチンの一口コンロに水道水を入れたケトルを置き、火にかける。
棚から近所のコーヒーショップで買っておいたコーヒー豆を取り出し、秤で20g測る。
コーヒーミルに測った豆を入れ、ゴリゴリとハンドルを回す。ぼおっと何かを眺め、ひたすらゴリゴリとやっていると、飽きた頃にはちょうどミルに入れた豆がすべて粉になる。その頃にはケトルの湯も沸くので火を止める。

今度は棚からドリッパーとフィルター、マグカップを取り出す。ドリッパーはメリタ・ハイオ・カリタの3種類を持っているが、このところ朝はメリタのドリッパーが定番化している。ハリオのまったりとした味も好きだが、朝にはもう少しすっきりとした味の方がいい。カリタだとすっきりしすぎて、少し物足りないのでメリタに落ち着いているという感じだ。

台形型のフィルターの隅を折り、ドリッパーにセットする。ケトルを持ち、フィルターをセットしたドリッパーとマグカップを温めるため湯を注ぐ。ほど良い塩梅で注いだ湯を捨て、挽いたコーヒー粉をドリッパーに入れる。
ケトルを持ち、すうっと息を吸い、息を止める。さて、今日はうまくやれるか。コーヒー粉めがけて、湯を注いでいく。

この一連の面倒な作業が休職期間のルーティンだ。
大学院生の頃からハンドドリップをやり始めたが、院生の頃は研究室で午後の休憩時にしていただけ。社会人になってから、このしちめんどくさい作業からしばらく離れていたが2年目になった頃からまたハンドドリップをするようになっていた。
だが、それはあくまで休日の朝だけの話であり、時間のない平日はしていなかった。一方、重度のコーヒー中毒患者でもあるので、コーヒーを飲まないという選択肢はない。消去法的にインスタントで済ませていたが休職となり、平日だろうが土日だろうが時間だけはあるので、毎朝ハンドドリップをするようになったという訳だ。

世の一般的なコーヒー中毒患者と違い、私はそこまでコーヒーにこだわりがない。少なくとも1日1杯、コーヒーと名の付くものが飲めればそれでいいので、前述のとおりインスタントや缶コーヒーでもわりと満足する。この節操のなさは、私がコーヒー中毒になった経緯によるだろう。

私がコーヒーを飲み始めたのは、中学生の頃からだったと思う。動機は、勉強中の眠気覚ましのためだ。実家にインスタントコーヒーは常備されていたので、眠くなりそうな時に自分で淹れて飲み始めた。もちろん、最初はあんな苦い汁飲めたものではなかったが、そのうちブラックで飲めるようになっていった。中学3年生の頃には、学校から帰ってくるとインスタントコーヒーを淹れ、勉強机に向かった。志望校の推薦から漏れたあの日も同じようにインスタントコーヒーを淹れ、机に向かっていた。

高校時代には、このコーヒー浸りに拍車がかかる。高校の自販機で缶コーヒーを買っては飲み、予備校近くのコンビニで自習室の相棒にするためまた買い、帰宅後はインスタントコーヒーを淹れる。少しでも眠くなると、コーヒーに頼るので「コーヒー=眠い」という条件反射となったのか、しまいにはコーヒーを飲むと眠くなる始末だった。学校帰り、予備校の自習室に来て「さて勉強しよう」と缶コーヒーを飲んだら、すぐに居眠りしてしまったこともある。本末転倒も過ぎる。

大学進学後は、もう少しコーヒー自体を楽しむようにはなるが、その使い方はちょっとした現実逃避に近い。
ご褒美と称して気になる喫茶店に入ってみる。今日は気分を変えてと言って、セルフサービス式のカフェで作業をする。
ハンドドリップに手を出した時もそうだった。研究と就活に追われる一方、毎日に特に楽しみもない。過ぎ行く毎日への不満と将来への漠然とした不安の中、金もないのに魔が差してドリッパーとケトル、サーバーを自分へのクリスマスプレゼントと称して買ってしまった。そこからみるみる沼へはまった次第だ。

高校受験にせよ、大学受験にせよ、そこまで勉強は不得手ではない方だったが、あまり楽しい時間でもなかった。学生時代の日々への不満・将来への不安に包まれた時間もまたそうだ。そういう決して楽しくない時に、必ず横にいたのがコーヒーだった。

そして今、休職という必ずしもポジティブでない日々の隣にいてくれるのもまたコーヒーである。

休職後しばらくして、身の回りのことが多少やれるようになってきたとき、久しぶりにハンドドリップをしてみた。ほとんど何もできない中で、ハンドドリップができたのはシンプルに嬉しかった。
その後、少しでも調子のよい日はハンドドリップをする。ハンドドリップができる朝が増えていく。わかりやすい改善の証だった。

最近も、ハンドドリップができない朝が時々来る。そういう朝は、代わりにインスタントコーヒーを淹れる。
ちょっといい日も、悪い日も、いつも右手にはコーヒーが入ったマグカップがある。もちろん、これからもそうだと思う。

コーヒーは何も解決はしてくれない。でも、隣にいてくれる。
それでいい。それがいい。


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