結婚・出産は贅沢品についてぐだぐだ考える
ことの発端は足立区議員の富んだ問題発言らしい。同性愛者が増えたら足立区は滅びる説だとか。
それに対するさまざまな人たちの意見、叫びを見てて、この国はいつまで経ってもオカミどもがゴミ、、、とまでは言い切れないが、ダイバーシティダイバーシティと横文字並べるだけで満足して、自分の内的成長にはそのダイバーシティとやらを反映させない方々の集まりなんだな、こりゃ成長しないわ、と思ったのです。
そもそもこの国の出生率の低さと多様な愛の育み方に直接的な要因は全くないと思うので、その説を公共の場で言えてしまうことにアイタタタ、、、なのだが、それはさておき。
ついさきほどTwitterで目にした「結婚・出産が贅沢になってしまい、かつての価値観とはそぐわなくなってしまった」説に眼から鱗が落ちたのです。
生き方の多様性。
昔よりも1人で生きやすくなったのは確かだろう。(老後のことはひとまず考えないでおく)
今も女性の地位は低いが、結婚という選択肢を選ばなくてもいい環境は整いつつある。
男女(わかりやすく今は生物学上の男女と表記させてもらう)ともに、選択肢が増えた故の婚姻率の低下だろうくらいに考えていたわたしには、なるほどそれは一理ある、と思えた。
と同時に、あ、結婚は昔のクルマだ、とも思った。大学時代に受けた若者学で、80年代あたりだったろうか、ブランド物の財布や腕時計、車を持つことがステータスだった、それが若者たちの若者たる所以だった、と学んだ記憶がある。
それに比べて今の若者はモノを消費しない、コト消費だと言われて数年が経つが、今の若者は結婚や出産など、いわゆる人生におけるターニングポイントすら消費していないのか!
ところで。
贅沢品ということは、結婚はモノなのか?
いやしかし、コト消費は経験を積むことだから、結婚はコト消費にもなりうる。なんだか頭がこんがらがってくるというわけだ。(どんなわけだ)
Twitterの筆者は、価値観がそぐわないと言っていた。つまり結婚や出産はその時代には必要のないモノ。いらないから、使わない、買わない。
昔のようにお金があり、社会保障もあり、税金は少なく、年金もしっかりしていて将来のことを悲観しなくても良い環境が揃ったとして、私たちは昔のように結婚というモノを使うだろうか、買うだろうか。
それはそれは魅力的だと手に取るのだろうか?
フェアに、フラットに、そんな状況になってみないとわからないのかもしれないが、それでも私は、そうはならないと思う。
そう思ってしまうほどに、この国は多くを消費してしまったのではないか。ある人の働く意欲を、ある人の衣食住を、ある人の幸せを。消費なんて優しくない。経済が回る消費なら未来がある。
食い潰しちゃったんだね。
ごちそうさま。
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