砂丘

日記、読書、イタリア、芸術、田舎

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文章を書く理由

 今みたいに、流れ出してやまない思考が焦燥感を煽るのを止めるため、目に見える形にするのである。できるだけ早く。思考のとっかかりを作り出し、道を示してやる。そうしなければ、行き場のない考えがぐるぐると回ってどこにも行けない。概要すら掴めず、意味のわからない渦を前にして立ち尽くす。

    • 偽蠍座

      初夏にもかかわらず、冬のように(それよりももっと)豪華絢爛な夜空だ。澄み切った深い空には星々が所狭しと散りばめられている。 蠍座みたいな形の星座があった。でも、それは本当の蠍座よりうんと大きく、南の空の半分を占めていた。不思議なことに、南の空のもう半分には巨大なオリオン座があった。蠍の尻尾のあたりには、打ち上げ花火くらい大きい星団があった。その星たちは黄色い宝石の粒みたいに見えた。 私はあの蠍は何座だろうかと、星座早見アプリを開いて空にかざした。すると、その偽蠍座は妙にギ

      • 苦しかった頃

        生きる意味がわからなくなって、何も見えなくて、世界の狭間に足を滑らせて、朝起きたら全てが真っ暗で、進むことに対する意欲も失せ、暗闇にうずくまりベルトに首を掛け、それでもなお、死んでいない限りは命がある。 無気力の巨大な重たい曇りガラスが命を押し潰しても、精神の伴わない、薄気味の悪い生きる本能はびちびちとガラスの下でのたうち回る。 私の意思に関係なく。ただの生物の営みとして。 私はそいつと手を組むのか? それとも、そいつから主導権を奪うために精神を太らせるか? 私という精

        • 夏の日の朝

          父方の祖父が亡くなった。 夜中に大雨が降って、土をしとどに濡らした。夜通し起きていた私は、早朝の6時ごろに畑に出た。夏の匂いが充満している。青々とした葉がぽたぽたと水滴を落とし、ぬかるんだ土に少しだけスニーカーが埋まった。 以前に植えた落花生の畝に草が茂り、荒地のようになっていた。落花生の苗も雑草も生命力に溢れていた。いっそこのままでもいいような気がしたが、放置すると落花生の居場所がわからなくなってしまうから、私は薄手のビニールの手袋をはめて、青いバケツを傍に置いた。雨が

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        文章を書く理由

          劇場

          劇場。 チケットを買おうとすると、売り場の男に金額不足を指摘される。 「役者として出演すれば少しばかり給料が出る。それを貯めればチケットは買えるよ」 ひょろりとした若い男はあくび混じりに言った。 「何かの役に空きが出たんですか?」 「いいや、役に空きはない。全部揃ってる。だから、自分で探すしかないね」 「あなたは何の役が足りないと思いますか?」 「僕にそれを聞かれても困るよ。専門外だ。僕はしがないチケット売りで、これが僕の役目なんだ。とにかく監督に話を通してあげるから、君

          指先の衝動

          右手の親指と人差し指の爪を使って左手の指先の表皮をつまみ、ゆっくりと剥ぐ。時折、深くまで剥がれ、傷が肉に食い込む。思考を空っぽにして、そのささくれを強い力で引っ張る。傷口から溢れた血が指先に膨れて玉を作り上げる。脳が痛みに気づくまであと少し時間がかかる。 考え事をしていると、無意識に私は指の皮をめくってしまう。 その指先の衝動を抑えるために、私はブックマークを手に取った。とりあえず、手を塞ぐことを目的として。ペンタイプのブックマークを持つと、私は自然と指を動かしてしまう。

          指先の衝動

          冬眠

          雨の中、冷たくも温かくもない風が通り過ぎた。あと20分ほどで昼休憩が終わり午後の業務が始まる。彼女はコンビニに入ってレタスとハムとチーズのサンドイッチを買った。今日はどこで食べようかと思案するも良い場所が思い浮かばない。晴れた日なら川へ下る階段に座って食べるが、いまは雨で濡れているだろう。 あちこちにに錆びのこびりついたピンク色の傘が彼女の視界の端を遮った。生ぬるい温度と程よい湿気は、春と秋のどちらともとれた。彼女は一時的に季節が分からなくなった。でも、やっぱり秋だ、と若干

          傘を閉じる

          あゝ、もしかしたら、私は無価値ではないのかもしれない。ひとつの反応が私の心を、私の根本的な部分を、こうして揺さぶるとは。自分が空虚であるという確認作業を繰り返す日々。このまま尽きてしまえばどれだけ幸運か。時間が過ぎていくことへの焦りは凍結を求めていた。24年をカプセルに入れて、可能性を残したままで、希望がまだ見えるうちに、終わらせることを。 文章を書いていると、自分が正しい道にいると錯覚する。実のところは単なる現実逃避で、消えゆく可能性と弱る光を見るのが怖いだけだ。目を背け

          傘を閉じる

          「深く考えるまでもなく、いわば日常の続きとして」

          土曜日は人生で最も死に近づいていた。今、そこから脱したわけでもなく、それが消え去ったわけでもなく、堂々と私の中に「死」は構えている。認識していなかっただけで、目立つところに、よく通るところに、当然のようにあったのだ。 死はコロッセオからサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に姿を変えた。ロレンツォ・イル・メディチが傷つけられ、弟のジュリアーノが暗殺された、あの血生臭くも美しい建築物へ。私は、冷え冷えとした大理石の外壁にひたと耳をつけ、音を聴いていたのだ。私はその中に入ること

          「深く考えるまでもなく、いわば日常の続きとして」

          社会人逃避行

           認知症患者は、一番輝いていた頃の自分に戻っていると聞いたことがある。  では、私が認知症患者でないという保証はどこにある? 私は、本当に今を生きているのか? これは現実か、記憶か?  認知症になったら、私が戻るのは人生のどこだろうか。もし、私がいま認知症で、記憶の中を生きているとしたら、二十四歳が一番輝いていたことになる。俄には信じられないけど。  社会人になって逃げるようにして浜松を歩いたとき、認知症患者のことを思い出した。  中田島砂丘から見た浜松の街は、眼前に実在

          社会人逃避行

          読書量の飽和

           『ノルウェイの森』を読むのはもっと後になるだろうと思っていた。村上春樹作品を読み尽くし、他に読むものがなくなったとき、『ノルウェイの森』を開くのだと。  残り数ページになった『海辺のカフカ』を横目に、電車で読む次の本は何にしようかと紙袋を覗く。『ノルウェイの森』の上下巻と『神の子どもたちはみな踊る』が入っている。『神の子どもたちはみな踊る』は短編集である。短編集を読むのはあまり好きではない。寂しいからだ。短編集か……私はあっさりと『ノルウェイの森』の誘惑に負ける。印象的な

          読書量の飽和

          たとえば、図書館で利用者が大きな音を立てている時

           例えば、図書館の学習机のスペースで、ある利用者(ご婦人)が我慢ならない音を立てている時ーーペラペラに薄い紙のページを捲ったり、紙をクシャクシャと丸めたり、透明なフィルムのついた封筒からバリバリガサガサと書類を出し入れしたりするときの音だ(しかし、何通その類の封筒を持ち込んでいるのだろう?)それも、効果的に、それらが一番大きな音を立てられるような動作で行われている時、さらに、近くに座っている別のご婦人が対抗してペンのキャップを大袈裟に何度も付けたり嵌めたりし始めた時ーー、私は

          たとえば、図書館で利用者が大きな音を立てている時

          ユーモアと憤慨が人を正気にさせる

           家から最寄駅までの道中、涙はとめどなく流れ続けた。電車に乗り、終点駅で降り、また別の電車に乗り継いだが、その間にも涙はとどまることを知らず、いよいよその勢いを増すばかりだった。電車の中でなければ軽い過呼吸になっていただろう。涙を止めようと読みかけの本を開くも、集中できず、すぐに伏せてしまった。私にできることは、間断なくやってくる苦痛に耐えることだけだった。1時間は泣き続けたのではなかろうか。とある駅で、隣の座席に髪の薄くなりかけた中年の男性がどっかりと座り込んだ。私の革ジャ

          ユーモアと憤慨が人を正気にさせる

          読書灯

           砂山くんは空に浮かぶ満月をひょいっと取って小脇に抱えた。よく晴れた夜だった。透き通るような闇を潜水艦のライトみたいに月明かりが照らす。その範囲は限定されたものであり、田舎町の隅々(例えば、排水溝の中だとか、植込みに潜むネコだとか、帰路につくサラリーマンのコートのポケットに入った飴玉や小銭なんか)までは届かない。  満月のときにしかできないんだよ、と彼は静かな声で言う。月を失った夜空は、その不在を埋め合わせるかのように星をぎっしり散らした。心なしか闇が深まったように思える。月

          読書灯

          冬の空 2021年12月25日

          12:30 昼休み  今日はやけに空が低い。一段階、下に降りて来たらしい。ずどん。雲は大きく重い。どこか荘厳さを感じさせる空だ。  ススキはいつまでああやってふわふわしているつもりなのだろう。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に登場する獣のように、季節が進むにつれてだんだんと体毛が白くふわふわになり、おそらく、まもなく死が訪れるのだろう。  この川の景色は相変わらず美しい。  先ほどセブンイレブンに行ったが、棚から食糧がほとんど消えていた。幸い空腹ではなかったので

          冬の空 2021年12月25日

          潮と鉄橋の影

           潮の流れだと思っていたものが、橋の影であったこと。  川にも潮の流れがあるのかどうか分からないが、急に深くなったところが濃く見えるように、ある一部分はいつも色が違った。  ○駅から△行きの列車に乗ると、すぐにその景色は現れる。駅はX川沿いに位置するため、発車してすぐにトラス式の鉄橋を渡る。左手の向こうにはX川とY川の合流地点があり、晴れた夏の日なんかにはデルタ部分のこんもりとした木々が青々と茂り、大洋にぽっかりと浮かんだ無人島みたいに見える。その景色を前にすると、「この

          潮と鉄橋の影