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読書量の飽和

 『ノルウェイの森』を読むのはもっと後になるだろうと思っていた。村上春樹作品を読み尽くし、他に読むものがなくなったとき、『ノルウェイの森』を開くのだと。

 残り数ページになった『海辺のカフカ』を横目に、電車で読む次の本は何にしようかと紙袋を覗く。『ノルウェイの森』の上下巻と『神の子どもたちはみな踊る』が入っている。『神の子どもたちはみな踊る』は短編集である。短編集を読むのはあまり好きではない。寂しいからだ。短編集か……私はあっさりと『ノルウェイの森』の誘惑に負ける。印象的な赤いカバーの文庫を鞄に入れる。
 電車の中で読み始めると、圧倒的な瑞々しさに驚いた。私は、今、これを読んでいいのか? まだ読むべきではないのではないかという思いが頭をかすめる。これは、恋人たちの物語だ。

 昼休み。土岐川べりの階段。いつものように鞄から本を取り出す。カップのスープ春雨はお湯を注いだばかりだからまだ硬くて食べられない。家からおやきパン(ツナチーズ)を持ってきているが、ここは冷たい風の吹きすさぶ川縁だ。まずは温かいものを食べたいと思う。スープ春雨はまだ三分経っていない。
 食事を終え、『ノルウェイの森』を読もうかと思う。でも、どうしても読むことができない。私は今、飽和状態なのだ。活字が私の中に溢れて処理できる量を超えている。水の中に頭まで入った時のように、音が(活字が)くぐもって聞こえる。はっきりと聞き取ることが(読み取ることが)できない。こうなると、読書は控えたほうがいい。この時期はすぐに去るだろう。私は知っている。

 大学生の時、胃の調子を悪くしたことがあった。慢性胃炎? 胃潰瘍? 医者に行かなかったから、正確にはどのような病名なのか分からなかったが、なかなか辛い経験だった。一、二ヶ月はその状態が続いたと思う。症状としては、すぐにお腹がすいたような気がする、半日以上経っても食べ物が消化されない、胃のなかで発酵が進んでいるようで口臭がきつくなる、そんなところだった。胃を悪くするのは本当に良くない。イタリアから帰国してすぐのことだった。イタリアは私の食生活に刺激を与えた。同時に、私の胃にも刺激を与えた。エスプレッソコーヒーを頻繁に飲むようになり、脂っこい肉やオリーブオイルたっぷりのパスタをはち切れるくらい食べた。こんな食生活を続けた結果、胃が壊れてしまった。どうやって治したのかは覚えていない。かなり悩んだはずだけれど、いつの間にか治っていた。その後に没頭した食事制限付きの筋トレやジョギングなどによって健康状態が改善したのだろうか。

 つまり、何が言いたいかというと、処理能力を超えた類の食べ物を食べるべきではないということだ。処理能力を超えた量の本を読むべきではない。特に『ノルウェイの森』は、過食するには勿体ない作品であると感じた。読み始めてそう思ったのだ。


 この文章を書いた翌々日、私は『ノルウェイの森』の上下巻を読み終わっていた。

ー2022年1月20日の日記から

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