HPをつくってプリクラをアップしただけで、反省文を書いた。
ネットと共に生まれた24歳
1994年(平成6年)、インターネットと携帯電話がある時代に生まれた。
物心ついた頃から、今では考えられないくらいぶっとくて、重くて、でかいパソコンが家にあった。
小学生の時は、Yahoo!きっずやポケモンだいすきクラブでゲームをしてた。(思い出しただけでかなりエモい泣)
HPを作る=不良
中学生に入ると、無料のサーバーを使って自分のHPを作るのが流行った。
HTMLのタグを見よう見まねで使いながら、公立の小学校や阿部寛のサイトくらいのものは、学校の半数くらいの子が作っていたと思う。
HPの中には大体みんな日記や写真(プリクラを載せたりね)、REALという今のTwitter的な軽くつぶやくコンテンツを設置していた。
ある日、クラスの何人かと一緒に呼び出された。
そして何もわからないまま、あんまり使われていない電気がチカチカする指導室に入れられる私たち。
何が何だかさっぱりすぎて、先生くるまでヘラヘラしてた気がする。
先生と教頭先生(たぶん)が来て、紙を見せられた。
私たちのHPがプリントアウトされたもの。まずその時点で、めちゃくちゃ気持ち悪いなと思った。
これはなんですか?自分の顔写真(プリクラ)をインターネットにアップするなんて、意味がわからない!しかもなんだこの落書きは!!
な感じで、まぁまぁ怒られた。
落書きは別に「チャリできた卍」くらいのノリの、ちょっこっとヤンチャなこと書いたくらい。
人の悪口を書いたわけでも、恥ずかしいものを載せたわけでもない。HPを見られ、プリントアウトまでされ怒られた。
私たちは悪いことをしてないから反省するそぶりも見せずにいたら、1週間毎日相談室に連行、しまいには親まで呼び出された。(意味不明)
親もHPつくってたのは知ってたし、なんなら「見て見て!私がつくったの!!」って見せびらかしてたくらいなので。
「まぁ、注意しときますね〜。」ってテンションで。
当時2010年くらいは、インターネットに名前を出して、顔を晒しているだけで不良扱いだった。(もしかしたらうちの学校だけかもしれないけど。)
そっからはかるーく、問題児っぽく扱われた。事あるごとに、HPをチェックされて呼び出しされ、最後は鍵をかけてもHP運営するのは禁止になった。(やってたけどね。)
"自分コンテンツ化"戦国時代
JKやJCがTikTokとかで、「顔と名前を出して自分をコンテンツにして有名になるぞ!」っていう風潮は、すごくいいなと思う。
既に撮影の技術とかセンスの面で、到底勝てないなと感じることはすごく多い。(挑戦しないといけないと思いつつも。)
ただここ数年の炎上させることが、既にその年代で当たり前になってきているなとも感じる。正論の暴力みたいな。
一度過ちを犯した人に対して永遠に、「謝罪はまだですか?」というコメントが続いているのを見ると心が痛む。
しかも、既に謝罪をしているのに。一度犯した過ちは、2度と許されないという風潮が根付いてしまっている感。
平成一桁世代が見逃してしまったこと
最近はもう、ネットとリアルの境界線がなくなってしまった。もう当たり前なんだけど、ネットやSNSも現実世界の中の一部。
炎上文化を浸透させてしまったのは、"ネットとはそういうもの"だと割り切って、見て見ぬ振りしていた平成生まれの私たちなのかもしれない。
私たちはネットリテラシーをうざいほどに叩き込まれた、ある意味貴重な世代な気がする。
もちろんそれは、悪いことばかりじゃなかった。ネットで全世界に何かをアップすることがどういうことかをちゃんと学べた。
最近、ティーンの炎上を見ていると、「何かできることないのかな。」「この流れを食い止めるにはどうしたらいいかな。」と考えたりする。
SNSやインターネットの使い方とリテラシーを厳しく学んだ世代だからこそ、必要最低限のことを鬱陶しいなと思われるほど、継いでいかないといけないなかった、気がする。
でも、色々見ているともう遅いのかなって弱気になる。
けど、遅いことなんてないのかな。と答えの出ない葛藤をしながら、今日もTik Tokを見る。